ちょっとし短歌【揚げ物の】
揚げ物の
出来が重さで
測れると
知った四十路の
成長記録
今回のちょっとし短歌は以下文章のタイトルにもなりそうです。
ーそれでは、どうぞっ。
(登場人物、あ、人間は私のみ。あとは白身魚フライ、とキツネとタヌキ。)
揚げ物の出来が重さで測れると知った四十路の成長記録
テレビでひとつ星シェフがリポーターに聞かれていたのを思い出した。
ー揚がり具合はどう判断してますか?
ー箸で持った時の、重さですね。
ずっと前から、中学生の頃に家庭科の授業で習ってからずっと、揚げ物の判断基準はひとつだと思っていた。
〝きつね色になったら〟だった。
きつね色の基準が生み出すもの
キツネなんて見たことないから授業の時にはしりとり絵本に出てきたキツネのイラストを想像し、大人になってからというものは赤いキツネのお揚げの色を頭に浮かべ、パチパチと跳ね上がる油を見つめていた。
たいてい不安になる。
『これはもう、揚がっているのか?』と。
キツネにも色んなキツネがいるじゃないよ?と。
色での判断基準しかもたないと、こういった無用な胸騒ぎが発生する。
まぁもう少し、としばらく経って裏返して見たときには、大抵愕然とする。
そこでパチパチ音を立てているのはきつね色じゃなくタヌキ色となった茶色い衣の塊りなのだ。
ズボラかつせっかちな私は揚げ物を傍で見ているなんてことができない。そんな暇じゃないわ、と思ってしまうのだ。
本当に暇じゃない時は、暇じゃないわなんて思わないのに、揚げ物の最中は思うから不思議だ。
けれど、この日は違った
ふとあのテレビ番組を思い出した。
重さでみるなんてプロのなせる技だろっと考えながら、色の変わり始めた白身魚フライを菜箸でつついていると、色で見る行為と重さで見る行為には、決定的な違いがある事に気づいたのだ。
重さでみるという行為は、素材そのものを想像しているんだと。
白身魚が生物(なまもの)のとき、その身はまだ水分をしっかりと保っている。油の中で熱をまとい身はキュッと引き締まり水分は軽くジューシーな旨味となって衣の中に包まれる。
そのときの重みの違いを菜箸で感じるということなんだ。
今まで揚げ物の何を見てきたんだろう。
キツネとタヌキの狭間で、何度ものぐさな後悔を繰り返してきただろう。
もちろん気づきだけではない。
実際に菜箸で掴んでみたとき、感じることができたのだ。
『あ、軽いやん。』と。
そこには良い頃合いに揚げられた白身魚フライがあった。
色はもちろん、素晴らしいきつね色だ。
まだまだ成長過渡期
30代後半にして誰かの当たり前のことが私を感激させ、私の揚げ物スキルが向上し、今後の私の調理ノウハウの当たり前となる。
成長の種なんてどこにでも転がっているものだ。この歳になってそれを見つけられたことに感謝し、あのテレビ番組を偶然見ていた自分にグッジョブをした。
重みを感じる楽しさにとらわれ、揚げ物の傍を離れなかった。
全ての白身魚を揚げ終え、お皿を持ち上げた時の重さにまで感動する事態。
他の食材の重さのビフォーアフターをも感じたいモードになってきていたのだが、それはまた、今度でいいだろう。