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2024年夏のこと

2023年の夏。
ぼくにはロクに仕事がなく、家賃も支払えず、携帯も止められていた。
体の具合も悪かった。今すぐに死にたいと考えていた。
辛くて怖くてしんどい、そんな夏だった。

2024年の夏。
前年の秋よりどんな巡り合わせか正社員という肩書きを得た。
入って数分でとんでもないところに来てしまったと思ったが、また夏の苦しい日々を思い出して
あれはもうごめんだという思いから心を無にして真面目に勤務した。



2024年6月。
それまでも信じられない理不尽を目の当たりすることばかりだったけれど、ついにそれが自分にも。
詳細は省きますが、自分の信条似合わないことを強要する業務。
思想の自由を奪うような気持ちの悪い業務が回ってきたことをきっかけに会社を辞めた。


我慢できたらそこそこ楽に平日をのらりくらりと過ごし、自由な休日を満喫を続けることができたのかもしれない。
でも、無になって伏魔殿のような会社に取り込まれた方々と同じ目線で同じように過ごす苦痛は心を蝕む。
辞める前から仕事探しはなんとなくはじめていたので迷うことなく辞めた。

辞めてすぐにスポット的な案件を受注した。
額面的には高校生のお小遣い程度だったが、何かが決まるスピードを思って先の展開に期待した。
何年振りかで心も体も穏やかな日々を過ごすことができた。

2024年7月。
今月のうちに何か決まるだろうとたかをくくっていた。
現実は、エントリーするもことごとくはじかれる。
面接さえも受けられないような状態。
自分の探すフィールドにおける耐用年数・・・。
ぼくの年齢はもうニーズがないのかもしれない。
あるいは自分には才能がないのかもしれない。
そんなことを考えつつ探してはエントリーして落とされる日々を送る。
スポット的な案件は契約こそ続いているものの待機状態で何もなし。
当然報酬もなし。

焦りが生じる。
自分には明日の生活費もおぼつかない状態がずっと続いている。
同じ世代の方々と比較すればかなり惨めでみっともない。
あの人たちはどうして持ち家があったり、幸せそうな家族を持っていたり、
クルマを所持していたり、定期的に旅行したり、自由なお金を持てるのだろう?
旅行?
そういえばもう何年もしていない。いや、費用がなくてできないのだ。

心が暗くなっていく。
落ちていく。
今夜眠ったらそのまま目覚めずに死んでいたらいい。
そんなことをずっと考えている。

2024年8月。
それは月を跨いでも何も変わらなかった。
昨年の夏の悪夢の再来か?
でも今年は突然心のあり方が変わった。

「ありのままの自分を受け入れる」とかなんとか。
いくつかの本や投稿?などで目にしてきたワード。

ありのままとはなんだろう?
見栄とか世間体とかそういうの全部取っ払った上で残る自分の姿。
それこそがありのまま、なんだろうか?
そこで立ち止まっていたのが今までの自分。

結局のところ自分がどうありたいのか?
いま。
ここ。
ゼーガペインの中でもハッとしたセリフに「いまここしかない」ってのがあって。
最近読んだ本にも同じこと書いてあって。
過去も未来もない。
感じられるのは今ここだけって。

今現在も大きく変わることは何一つない。
ないんだけど、不安な気持ちも焦りも全て並列になった状態を眺めているような感じ。
大丈夫、なんとかなる。
今までがそうだったように、きっとそれ以上になんとかなる。
そう考えてしまう自分がいる。

評価も賞賛も何もないけれど、日々音のスケッチを作って投稿すること。
150日以上も途切れずに続いている。
その継続が自分に何か変化を与えているのかもしれない。

今もエントリーしては落とされる日々。
保証会社から連絡が来ているけれど、先の話が何もできないので今は無視してしまっている。
実に情けない状態なのに、平気だと思える自分。

果たしてやりたくもないことをお金のためを言い訳にして働く必要あるのかな?
この先のこの世界、自分が今まで経験してきた世の中の仕組みや流れのままいくのかな?
大きな地震で、どこかからの攻撃で、新しい接種を受けた方々の影響で、この世界が今まで通りに続くとは思えないのです。
そんな状態の時に自分のためにならないことのために時間を費やして誰が得をするのだろう?
自分は少なくともまったく得をすることはないんだよな。
とか考えている。
誰かの得になることをしても自分が削られるだけなら意味ないんじゃないか。

少し一般社会から外れてみると勤労の意義がどこにあるのか、それは自分を殺してすることなのか、なんてことを考える。
働きたくないんじゃない。決まらないからと妥協してやりたくない仕事をして過ごしている時間はもうないんじゃないの?という思い。
長生き願望もサバイバルする気概もない自分は、災害があるなら生き延びたい誰かと率先して変わってあげたいと思っている。

20代の真ん中あたりできっと今の苦しみを50代あたりで振り返って懐かしく思うんだろうなって思っていたけれど。
そんなこと全然なくて。
今もまるで解放されずに苦しいまま。
自分の人生ってなんだったのかな?
両親はなんでぼくを産んだの?
息子に絶縁される未来を知っていましたか?
知ってたら産んでないよな。

生きたいという思いはない。
死にたいという強い思いもない。
自死を選択することもできない。
そんな風に何十年も生き延びてしまった。

明日死んでもいい。
今もそう思っている。
だからさ、せめて死ぬ前に一花咲かせたいじゃない?
散々だったけど最期に報われてよかったねって思いたいじゃない!

明日どうなっているかもわからないけれど。
考えられないけれど。
過去も未来もない。
いま。
ここ。
そうやって生きています。

それがぼくの2024年の夏。

生きていたらまたたまに報告のようなつもりで書きます。
あ、日々続いている音のスケッチもきいていただけたら嬉しいです。

最後に一言。
「すべてはうまくいっている」

引く人多数笑
それ以前にここまで読む人はいないだろうけどね(苦笑)

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