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インサイド・ヘッド2が頭から離れない | ※ネタバレ有り


映画公開初週の週末に、『インサイド・ヘッド2』を見に行ってきました。

ディズニーやピクサーのアニメーション作品は基本的に映画館で見るように決めているのですが、
こんなにたくさん心が動いて、満足感で満たされながら劇場を後にしたのは、かなり久しぶりでした…!


本当に最高です、良い2時間だったなと噛み締めてしまいます。



映画を見て思ったこと、考えたことを綴ります。
ネタバレを含む内容になっていますので、
ブログではなくこちらのnoteでワンクッション挟む形としたいと思います。

※ネタバレなしverは別途ブログに残せたらいいなと思います。

スクロールしていくと本文が始まりますので、
まだ鑑賞していない方はまたあとでお会いできたら嬉しいです!







----------⚠️これよりネタバレ有りの本文です!⚠️----------


ヨロコビとシンパイ

まずわたしが1番に心を掴まれたシーンは、
シンパイの秘密基地のような場所で、主人公のライリーに今後起こり得る最悪のシナリオを想定させ、ライリーに想像させるというシーンです。



HSPで心配性なわたしなので、「あー!あるある!」と思わず唸りそうになりました。


シンパイはライリーの身に降りかかる災難を事前に予測して、それを回避するためにどう動くべきかを計画立てる役割を担っていて、

災難を回避するために、最悪のシナリオをいくつも想定して備えようとします。


わたし自身、やりすぎは良くないと分かって居ながらも、先々のことを心配するあまり、起こる確率が限りなく低いことを含めてあれこれ考えて、眠れなくなってしまいます。


誰もが経験したことのあるであろう、この心の動きを、
アニメーションで表現する想像力に感激して鳥肌が立ちました。

次から次へとマイナスな未来が頭の中のアニメーターたちによって描かれて上映されていくところが、作品を作っている人達もアニメーターだからなのか、
締め切り迫るような緊迫感と焦りのリアルを感じる良いシーンだなと思いました。

ライリー自身も明日の試合が刻一刻と迫っているので、
アニメーターの締め切りと、夜が明けることの焦りがよくリンクしている感じがします。



一方、このシーンではヨロコビも、
今後起こり得る未来に対して、ヨロコビらしいポジティブな考え方をライリーに伝えていき、シンパイに対抗します。


心配することと、喜ぶこと、全く異なるものですが、
実は両方とも、未来を少しでも良い方向に進ませる力があるという共通点を持っています。

ただし、心配が過ぎると八方塞がりになってしまいますし、楽観的すぎても危機管理ができません。


この時のシンパイとヨロコビは気が付いていませんが、不要な感情など無いんだなと、個人的にこのシーンでも強く感じました。


また、ライリーは負けず嫌いで明るく友達思いで、周りにとって良い自分であろうとする厳しさも持っている子だと思うので、


だからこそ新参者の中でも、
特段シンパイが強い個性を放っていたのかなと思いました。



シンパイのライリーに対する想い


シンパイは、前述の通りネガティブな考えでライリーを守ります。


そしてそれは時に、他の感情から見ると、ライリーを攻撃しているように見えてしまい、

また、シンパイ自身はそんなつもりが微塵もないにしても、ライリーを精神的に追い詰めてしまいます。


シンパイが暴走し、プレッシャーの嵐のような見た目になってしまうシーンは、涙で前が見えないくらいに泣きました。

(これ実は、冒頭のシーンとよく似ていて、思春期発動していないライリーは、ペナルティでベンチへ一時退場してもそこまで大きな感情の波が無かったんですが、

思春期発動しまくりライリーが、
物語のラストで同じようにベンチへ退場してしまったときに、このようにライリーの心が大きく揺れ動きます。

この辺の再放送と対比、秀逸ですよね…!)


シンパイは、カタカタと震えながら、感情のコントロールパネルから手を離したくても離せないんです。心配するのをやめたくてもやめられなくなっているんです。

この描写は適応障害で心臓が苦しくなって、心臓の鼓動が身体中に響く状態に似ていると思いました。

(もしかしたらここは、パニック障害と考える人や、他の精神疾患を思い浮かべる人もいるかもしれないのですが、わたしには適応障害か鬱の経験しかないので、このような解釈をしています。皆さんが想像しやすい状態に当てはめて、考えてみてもいいかもしれません。)


では、ここまでライリーを追い詰めたシンパイは悪なのか、
それも違いますね。


この作品の特徴として、悪役は存在しません。


『インサイド・ヘッド』シリーズでは、私たちを形成する感情、思い出、一つひとつが私たちを幸せにするために動いていて、
どんな感情も、私たちが今より少し前向きになるための布石になっていきます。

他の方もおっしゃるように「自己肯定感が上がる」という感想は、その設定から来ていると思いました。


前作『インサイド・ヘッド』のイマジナリーフレンドとして登場したビンボンも、
自分が忘れられてしまうとしても、ライリーの幸せを優先する選択を取ります。

前作におけるビンボンは、今の自分を形成する過去の思い出が、
巡り巡って自分自身を助けてくれたという描写なんだと思います。


今作ではシンパイは、一見ライリーを苦しめてしまっているように見えてしまいますが、

私たちの生活に置き換えた時に、適応障害で心臓が苦しくなるほどに思い悩んでいる時というのは、『もう十分適応しようと頑張った、たくさん自分を守ろうとした、もうこれ以上は壊れちゃう』と、アラートを上げている状態だと思います。

自分に厳しいライリーが、自分に厳しくなりすぎた時に、ライリーの心を守るためにアラートを上げて知らせる…
シンパイはそんな役割も担っているような気がしました。


シンパイは少し損な役回りかもしれないですが、
ライリーにとって大切な感情の一部なんだと思いました。


私も心配ばかりが先行して、先々を見据えて今を我慢してばかりの子供時代を過ごしてしまっていました。


今になってようやく、先々のために我慢をして計画を立て続けて、
自分が幸せになる瞬間はいつ来るのだろうと気付いたので、(遅い笑)
「今」幸せになる行動を優先しようと意識的に変えていくことが少しだけできるようになりましたが、

それでもやっぱり、今も、仕上司のパワハラに遭ったとき、今後のふるまいを二手三手先まで考え続けてしまったり、仕事関係がやはり多いですが、あれこれ悩むことが本当に多いです。

私の中のシンパイも、先陣切って絶賛活躍中です。

だけど、そんな自分が好きになれる、不思議な映画です。


ライリーの感情の核はヨロコビ

『インサイド・ヘッド』シリーズでは、
ライリーだけでなく他のキャラクターの頭の中を覗くこともでき、
人間によって、脳の中心を担っている感情が違うことがわかります。


ライリーの中で中心にいるのはヨロコビで、
そのヨロコビが本作の中で「人は成長と共にヨロコビを感じる瞬間が少なくなっていく」ということを自覚します。


私たちの人生に置き換えた時、子供から大人へ移ろう中で、たくさんの複雑な感情が生まれ、また、楽しいことばかりでなく、理不尽な思いを経験することも増えていきます。


そうして、自分が最近いつ大声で笑ったか、幸せな気持ちになったか、思い出せなくなることもあります。

それでもライリーは自分の中心にヨロコビを置いて、13歳にまで育っているところに、
彼女の強さや、彼女が何を大切に生きていきたいかが垣間見える気がして、
前作よりもさらにヨロコビのことも好きになれました。

わたしももう大人になってしまいましたが、
ヨロコビを感じられる瞬間をこれからも少しでも多く作って、
わたしの中のヨロコビの出番を増やしていけたらいいなと思いました。




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