別に未来に2

何か始めるのに理由なんていらない話

僕は打算的な行動って面白くないと思うんですよ。

それって間違いかもしれないと疑心暗記だったんですけど色んな人に会って話してみて自分の中で確信に変わったのでその話をしたいと思います。

僕は「結果」を追い求め過ぎた

これの話は僕が本当に好きなことを出来るようになってから始まります。僕は今までは好きなことをする時間がなかなか取れませんでした。

でもそれも落ち着いて今は好きなことを出来る余裕があります。もうすぐ春休みですしね。授業がなくなるので気持ちも体も軽い気持ちです。

ちなみに僕がやりたかった事というのは...

グラフィックデザインをしっかりと勉強することです。僕は今までプランナーやイベンターとして活動することが多かったんですが、確かに考えることは得意だし慣れている...何より企画で喜んでもらえるのは好きだけど僕は手を動かせる人にもなりたいという気持ちが強かったです。

その理由は企画やリーダーをしているうちにみんながデザイナーとして成長している姿をみていて辛かったというのが大きかったです。

「デザインは好きだけど求められるのはいつも企画やプロジェクトマネジメントばかり...その間にみんなはどんどん上手くなっている。自分もデザインを良くしていきたいけど時間も気持ちの余裕もない...」

という風に悩んでいました。うちの学科で求められることをしていても別に褒められす感謝される訳じゃない。

自分は次第に何のためにやっているのかわからなくなっていきました。そういう状況にフラストレーションが溜まっていたのです。

これは自分にも悪いことがあります。それは僕は「感謝されるという結果」を追い求め過ぎたのです。ここは今回の記事の核になります。

僕が変われたのは好きなことに気づいたおかげ

そして僕は余裕ができたのでグラフィックをやり始めました。最近はそれをツイッター(@yoshito_media)インスタ(yoshito.e)に載せています。

SNSとの連動企画ということで「インスタ日記」も始めました。こういう企画をすぐ立てれる部分は今まで企画をしていた事が生きている気がしますね。

最近はこういうものを作っています。

こういう感じです。これをSNSに投稿したり周りの人にみせて反応をうかがっています。個人的に「可愛い」「映える」と言われるのが嬉しいですしこれをきっかけに人となりも見ていただけて嬉しいです。

グラフィックを作ることは別に誰かに言われたわけでも自分が将来のためにしている訳でもありません。

今の僕がただやりたいからやっているのです!

よく僕が友達から言われるのは「それはなんの為にやっているの?」「それはなんの意味があるの?」というセリフです。もう耳にタコが出来るくらい聞いてきました。

昔だったらなんのためだろね... って返しをしていたと思います。余裕が無かった時の僕は言語化する余裕がなかったのでそう言って流していました。

余裕が出来てからも同じようなことを聞かれる機会はありましたが「何のため」とか考えて行動するのってなんだか悲しいと今の僕は考えるようになりました。

そう!ここからが今回の話で僕が言いたいことです。

さっきの僕の話みたいに自分の制作に近くてお互いに高め合えるような関係にある人達といると「何のために」「どうして」と聞きがちだし聞かれることも多いんですけど...

本当に好きだったら理由なんていらないと思うんですよね。

恋愛と同じで好きって気持ちは論理じゃなくてフィーリングなんで掘り下げることは出来ても理屈で説明出来るものではないのです。

そして「好きだからやる」と思うことは全然悪いことではありません!これを僕は声を大きくして言いたいです。

手段を目的にしたって良いんです。だって好きなものはしょうがないのだから。楽しいからやるって事は人が何かをする上で強い原動力になります。

人が目的に固執してしまう理由

逆に何か目的があって何かをするのも良いとおもいます。僕も正直そういう側面もありますし、どっちも大事なことです。

では何故人が何かをしている時に「なんで」「どうして」と話したくなるのでしょうかね...と考えてみました。

それは僕がさっき話した体験の中に答えがあります。

うちの学科で求められることをしていても別に褒められす感謝される訳じゃない。自分は次第に何のためにやっているのかわからなくなっていきました。そういう状況にフラストレーションが溜まっていたのです。これは自分にも悪いことがあります。それは僕は「感謝されるという結果」を追い求め過ぎたのです。ここは今回の記事の核になります。

↑さっき話したこの部分です!ここに答えが書いているのです。

人は何かをやる時は結果ばかりを見てしまうのです。それは日本人は結果のために手段を選ぶという考え方に慣れてしまっているからです。

みなさんは受験ってしたことありますか?昔はだいたいみんな通る道でしたが今の時代ではそれが当たり前ではなくなっていると思います。

じゃあ受験のために勉強ってしましたか?または就職するために就活しましたか?テストで良い点とるために勉強したことはありますか?

つまりそういう事です。僕らは昔から「目的」のために「手段」を取ることに慣れてしまっているのです。義務教育を受けている人は必ずどこかで「手段には必ず目的がある」という事を無意識にしているはずです。

なので「何のためにやるの?」「どうメリットがあるの?」「それは何がそんなに良いの?」という結果ありきで考える癖がついているのです。

先ほどの話では僕は何故企画をしていたの?と聞かれると誰かに感謝されたいからとか、人に必要とされたいから、自分に価値を感じて欲しい...などかつての僕は答えるでしょう。

でも本当はそんな事考えなくても好きなことは好きなだけやればいいと思うんです。それが正のスパイラルを勝手に作ってくれるきっかけになります。

目的を大事にするか、手段を思い切り楽しむか

先ほども少し触れたのですが別に目的から手段を考えても良いし、手段を思い切り楽しむでも良いんですよね。僕はどちらも大事なことだと思います。

この話で言いたいことはまとめると以下の3つです。

①目的や理由がなくたってやりたいと思ったらした方が良い!
②別に目的→手段でなくても良い場合がある。状況によって使い分けよう。
③自分たち日本人は目的→手段の考え方に慣れてしまっていると知ること。

目的のために手段があることに固執してしまうと考えの幅が広がりませんし、それに捉われて身動きが取りにくくなります。実際余裕がない僕はその考えに捉われて生きづらかったです。

例えば企画やデザインで根拠を持って提案する場合は目的ありきでどういう手段を取るか?という考え方が合っています。また目的を立てて読書や勉強などをするとゴールを意識出来るのでインプットの精度が増します。

逆に新しいことを始めようとする場合は目的や結果を意識しすぎるとから回った時の落差は大きいですし、結果を達成されないとモチベーションが下がり続けます。

なので目的を大事にするよりもまずやる事...手段を楽しめるように場作りをすることが大事です。

そして手段を思い切りたのしむ考え方を仕事に持ち込めるとモチベーションは下がりませんし、良いものが作りやすくなります。

それだけでなく楽しいエネルギーがアウトプットにも影響して求められると自分の成長ややる気を外的要因に頼らず自分の手で高め続ける「正のスパイラル」が出来上がります。

どちらの考え方も大事なんです。僕は結果を求めすぎて好きなことを嫌いになって欲しくないですし、目的に固執しすぎて自分で視野を狭くしないことを願って今回の話を書きました。

大事なのは「過去」でも「未来」でもなく「今何をするか」だと思っています。将来の結果なんてその時になってみないとわからない。だから今自分が本当に望むものをして、結果じゃなく過程に自分の出来ることを注ぐことが大事だと常に考えています。

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