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「フォト・リテラシー ――報道写真と読む倫理」(今橋映子著、中央公論社)
読了日: 2023/8/2
写真にかかわる:撮る人、制作する人、流通させる人、視る人のそれぞれの意図と感情がかならずしも一気通貫ではならないところがある。その原因はいくつかありそうだが、本書のテーマは以下の投げかけからはじまる(序章より);
・写真は、現実や事実を決して写せない。
・決定的瞬間など、この世に存在しない。
・ドキュメンタリー写真は、「やらせ」から出発した。
・世界各地の戦争や悲惨を撮った写真は、世界の現実を変えはしない。
写真は眼前の場面をリアルに記録する、という理解はカメラの原理的におおよそ正しいと思います。ゆえに、その機能を利用してコンストラクテッド・フォトというジャンルも成り立つのであろう。
特に報道写真分野では「決定的瞬間」という観念がいまなお横たわっていると思います。スクープ性を重視する(スクープ性の差異が報道写真の価値の差異と併置される)競争原理は理解できそうです。そして「決定的瞬間」ということがば流行るきっかけはアンリ・カルティエ=ブレッソンの写真集にあります。
アメリカでリリースされた英訳版のタイトルが「The Decisive Moment」と冠され、ここに決定的瞬間の起源があります。
一方フランス語版のタイトルは「Images a la sauvette」(仏語)です。「決定的瞬間」であることが本来的に間違いであることはその後認識されており(*)、仏語からの訳である「逃げ去るイメージ」が流通するが、これもまたまた誤訳であることを著者は指摘する。
(*英語版タイトル「The Decisive Moment」は英訳者(訳者は不明)が独自に書いた序論から採用されたものらしい)
著者は「かすめ取られたイマージュ」が適当であろうとする。逃げ去ると訳される<a la sauvette>はイマージュにかかるものではなく、撮影者の行為にかかる副詞句であるそうだ(著者の専門はフランス文学、比較文化研究)。
フォト・エッセイ(ライフ紙)とユージン・スミス、展覧会(「人間家族」展)などへの考察を経て、スーザン・ソンタグ「他者の苦痛へのまなざし」での戦争写真とその影響力について論考に触れる。
戦争報道、戦争写真は結果的に世界を型事実はないだろう(小生の知る範囲では)。けれども一定の影響力はあって、写真(静止画)は動画よりも良くも悪くも影響を与えうるという点において他分野でも参照されることのある著作だ。
制作者側の嘘やミスリードはやり玉にあがるものだが、視る側も鵜吞みにすることを避けなければならない。
「フォト・リテラシー」とは一般的ではなく、「メディア・リテラシー」という用語はメディア教育として欧米で一般化されているようだ。メディア・リテラシーとは、”市民がメディアを社会的文脈でクリティカルに分析し、評価し、メディアにアクセスし、多様な形態でコミュニケーションを作り出す力”を指すとのことです(序章より、「メディア・リテラシーとは何か」鈴木みどり)。
本書は今橋映子の前著「パリ写真の世紀」と重複する内容がおおく、新書でありお手軽(前著はとにかく重い…)なのだが、本書もどうやら廃刊になっている様子…、「パリ写真の世紀」も同様だが、もったいない。
【訂正】まだ販売しているようでした。