見出し画像

私の日曜日の装飾〜自由時間を手にした母親ってこんなもん〜

日曜日
静かな日曜日
静かな日曜日を過ごす
静かな日曜日をひとりで過ごす
静かな日曜日をパケ買いしたクッキーと好みのドリップコーヒーをひとりで味わって過ごす

こんなふうに自分本位な言葉で飾れる日曜日が唐突にやってくるようになった。

小さい頃からこれといってやりたいスポーツや習い事に巡り会わなかった娘と息子は、学校が休みの日は家で過ごすインドアな2人だった。
日曜日は目覚めた順にリビングに集まる。集まる場所がそこというだけで手にはゲームやタブレットを持ち、過ごすのは『個』の時間だ。グルキャンエリアに1人用テントを張るソロキャンパーのように、人の気配は欠かせないというわけだ。
誰かがつけたテレビ番組を誰かが見ているものと思い誰も電源を切らないテレビから流れる音をBGMに息子が打ち鳴らす忙しないSwitchの連打音と娘のタブレットから流れるダンス動画の繰り返すフレーズ。そこへ洗濯機や掃除機の音が入り乱れる騒がしい日曜日。それは小学生の頃の話。

中学生になると気まぐれな頻度で「個」が顔を出しはじめ各々の部屋で過ごす日が増える。
平日に追いつかないドラマをTVerで追いかける私は画面に夢中になるものの2階の部屋から聞こえる笑い声や、どたばたと歩く足音に無意識に意識を傾ける。友達と通話をしながらゲームを攻略することで面白さが倍増することを知った息子とゴールの見えない部屋の模様替えに勤しむ娘。人と関わることでアップデートし、終着点のないアップデートは次から次へとやってくるものだなと、2人の成長を感じながらTVerの10秒戻しを連打していた。

そして現在、華のJK17歳と受験を控えた思春期男子15歳。休みの日はもっぱら外出が増えた。友達と集まってマック、サイゼ、スタバ、マック、サイゼ、スタバをはしごし、昼も夜も毎回同じ場所同じメンバーでも楽しみは尽きない高校2年生。
自転車という自分史上最速の足で行動範囲を開拓し続け隣町から隣町までの図書館をはしごすることを受験勉強の息抜きにしている中学3年生。
子供たちのやりたいことが家の外に増えたことに伴い、私は家でひとり過ごす時間が持てるようになっていた。

あっという間だよなんて周りは言ってもそうは思えなかった。繰り返しの毎日の中で、忙しなさと楽しさ、充実感と焦りを味わいながら、私の時計の中心には子どもたちがいた。日時計の軸のように長く、影に隠れることの無い部分だった。
あっという間ではないけれど突然やってくる。それぞれの矢印が外側を向いていて、静かに流れるひとりの時間が。

コーヒーが冷めないうちに飲み切ることができる。
見た目ほど美味しくなかったな、とクッキーを残念に感じる。
どう使おうがどう思うが自由な時間。

冬の夕暮れは太陽が低く窓から差し込む光が眩しい。ちびちびとコーヒーを啜る私を、まるでスポットライトを浴びせるように黄色く照らしていた。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集