夏油傑と五条悟
少年ジャンプに連載中のマンガ「呪術廻戦」をご存知の方もいるかと思います。このマンガはジャンルで言えば、バトル漫画 でしょう。しかし今回語りたいのは、その人間性、物語、そして呪術という言葉を持った日本的価値と日本観です
一先ず物語ですが、主人公は虎杖悠仁というやはり身体能力抜群で物語上超能力を得るのですが、それを凌駕する五条悟という最強キャラがいます。そして彼の友人に夏油傑がいます。 呪術というタイトル通り「術」を使っていく訳ですし、メインキャラは使える訳です。
ここで一旦筋書きは置いておきまして、バトル漫画や少年ジャンプという性質とそれを取り囲む社会を見ましょう
バトル漫画のインフレと物語性
多くの方は知ってるかと思いますがドラゴンボールを頂点とすると、バトル漫画はインフレが起き過ぎるとツマラナイ事が多いです(私はドラゴンボール教ですので悪しからず)。 その現象としてZ世代の”アニメ”ドラゴンボールでは悟空と相手が固まっているだけで成立している画が3~4割はあったのではないでしょうか?
これは何故起きたのでしょうか?
アニメの仕事やそれに付随するメディアミックスが形作られた時代であったように思いますので、詳しくないですが「一人の作家を消費し、消費者側にもそれを押し付ける」その様な現象だったのではないでしょうか?
私はアニメが詳しい訳ではないのですが、やはり面白いバトル漫画はジャンプのお家芸だなと思います。ただあの時代以降、つまりONE PEACE、NARUTOやBLEECHから色々変わってるのは事実でしょう。その結果、Death Note という世界を巻き込んだ物語が生まれたり、ハンターハンターはバトル漫画ではあったにせよセリフが大半を占めるようになったりしたでしょう。
そしてNARUTOはいつの日にか連載時に休載を挟み青年期という形で物語重視、一方BLEECHはその程度とは逆にバトル漫画の体を少々強引に押し切った感もあります
以後、代表的なバトル漫画は生まれてませんが、鬼滅の刃が生まれ同時期にこの呪術廻戦も誕生しています。
この際、バトル漫画の性質はどうでも良いのですが、近年のバトル漫画以外でも良いのですが少年ジャンプに連載されるマンガにおいて超長期連載はやはり少なくなっています。
理由は作家本人の力量というか作家自身の意向の強さが保たれている事にあるはずです。でなければ、旧来の様に作家を消費し続けるだけでマンガそれ自体の価値は失われ、能力バトルという意味不明なインフレが続くだけでしょう。
インフレが出来ない
そうですインフレをしてしまうと、ドラゴンボールという最強種と戦う羽目になります。それは少年ジャンプそれ自体に対抗することになります。これに挑んだ作品が 「銀魂」 でしょう。しかし銀魂はギャグマンガでしょう。後のアニメ・ドラゴンボール超 自体でベジータがアラレちゃんに言ってることを思い出せば分かりますが、サイヤ人も「お笑いには勝てない」のです
そこで生まれたのが、 呪術廻戦 だと思います。実はこのマンガ、色々なバトルモノのパロディをそう見せないように作品の中に色々含んでいます。そしてそれがキャラ本体やその能力そして物語にも潜んでいて面白いです
前述通り五条悟というキャラは 最強 なのです。能力で見ると
「六眼、プラスの最大能力とマイナスの最大能力、左記を合わせた瞬間移動や空間操作、そしてその風貌」
彼はイケメンで普段はサングラスを掛けていたり目隠しをしていたりします、どこかで聞いたようなキャラ設定ですね。
これだけ見てもやはりこの1キャラに全ての最強が詰め込まれてインフレを抑えてると思いませんか? あるストーリーでは同僚に「彼一人で良くないですか?」という言葉を言わせてます。これは結構重要ですよね。
そして友である 夏油傑 です。
実は、過去回想のストーリーがあってその中で夏油傑と五条悟の人間性を知ることができます。 呪術の名の下、主人公も後に入学する学校に夏油と五条そして本編でも出てくるサブキャラはここに属します。
過去回想を読み解け
この過去回は私としてはメインストーリーより面白いのでオススメしたいのでしっかり読んで欲しいのですが、そうでなくてもココが分からないと現在連載中のストーリーも疑問が起きるばかりです
少し話は戻り、インフレです。 ドラゴンボールの様に敵キャラや味方がどんどん強くなっていけばそれはそれでバトル描写では面白いです。しかしストーリー・物語でどう舵を切っていくか、それが難しくなるのが前述した通りバトル一辺倒になったりそもそも物語を少年ジャンプという雑誌に求められてなかった。そして2000年代から現在2021年までにかかった時間がその証明でありまたその頃の少年が大人になって未だにジャンプを読んでいたりしてそこに物語性を見出したりして少年ジャンプも変わったのでしょう。
そこでこの過去回の言葉の端々をチェックすると、最初はどちらかと言えば五条悟の方が悪者の様な言動が目立ちます。しかし物語が進むにつれて夏油傑は色んな疑念を抱くようになります。
特別な能力を持つもの以外は駆逐されるべきなのか
夏油傑は五条悟をそれこそ諭す位人格者であったのです。そして五条悟はあの時点で「ほぼ最強」だったので、左記の言葉「彼以外要らないのでは」という疑念が起きたりします。
しかしある一件を機に、夏油傑は変わります。彼は自分の信念を確かめるよう行動に移し、それは大きな力をもって夏油自身や五条悟とそれを取り巻く呪術界を変貌させるのですが、その一件の少し後に友である五条に会います。 そこで何もできないあるいはしない五条がコインの裏と表の様に証左となり夏油自身の変貌を確信にしました
呪術廻戦の少し前に皆さんもご存知 「鬼滅の刃」 が大ヒットしています。実は私は未だに読んでいませんし見ていません。あらすじをしってる位です。ただ言いたいのは、鬼滅の刃同様、作者も読者も私達はバトルものを望んでいないのかもしれないという事に加え、物語の100%の解の無い複雑性が価値を生んでいてそれを知りたいし求めている、という事なのではないでしょうか?
解の無い問を少年漫画にやらせている。これって凄いことですよね。しかもこの作品では、かなりの善人でNo.2であろう者が最悪に変わり死刑になる程の惨事を大々的に犯すまでが描かれています。
夏油の解に賛同するもの、それに対抗するという名目の旧体制の界隈、そこに身を置きながらも旧友の心も分かりしかも最強なもの、作品としてまた社会世相や批判を受けてまくる少年ジャンプという雑誌がこの作品をどうするのか分かりませんが、猿を野放しにするのかあるいは共に生きていくのか本当に難しいです
価値観はマンガでも変わるしマンガ自体も変化している
妖怪やスーパーヒーローが跋扈する空想・ファンタジーはとても胸躍るのですが、それは今自分が活きている社会の表れであることを知ってほしいと思います。 ただその価値観、その中の出来事もある一つの側面でしかないことであるというのも又真なのではないでしょうか?
少年少女がその年齢で受けた 「衝撃」 は計り知れません。 しかしその「衝撃」 はその時やその時期だけかもしれないし、それを糧にいつでも変われます。
実はその後、五条悟は以前の夏油傑の様になります。そして夏油が五条の凶暴性を引き受けて行くのですが、まだ連載は続いていて最後どうなるのか楽しみではあります。
夏油は自分の正義の為に愛を執行した。五条はその愛を受け入れる力が欠けていた。そういうだけなのかも知れません。だから教師になって後進を育てることにしています。
これって実は極めて日本的価値観そして何か 「呪い」 という言葉に繋がっていると思いませんか?
言葉は力 でも呪いではない
この作品がどうなるのかは分かりませんが、どんな人でも言葉に影響を受けるのは確かですが、影響を受けない人もいるのは事実です。 ただこの作品は呪いという言葉を使う以上それを主題にしないと成り立ちませんよね。
そしてこれが日本的価値観であるのは、日本語の持つ意味や伝統・文化と繋がっているはずです。 表意文字であったりそういう色んな事象が絡んでいるのは間違いないですし、英語など音声中心のOral Languageとは性質が異なります。そこを理解するとこの作品もさらに楽しめるのではないでしょうか?(あるキャラクターは声を操るのも興味深いです)
過去回を読み返す度、やはり夏油が悪かったのか、五条が正しかったのか、そういう流れはあるのですが、セリフを噛み締めると現在連載しているストーリーにどう絡んでいて、何故そうなるのか少し先が見えると思います。
大丈夫、言葉が必ず枷になる訳じゃない。振り回されず生きていけるよ、呪いじゃないんだから。
ネタバレが無かったことを信じてここで終わりにします