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『正しい発酵食品の食べ方』『本物の発酵食品』という”強い”言葉に思う
最近、clubhouseで、発酵に関してルームを開いて、お話をする機会が増えました。(clubhouseやっていない人ごめんなさい)
そこで、『正しい発酵食品の食べ方』とか『本物の発酵食品』という表現に、思いのほか出会うので、私の基本的な考えを書こうと思います。
『正しい発酵食品の食べ方』『本物の発酵食品』なんて存在しないと思う
結論から言えば、『正しい発酵食品の食べ方』とか『本物の発酵食品』というものは、存在しないと思います。
なにをもって『正しい』というのか、なにをもって『本物』というのか。
例えば、『手作り』であれば本物なのでしょうか?『手作り』の純度が高い製造法で作られた発酵食品が『本物』なのでしょうか。それとも、『より古いやり方』で作られた発酵食品が『本物』なのでしょうか。それとも、原料基準で見て『国産原料』であれば『本物』なのでしょうか。
例えば、原料で見れば、国産よりは同じ県内産、同じ県内産よりも自社農場なら、より『本物』になるのか。あるいは、品種を種子の遺伝子レベルまで比べて日本の古来種だったらよいのか、そもそも『在来種』はどう定義するのか、、、突き詰めるとキリがありません。
『正しい発酵食品の食べ方』も同様です。古来からの伝統的な食べ方なら『正しい』のでしょうか。味噌や醤油なども利用法は時代とともにそれなりに変遷します。では、明治時代の食べ方が『正解』なのでしょうか。それとも、江戸時代が『正解』なのでしょうか。それとも、室町時代が『正解』なのでしょうか。あるいは『ひしお』と呼ばれていた奈良時代なら『正解』なのでしょうか。
あるいは、『正しい』とは、『栄養が効果的に吸収できる食べ方』の意味でしょうか。それとも、購入や製造時点まで含めて『環境負荷が小さく社会的に正しい』ことが『正しい発酵食品の食べ方』になるのでしょうか。
なかなか、定義の難しい問題です。
『正しい』『本物』という言葉の強さ
自分が今まで知らなかったこと、新たに知識に出会った瞬間というのは、大きくテンションが上がるものです。それこそが、『学び』へのモチベーションにもなると思います。
そして、そのテンションの大きさ、ときめきのようなものを表す言葉として、ついつい『これが”正しい食べ方”なんですね!』とか『”本物の発酵食品”に出会いました!』という、表現が口をついてしまいがちな気持ちはわかります。
ただ、いったん『正しい』『本物』という言葉を使ってしまうと、その裏返しで、その範囲に入らないものは『正しくない』『偽物』となってしまう。
つまり、それまでは区別がなかったのに、人間が『正しい』『本物』という言葉を使ってしまうことによって、そこに『正誤・真偽』が産み出されてしまうのです。
そして、『正しくない』『本物ではない』ものに触れている人、新たに『正しい』とか『本物』という言葉で定義されたものに出会っていない人が、『正しい』とか『本物』という言葉を耳にすると、不安や心配の感情の元になってしまいます。
つまり、『正しい』『本物』という言葉を使うことによって、たとえ、その気はなくとも、世の中に、不安や心配を産み出すことにつながってしまう危険もはらんでいるわけです。そのことに、自覚的ではありたいものだと思っています。
あえていうなら、私は『正しい発酵食品の食べ方』があるとするならば、『作った人、食べた人、どちらもが笑顔になれば、その時点で大正解』と思っています。
では、なぜ『正しい』『本物』という言葉が発酵食品に使われやすいのか。
その話は次回にしたいと思います。
【追記】次回はこちらに書きました
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