見出し画像

何かに依存しないためには、どれだけ手放してきたかが大切

30代に突入してから、「自分の積み上げてきたもの」について考えるようになりました。20代のころにせっせと積み上げてきたものは、30代でどう活きていくのか。また、30代で積み上げるものは、40代でどう活きていくのか。

そんなことを考えながらふと出てきた感情は、「過去に得たもの、積み上げたものに依存したくない」という思いでした。

これまで積み上げてきたものを感じるようになったからこそ、その本当の価値を考えるようになりました。

得たものを手放したくないという思考

人は何かを積み上げたり、手に入れたりすると、それを手放さないようにしようという思考が働きます。

例えば、年収500万のサラリーマンが、別の会社から年収1500万の給与を提示されたとしましょう。何か特別な理由や条件がない限り、転職を考える人が多いでしょう。

そして、自分が他の会社で年収1500万を貰えることは難しいと感じている場合、この会社から離れることは難しくなります。せっかく手に入れた「1500万円をくれる場所」を手放したくないと考えるからです。

これは一種の依存状態ですが、ここから逃れるには2つの考え方があります。ひとつは、自分の中のお金に対する価値指標を低く見積もること、もうひとつは、その金額に見合う自分になることです。

前者はマインドセットになるので、そう簡単に変えられるものではありません。下手すると、お金に対して穿った見方をしてしまう、よくない思考に陥ってしまう恐れもあるかもしれません。

後者は、自分の市場価値を上げ、「この場所以外でも1500万稼げる」という自信を持つことが、依存の脱却に繋がるという考えです。

当たり前のように感じますが、見方を変えると、依存とは「自分に見合わないものを手に入れていると実感しているとき」に発生するように思えます。もしくは、自分がそれに見合わなくなったことを、無意識下で自覚してしまっているとき。

もちろん、依存の対象はお金だけではなく、回りからの評価、その環境の居心地の良さ、意見の言いやすい人間関係など、さまざまです。それを手放すと、もう一度同じものを手にいれることが難しいと考えることで、依存状態が発生するのだと思います。

大事なものを手放す経験

大事なことは、「自分はそれを手放したとしても、もう一度手にいれる力がある」と思えること、もしくは、「手放したって構わない」という諦めでしょう。

しかし、頭ではわかっていても、得たものが大きければ大きいほど、手放したくないという思いは強くなりがち。だからこそ、手に入れたものが小さいうちから「得たものを手放す経験」をくり返すことが、依存からの脱却に必要な行動ではないかと感じます。

究極的には、経験なくして実感なし。
一人の自立した個人として、たくましく、カッコよく生きていくためには、得たもの以上に「手放したもの」の大きさが重要ではないでしょうか。

そして、あらゆるものを手放したとき、積み上げてきたものの真の価値が問われるようにも感じています。

30代になり、自分にはどんなものが積み上がっているのか。
また、これから何を積み上げていきたいのか。

適度に手放しながら、それでもなお色褪せない価値を、考えながら行動していきたいものです。

いいなと思ったら応援しよう!