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教育業界のこれからを夢想する2/6

7月にこんな記事を書きました。

大分日があいてしまいましたが、再開しようかなと思います(次回の予定は未定ですが笑)。

今回の文章もとても長くなってしまったので、要約すると

・柔軟に課題に対応できる寛容さと力を持たないと教育の機会損失がめっちゃ生まれてしまいます。

・だから柔軟に課題に対応できる学びの場がこれから注目されると思います。

というお話。

前回のおさらい

前回のnoteではこんなことを書いていました。

・コロナで学校教育にいろんな課題が出てきました。どうしていいかもわからない、なかなか答えが出せません。

・コロナに限らず、現代は不明瞭で曖昧な時代です。その時代に対して、フレキシブルさと選択肢の多さが求められるようになるでしょう。

→課題の全てを一つの学校で解決するイメージではありません。「あちらを立てればこちらが立たず」なので「あちらを立てる組織」と「こちらを立てる組織」を分けたり選んだりすることもイメージの中にあります。

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・今は公立校or私立校という構図ですが、これから第三の教育の場がより注目を集めるでしょう。

・オルタナティブスクール、マイクロスクール、オンラインスクール、通信制などがフレキシブルであり、学習者が選択できる余地が多いからです。

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考えれば大学や職場は自分の判断で選ぶんですが当たり前っちゃ当たり前ですよね。

※公立校とオンラインスクールを併用するといった動きもイメージの中にあります。突飛なことを言っているわけでなく、複数の習い事を受けている家庭もありますよね。それに近いイメージかもしれないし、そのイメージを拡張しています。

コロナ×少子化

子どもが多かった時代は一人当たりに教育にかけられるお金が限られていました。しかし今は少子化の時代。一人当たりにかけるお金は増えています。

これから先は自分がどんな家に住み、どんなものを食べ、どんな風に働くかといった選択の中に「どんな環境で子どもを育てるか」ということの重要度がより増していくでしょう。また、後述しますが、コロナの影響は学校の課題を強く浮かび上がらせました。

そんな中、様々な選択肢が生まれてきています。

その中に先に挙げたオルタナティブスクール、マイクロスクール、オンラインスクール、通信制などがあります。

それって何?

「通信制は聞いたことがあるけれど、オルタナティブスクール、マイクロスクール、オンラインスクールって?」

と思われる方もいるでしょう。

シンプルに言うと文科省が定めている一条校(誰もがイメージする学校)以外の学校だと思ってください。(一条校は正確には『教育基本法第6条第1項に規定する法律に定める学校』という意味です。)

横文字が多いですが、考え方としてメジャーなのがオルタナティブスクールです。

オルタナティブとは「主流な方法に変わるもの」という意味合いがあります。

つまり、「オルタナティブスクール は一条校とは異なる独自の教育理念・方針により運営されている学校の総称」と考えることができます。その中に学校のサイズが小さい「マイクロスクール」どこでも学習できる「オンラインスクール」などがあるイメージですね。

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往々にして一条校よりも児童・生徒数、教員数が少なく、独自の理念と実践を持っている学校が多いです。

教育基本法に規定されないのがオルタナティブスクールの特徴なので、この点がフレキシブルさを担保する要因になります。また、往々にして児童・生徒数、教員数が多くはないので、一人ひとりとコミュニケーションが取りやすいということもあります。同じ価値観の元に集まるので教員と保護者・保護者同士のディスコミュニケーションも少なく、起こっても立ち戻る価値観があるので会話になりやすいです。

(もちろんデメリットもありますが、それはまた今度。)

フレキシブルさってそんなに大切?

話は変わりますが、コロナ休講中の話をします。

一条校を批判する意図はありませんが、今回のコロナでの休校ではzoomなどで授業を展開できた学校はごく一部でした。

スマホやPCをある程度扱える高校でも以下の割合。

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オンライン授業があった国公立高校はわずか9%。

小学校での割合は以下です。

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出典:新型コロナウイルス感染症対策のための学校の臨時休業に関連した
公立学校における学習指導等の取組状況について(文部科学省)

双方向のオンライン学習は5%。

現在自分も勤務校でICT担当をしているのですが、あの当時を考えると頭を相当動かして環境整備したことを覚えています。明らかにアドレナリンが出まくっていました。

自分の学校は私立で、自分もある程度立場あったので動かすことができましたが、国公立で動かした方は相当優秀だったのでしょう。尊敬します。

しかし、オンライン学習ができたかどうかが論点ではありません。

本当の課題は「目の前の課題を解決しようと動けた学校(組織)があまりにも少なかった」ことです。

小中学校は「義務」教育であるにも関わらず、中身の必要なアップデートがなされないのは本当に問題だと思います。

「義務」なのに中身がイケてないのは嫌ですよね。

(この「義務」は保護者が子どもに学習を受けさせる義務でありますが、その受け皿の一般的なものが一条校にあたります。)

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特に小学校では学校全体でオンライン学習に踏み切れた学校はかなり少なかったです。ICTに強い先生のクラスだけが行うこともざらにありました。

自分も含めて、公教育の現場ICTに関わらず目の前には課題が山積みです。自戒もこめてこの点は目を背けてはいけません。

強く言ってしまえば、コロナレベルの大きな節目でも「変わらないことを選ぶ」組織が多いです。

「このままでは世界の流れから置いてかれてしまう〜」「学校が世の中の実態と離れてしまう」なんて殊勝なことは言いません。

ですが、目の前の課題に対して何もしないのは気持ち悪い、というのが本音です。

その原因は

変われない要因の多くは学校側にもありますが、同時に「一部の」保護者にもあります。特に公立校にその傾向が顕著だと感じています。多くの保護者は教育に理解があることも併せて書かせてください。

ただ、「過度な」平等主義であること、学校・教員の失敗(過失ではなく事故)に対して「過度に」不寛容である(何か問題らしきものが起きたらクレームを入れ続ける)ことが行き過ぎると次のようなサイクルが生まれます。

①課題に対して学校が何かしら手を打ちたい。

②過失ではなく、事故が起こる。大きいものもあれば小さいものもある、また、事故のように見える事故でないものもある(誰も不幸にならないもの)。

③苦情が入る

④苦情を避けるために次回から「何もしない」ことを選ぶ。

また、全てが公教育に求められる現状にも無理があるんじゃないかと思います。

これが続くと、何かは起こり続けるのに「何も変えない方が何も言われないからいい」という機会損失のきっかけになることが多いです。

学校というのは機会を与える場と考えてもいいと思っています。その学校が機会損失を見過ごしているのは本当に悲しい。

自分がこう言えるのは理解のある保護者に支えられながら教育活動をできているからです。自分の能力が高いわけでなく、周りの方が理解がある、という相当幸運な教員人生なんだと思います。僕の受け持っている児童の保護者はこのnoteを見ていないと思いますが、この場を借りて御礼申し上げます。本当にいつもありがとうございます。

また、現在自分の勤めている学校は非常に優秀で若い先生方が多く、経験のある先生方もチャレンジングな姿勢を持っている方もいます。組織的にも柔軟なほうでしょう。ただ、コロナ休校時にすべての学校がそうではないことを知りました。もどかしかったです。

追記(2020/3/30)

この記事自体は公立校、私立校問わず一条校の先生方を批判する意図はありません。私自身が現場にいたからこそ現場の先生方の苦労も尊さもそして優秀さも理解しているつもりです。しかし、制度疲労が起こっていることは事実です。最適化を図りたいという一心です。


多くの文字を使って「柔軟に課題に対応できる寛容さと力を持たないと教育の機会損失がめっちゃ生まれてしまいます」と書きましたが、それだけだとネガティブなまま終わってしまいます。

私はむしろこの論点を発見できたことをポジティブに捉えたいと思います。

今後、この論点に答えを出せる学びの場は社会的にも、子どもにも、そして働く教員にもいいものになる可能性があるからです。

ネガティブな現状からスタートしたこの連続記事、次回以降の「教育業界のこれからを夢想する」ではできるだけポジティブに、「夢想」していきたいと思います。

残り4/6で書きたいテーマはたくさんあります。

第3の場の教育内容は?問題点は?具体的に今、どんな学校があるのか?etc...

いろいろ書いていこうと思います。お楽しみに。

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