最悪の呪いは、レッテルを貼ること
木村覚さんの「笑いの哲学」という本を読んでいる。
その中で引用されていた、認知療法専門家のデビッド・D・バーンズの言葉で心が震えた。
「レッテル貼りは自己破壊的であるばかりでなく、不合理な考え方です。
あなたの自己はあなたの行為と決して同一ではありません。
人間の考え、感情、行動は常に変わってきます。
言いかえれば、あなたは銅像ではなく、川の流れなのです」
私たちは、レッテルを貼るのがどうも癖になっているらしい。
他人や自分の成功・失敗に、毎度一喜一憂し、すぐに名前をつけて縛りたがる。
仕事での失敗に落胆し、自分に「できない奴」のレッテルを貼る。すると、思い出される今までの人生の全てが、その「できない奴」のレッテルに引っ張られていく。
あの時のあの人の発言は、私にきっと失望していたからだろう。
あの日、あんなこともできなかったなんて、生まれたときから「できない奴」なんだ。
数々の失敗を引き出してきて、更にレッテルの強度を上げていく。
それを繰り返すうちに、自己認知がひどく歪んで、生きる価値をも否定してしまう。
しかし、そんな時こそ忘れてはならない。
たった一つの行動で全て決めつけられるほどに、人間は単純にできているか?
人間は、どんな形にも移り変わっていく。
常に流れゆく血を、再生する肌を、渦巻く感情を、
誰かの手で蝋のように固められてたまるか。
ましてや、自分の手で首を絞めていくなんて、悲しすぎる。
言葉は、誰かを縛り付けるレッテルを貼るために使うと呪いになる。
しかし、そこから誰かを解放するおまじないにもなる。そんな言葉を紡ぎたい。
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