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『親ガチャの哲学』(戸谷洋志著、新潮新書)

読了日: 2024/4/1

 「親ガチャ」という言葉を知りませんでした。流行語大賞のトップテンにも入ってたりもするらしいです(流行語に興味がないので…)。
親ガチャとは、出生の環境を選べないため、その環境は生後の人生に大きな影響を与えるということです(らしです)。
社会的成功(主に金銭面)は、自助努力によるものか、出生によるハンデがあるのかというマイケル・サンデルの講義を見た記憶があります。こういうことでしょう。

 自分の生まれた環境が好ましくないと感じる、または虐待など周りからそのように認識される、あるいはその両方から成長すると一部の人は、「無敵の人」(自暴自棄や、他者への暴力に対する自己責任のなさ)や、反出生主義(生まれてこないほうがよかった、という考え)などに結びつくことがあるとのことです。わかるような気がします。

 これらの考えを解消、または提言するためにはどうしたらよいか、というのが本書の主題です(第4章~終章)。
「親ガチャ厭世観」をもちつつも”自分の人生を、自分の人生として引き受ける”責任(能力)をにはどうしたらよいか。([余談]”引き受ける”という表現は、サルトルからか?)
 一つの考え方が、”「私」が「私」であることは、誰のせいでもなく、だからこそ、思うままにならない人生であっても、自分の人生だと思う”(ハイデガー)ことによって、自分の人生を引き受けるということです。
 もう一つが、「現われの空間」(他者との対話の空間)で他者と連帯し、自分(らしさ)を認識する(アーレント)ということによって、自分の人生を引き受けるということです。([余談]”自分らしさ”の認識は自身だけではできず、他者との関係性の中でのみ認識できる、と書いていたのは國分功一郎だったかな?)

これらの論考によって自己肯定感をもち、「親ガチャ厭世観」を逓減できるだろうとして、そしてその醸成・維持には(哲学対話に限らずとも)対話によって成し得る可能性があるというものでした。


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