親を施設に預けるという選択#1〜母をグループホームに預けた時のこと〜
以前の記事でも何度か書いていますが、うちの母は施設でお世話になっています。グループホームで約六年過ごしたあと、特養に移って二年が経ちました。今日は母の施設入居の経緯について、書いてみようと思います。
母が認知症を発症して間もなく私の結婚が決まり、家を出なければならなくなったので、私は母のサポートと家事のため、長女を妊娠しても毎週のように泊まりがけで実家に通っていました。出産後は自分が休むためというより、母と実家が心配だったため里帰りをしました。久しぶりの実家の荒れ具合に驚いて、退院翌日にまだ痛みの残る体で大掃除をしたことを覚えています。
その後も乳児だった長女を抱えて実家に通っていましたが、自分の家庭も仕事もあるので毎日通うわけにはいかず、また実家で同居していた兄も平日は仕事で帰りが遅かったので、母が一人になってしまう時間が多いのが心配でした。
そこで嫌がる母を説得して、以前利用したことのあった介護事業所の家事サービスを定期的に頼むことにして、食事の用意や家事のサポートをお願いすることにしました。介護保険の認定がおりてからは、ほぼ介護保険でまかなえるようになったと記憶しています。
デイサービスも母は嫌がっていましたが、同じ介護事業所がやっていて場所的にも馴染みがあったため、少しずつ行ってくれるようになりました。
また夕飯の用意や夜一人でいることも心配だったので、高齢者のための宅配弁当も利用し、配達の時に様子を見て頂くようにお願いしました。お弁当は減塩食も選べるようになっており、高血圧のある母にとっては中々良かったと思います。
そのようにして、母が長い時間一人にならないよう様々なサービスを駆使して、私が行けない日をやりくりしていたのですが、ついに限界が訪れました。母が一人で外出して迷子になるようになったのです。
近所のお店の人が声をかけてくれたり、運良くヘルパーさんが発見してくれたり、警察に保護されたり…といったことが重なり、連絡を受けた私は毎回肝を冷やしました。急場しのぎでセコムの見守りサービスを申し込んだりもしましたが、交通事故などに遭う危険を考えると、施設を検討すべきタイミングに来ているのは明らかでした(母には空間認知の低下や失認など、視覚的な機能低下もありました)。
はじめは反対していた兄達も、母の安全には変えられないと思ったのでしょう、私が探してきた近くのグループホームへの入居にとうとう同意してくれました。
しかし母本人は当然のことながら、病気の自覚はないのでそんな必要性は理解できませんし、「息子の世話をするために家で待っていないと」という昔からの義務感が強く残っているので、今まで兄が出張で不在にする時に一泊だけショートステイを利用したことはあったものの、施設入居の話などは出すのも憚られる有様でした。
結局は、兄が用事で何日も家を留守にしなければならなくなったタイミングで、「一人だと危ないからしばらく泊まってほしい」と懇願して連れていく形になりました。連れて行ってもまだ「早く帰らなきゃ」と家のことを心配する母を、どう納得させようかと考えあぐねている私に、施設長さんはなんと「このままお帰りになりますか」と勧めてこられました。あとは自分達に任せて、家族は帰った方がいいという判断のようでした。
私は驚き、戸惑いましたが、かといって私の説得に母が納得するわけでもなかったため、最終的には施設長さんのお言葉に従って、母のいない実家に一人で帰ることになりました。やむを得なかったとはいえ、納得しないまま施設に入ることになった母を思いながら、まだ乳児だった長女を抱いて実家で過ごした夜のことは、今でも忘れられません。
一〜二ヶ月経って面会の許可が降り、母に会いに行くことができるようになりましたが、母は私をまるで敵のような怒りに燃えた目で睨み、「あんた親にこんなことしていいと思ってるの」と責め立てました。しばらくはそんな針の筵のような状態が続き、私はスタッフの方が話されていた「慣れるとご本人も安心感があるのか、皆さん穏やかになられますよ」という言葉を信じて耐えるしかありませんでした。
けれでも入居してから数ヶ月経った頃でしょうか。いつの間にか母の目からは一時期のような怒りの色が消え、以前のような母に戻っていきました。相変わらず家のことを心配してはいましたが、「お母さんも、ここでやることがあるから」と、グループホームでの生活を自分の仕事のように感じている節もありました。私が面会に行けない時に電話をすると、「あんた無理しなくていいから、自分の体と赤ちゃんを大切にしなさい」と、まるで元気だった時の母が蘇ってきたように、私への気遣いを見せるようにすらなりました。ああそうだった、病気で母の本質が隠れていたけど、母はこういうふうにいつも家族の健康を気遣う人だった…と思い出されたものです。
母が元気だった頃、私はよく冗談じみて「結婚したら離れを作ってあげるから、一緒に住もう」と言っていましたし、母はそれに対して「そんなこと言っても、旦那さんの考えもあるから」と言いながらも嬉しそうでした。ですから、一緒に住んで介護してあげられなかったことへの悔いは、今でも無いと言えば嘘になります。でも今振り返ると、母のいる実家に通って介護していた頃の私は心に余裕がなく、決して母に優しくはありませんでした。病気のせいだと分かってはいても、ついイライラしてきつい口調になってしまうことが多かったのです。
母が施設に入ったことで初めて、私も母に穏やかに接する余裕が出てきたように思います。その後も母の精神状態には波があり、認知症も少しずつ進行していきましたが、面会に行く度に母の好きな歌を一緒に歌ったり聴いたりして、沢山の良い時間を一緒に過ごすことができました。母が不穏だった時期も含めて、一生懸命介護してくださっていた施設のスタッフの皆様には、感謝の気持ちでいっぱいです。今はコロナで面会に行くことができませんが、こうしている間も母が元気でいられるのは、本当に施設の職員さん達のおかげです。
家族が認知症になった時に施設に預けるかどうか、またそのタイミングがいつなのかは、ご本人の状態とご家族の状況次第なので、決まった正解はありません。それだけに、親を施設に入れることになったことで悔しさや罪責感を抱える人も多いことでしょう。私自身もそうでした。
こんな私の経験を伝えることで、いま選択を迫られている方、罪責感を抱えて苦しんでる方の気持ちが少しでも楽になればいいなと思います。
最後に、認知症専門医の先生によるとても良い記事がありましたので、家族を施設に預けることで葛藤を抱えていらっしゃる方は、ぜひご参考になさってみてください。
長くなりましたが、最後までお読み頂きどうもありがとうございました。
♪コロナ禍で会えない母を想って作ったオリジナル曲を、医療介護現場に寄付するチャリティーのため、音声記事(300円)にて販売しています。温かいご支援のほど、よろしくお願いいたします。
https://note.com/yo_ssy/n/neb1b472923fc
♪当アカウントの記事に対するサポートや購入で得られた収益は全て、新型コロナウイルスの治療にあたる医療機関や、感染予防に奮闘する福祉施設などを支援するプロジェクトに寄付させて頂きます。気に入って頂けましたら、ぜひ応援とシェアをよろしくお願いいたします。
寄付先:日本財団
https://www.nippon-foundation.or.jp/what/projects/2020corona/donation
かながわコロナ医療・福祉等応援基金
https://www.pref.kanagawa.jp/docs/r5k/covid-19_donation.html
サポートで得られた収入は全て、新型コロナウイルスの治療にあたる医療機関や、感染予防に奮闘する福祉施設への寄付に当てさせて頂く予定です。温かいご支援のほど、どうかよろしくお願いいたします。 寄付先:日本財団、かながわコロナ医療・福祉等応援基金