
タイで12日間の瞑想修行をした話。
今回は、東南アジア旅行中に体験した、
タイ・チェンマイでの12日間ヴィパッサーナ瞑想の話を書こうと思います。
瞑想に興味がある方、または「長時間の瞑想ってどうなんだろう?」と思っている方に、私の体験が少しでも参考になれば嬉しいです。
きっかけ
会社を退職してから、朝夜に瞑想を少しするのが趣味だったことがきっかけです。
瞑想をすると、頭がすっきりする感じがしていたので、ある程度の効果を感じていました。
ただ、なかなか長時間の瞑想はしたことがなかったので、ヴィパッサーナ瞑想という瞑想修行のプログラム(10日間)に入って、もう少し深く瞑想を学んだみたいな〜と簡単に考えていました。
しかし、日本での瞑想修行施設に空きがなかったのもあり、東南アジア周遊旅のついでに、仏教の本場であるタイで瞑想修行をすることを考えました。
申し込みの流れ
東南アジア周遊中、タイ・チェンマイにあるお寺にいくつか問合せをし、
2件目に連絡したお寺で奇跡的に希望の日程に空きがありました。
問い合わせに対しとても快いお返事をもらったのもあり、思い切って参加することにしました。
異国のお寺で瞑想修行なんて、しかも外国人向けのクラスなので英語での修行なのですが、以前の私には考えられないチャレンジです。
一人旅中で全てがチャレンジなので、正直感覚がバグっていました。
そして、せっかく来たのだから、出来ることは挑戦したい!ダメなら諦めようと思い、とにかくえいっ!と飛び込んだのでした。
しかし、タイでの瞑想修行は、一言でとてもかけがえのない経験になりました。
修行生活の内容
ここで、そんな瞑想修行のスケジュールを、簡単に紹介したいと思います。
4:00 起床
4:20 読経&瞑想
6:30 朝食&掃除
8:00 自主瞑想
10:30 昼食
11:30 自主瞑想
14:00 メンターへの報告(以降就寝まで瞑想修行)
22:00 就寝
昼前に最後のご飯を食べた後は、夜までひたすら自主練をするというストイックな日々でした。
そして、修行中はメモをとることを禁止されていたので、
スケジュールなどもあえて見ず、とにかくただ今だけに集中します。
自主練では、歩く瞑想と座る瞑想というのを交互に行うのですが、
1日に10時間近く歩いて座ってを繰り返すので、とにかく腰が痛く、集中力も限界が来るので、かなりきつかったです。
最初は15分ずつの歩く瞑想、座る瞑想のセットから始まり、
最終的には1時間ずつの歩く瞑想、座る瞑想をやっていました。
瞑想というのは、あぐらをかいてリラックスしているイメージがあると思いますが、この瞑想修行ではそんな穏やかなイメージはなくなり、
とにかく痛みとの戦いでした。
修行で学んだこと
ただ今の状態に意識を向ける
これは修行中に教わったことですが、
ただ今の状態に意識を向ける(マインドフルネス)を心がけました。
痛みを感じる度に、痛みにフォーカスするのではなく、
「痛みを感じている」と、少し俯瞰して自分が感じていることを感じるのです。
意識を向けることで流れる
僧侶の先生の教えによると、痛みというのは、意識を向けることで流れ、気づいたら消失するのだそうです。
少し馴染みのない話ですが、
私たちの意識というのは、ある意味光のようなエネルギーでもあり、
ある対象に意識を向けるというのは、そこにエネルギーを向けるようなものだというのです。
意識を向けることで、停滞していた箇所にエネルギーが流れるのだそう。
確かに、腰が痛いときに、「自分が今痛みを感じている」と俯瞰して意識を向けると、エネルギーが流れるのか、少し痛みが和らぐのです。
そして、何度か続けていると、不思議なことに痛みを全く感じなくなったのです。あれだけ痛かったのにと本当に不思議でした。
意識を向けることで、停滞していた痛みが流れたからということのようです。
日常の動作を一つ一つ丁寧に感じる
痛み以外でも、ただ歩くという行為であっても、
「今足裏が地面から離れた」「今地面についた」「今足が伸びた」など、
一つ一つ丁寧に意識を向けてみるということを修行では行います。
究極のマインドフルネスです。
これをすると、とても時間がゆっくり感じられるのですが、
日頃、食べることや歩くことなど、何気ない行為を無意識にやってしまっていることがわかります。
しかし、それらを意識的にやってみることで、「今に意識を向ける」ということの訓練になるのです。日常の行為全てが修行になるのです。
執着を手放す
さらに、執着を手放すことも意識させられました。
瞑想修行が上手くいかず「なかなか穏やかな状態になれません」と先生に相談したとき、「穏やかな状態にしたいという執着すら手放し、ただ今の状態を意識しなさい」と言われました。
本当に目から鱗で、自分の中で瞑想についてのイメージがあって、
「瞑想をすると穏やかな気持ちになれるのだ!」
という思い込みがあったことに気がついたのです。
他人との比較をやめる
瞑想に慣れてくると、周りの参加者が気になるようになりました。
他の人が長時間の瞑想をしていると、自分も頑張らなければと思い、
無理に瞑想時間を延ばしたりしていました。
その結果、メンターの先生から「なぜ勝手に瞑想時間を伸ばしたのか?」と指摘されたりもしました。
そんなこともあり、自分の中に、人と比較してしまう癖があることに気づいたのです。
現代社会は、人と比べてしまうことが当たり前のようになっていますし、私もその常識の中で長く生きてきました。
ですが、この経験から、今一度その刷り込みに気がついた気がします。
瞑想修行中のすごい体験
ナチュラルハイの体験
そんな瞑想修行ですが、一度ものすごい経験をしたのでシェアします。
無理に瞑想時間を伸ばし、60分の瞑想をしていた時、
極限状態になり、集中力が高まりすぎて「ナチュラルハイ」のような状態になったことがあります。
痛みを感じず、何か違うゾーンにいるような気分だったのを覚えています。
瞑想が終わった後、現実に戻るのですが、
頭がくらくらし、汗が吹き出し、普通の状態に戻すのにかなり時間がかかりました。自分に何が起こっていたのかと思います。
少し無理をして瞑想時間を伸ばしてしまったので、
本当に一歩一歩自分のペースで進む必要があったなと再確認しましたし、
瞑想は長ければいいというわけでも無いと気がつきました。
修行後の感想と新たな目標
瞑想修行後、新たな気づきがあったので、シェアしたいと思います。
出来事をジャッジしない
上手くいかないことがあるとき、私たちは自分をジャッジしてしまいがちです。
修行中も、瞑想修行がうまくいっていないとき、
「なんでできないんだ」「ここに来たのは無駄だった」とあれこれジャッジしてしまいましたし、修行日数をもう少し短くしていれば!と何度も思ったものです(笑)。
でも、出来事や、出来ないことことにフォーカスせず、ただそのときできる目の前のことをこなしていると、前の日にできなかったことが、なぜか次の日にできるようになったりと、一歩一歩できることが増えていったのです。
何か上手くいかないことがあると、こんなのは自分に合ってないんだとか、これは向いてないんだとか色々と頭ではジャッジしてしまいます。
ですが、それをそれとして受け入れ、ただひたすらに目の前のことをやると(目の前のことをやるしかなかったともいいます)、
結果的に気づいたらその壁を乗り越えていた、そんなことを繰り返したのです。
楽しみや気づきをシェアすることの大切さ
瞑想修行終了後は、人生で一番解放感と達成感を感じ、そして何でも出来る気持ちになれた日でした。
その日は、同日に修行が終了した中国人の歳上の女性がいたのですが、流れで一緒にタイ古式マッサージに行き、チェンマイの名物である本場のカオソーイを食べ、そして一緒にタクシーに乗りチェンマイ大学の湖を散歩したりしました。
実はその女性は、同じアジア人という共通点があることや、とても芯があり、その言動に心惹かれることもあり、ずっとお話ししてみたいと思っていた人でした。
瞑想修行中は私語は禁止されていたので、ずっと話しかけることはできなかったのですが、初めてしっかりとお話しできとても楽しい時間を過ごしました。
その人は少し年上で、仏教の勉強を外国でしたりと、やりたいことを軽やかに実現している人だったのですが、その人が言っていた印象的な言葉に、
「楽しみをシェアするといいよ。楽しい人が2人集まれば、1+1=2以上になって、素晴らしいことになるよ」
という言葉があります。
これはこの瞑想修行で、僧侶の先生からも言われたことと同じことです。
先生が言うには、人生の目的とは、経験によって自らの魂を成長させることであり、その過程で自分が得た気づきや叡智を他人にシェアすることが大切なことだというのです。
修行中は、英語がとにかく難しくて、先生がせっかくありがたいお話しをしてくれていても、満足に理解することができず残念だなと感じることが何度もありました。
ですが、そんな中でなんとか聞き取れたのがこの言葉です。シンプルで、大事な言葉だったからこそ聞き取れたのでしょう。
この言葉はとても私の中で印象に残っていて、この言葉がきっかけで、今まで自己探求をひたすらに一人でやってきた私は、新しい生き方にチャレンジしたいなと思ったのです。
新しい世界で生きると決める
それは、これからの人生は、ただ一人で生きるのではなくて、自分が得たものを他人とシェアする、そんな協働創造の世界線で生きていきたいと思ったのです。