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#64 「おかげさま」は仏教の言葉?

感謝の気持ちを伝える「おかげさま」と言う言葉。
これは、仏教の諸法無我(しょほうむが)という教えに
つながっています。

「仏教の話、難しそう・・・」と思ったあなた!
「日常の当たり前」を違う視点で見ると、
あらゆることが尊く、改めて幸せを感じられるかも。
どうか最後までお付き合いください。



おかげさま

「おかげさまで、無事◯◯できました」
他者の協力やサポートに対して、
お礼を伝えるときに使います。

仏教の根っこにある「諸法無我」を
分かりやすく一言で言うと「おかげさま」です。


諸法無我とは?

【あらゆるものはそれ一つで存在しない。
すべては関わり合っている。】

具体的な例を見てみましょう!

具体例① 「私」という存在

「私」には、お父さんとお母さんがいます。
そして、お父さんにも両親がいるし、お母さんにも両親がいます。
その先にもずっとずっと、沢山の先祖がいます。
そのうちの1人欠けただけでも「私」は存在しません。

具体例② 「私」の肉体

私の肉体は「私」として認識しているはずです。
頬をつねったら痛いし、蚊に刺されたらかゆい。

この肉体は「私」だと思っているけれど、
60%は水分です。
そして肉や魚・野菜など、
毎日食べている物で体はできています。

そう考えると、「私ってどこまで?」という
疑問が出てきませんか?

具体例③ 今noteを書いているこの時間

私は、今noteを書いています。
あなたは、読んでいます。
この時間もあらゆる条件が重なりあって出来ています。

noteを書こうという気持ちが起こったこと、
noteというプラットフォームがあること、
インターネットにつながっていること。
さらにインターネットやパソコンを開発した人々がいて、
電気を発明した人々がいる・・・
数え切れないほどの条件が重なりあって支え合って、
noteを書くことができるのです。

一つでも欠けていたらnoteを書くという行動は実現できません。


偶然の連続

こんな風に考えてみると、
あらゆることが関わり合って偶然の連続で成り立っている。
日常の何事も尊く有難く思えてきませんか?

今日、出会う人・読む本・見る景色。
すべてあらゆる偶然が重なっています。


仏教の根っこにある教え、「諸法無我」をご紹介しました。
いつもの日常を、違う視点で見るきっかけになれば幸いです。

最後までお読みいただきありがとうございました。
素敵な1日をお過ごしください。




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