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母の桃色のカーディガン。

" 見て!この写真!これも、その前の年のこれも、あ、小さい私を抱っこしている時のこの写真もだ!母さん、毎年このカーディガン着とるじゃん!!”



きゃっきゃと笑い声をあげながら、昔のアルバムを何冊も引っ張り出して笑う妹。母はその隣で微笑んでいた。



私の母は、毎年冬になると必ず着ている桃色のカーディガンがある。私の記憶が正しければ、私が小学校低学年の頃にはすでに着ていたと思う。

薄いピンク色をした毛糸に、金色の大きなボタンが2つついたカーディガン。毎年大切そうに着ているが、年々毛玉も増え、お世辞でも素敵だねとは言えない、もうボロボロのカーディガン。



「母さん、まだこれ着てるんだね。いい加減捨ててもいいんじゃない?新しいの買ってあげるからさ〜」


就職して1年目の時、久しぶりに帰省した実家で、その年もその服を着ていた母に、私はこう言った。


「そうだね、このカーディガン、かれこれ20年は着てるね。みんな大きくなって、自分で稼ぐようにもなったから、そろそろ新しいセーターでも買ってもらおうかしら!(笑)」


母は嬉しそうに微笑んでいた。





それから5年。

その年も、タンスの奥から桃色のカーディガンを引っ張り出している母がいた。



「このセーターね、死んだおばあちゃんが、嫁いだ時に編んでくれたんよ。いろんな思い出が詰まっとるんよ〜、あんたが小さくてわんわん泣いとった頃も、これ着とったね〜。」



そうなんだ。


このカーディガンにそんなストーリーがあったなんて知らなかった。

ふと、私がまだ実家で生活していた学生時代、このカーディガンを羽織っては夜中までリビングで仕事をする母の後ろ姿が目に浮かんだ。



小学校の教員で、日々夜遅くに帰っては、お腹をすかせた私たちにご飯を作ってくれ、夜中は2時・3時まで学級通信やテストの丸付けをしていた。時に背伸びをしては、「ファイト!ファイト!」と眠たい目を擦りながらほっぺたをパンと叩く母の後ろ姿をいつも見ていた。


決して贅沢はせず、三人の娘を育てるために一生懸命身を削って働いてくれていた。自分自身のおしゃれや趣味は後回しで、私たち三人娘には何でも好きなことをやってほしい、と夢を全力で応援してくれていた。





母の桃色のカーディガンから、私たち三人娘への多くの愛情を感じるとともに、亡き祖母の娘への愛をも感じ、非常に胸が熱くなった。







2019年4月。

姉が嫁いで5年。ついに今年、妹が結婚する。


三姉妹、皆別々の名前になり、決してもう同じ家に住むことも、同じ苗字になることもないだろうけれど、私たちはこんなにも素敵な母の元に生まれ育った仲間。

まだまだ未熟者だけれど、三人手を取り合って、助け合いながら、皆それぞれに成長していこう。



母のように強く、愛情深く、そして何よりいつも明るく笑顔でいよう。




結婚式の準備のために積み上げられた昔のアルバムを見ながら、一人物思いにふけた夜だった。





「 大切な大切な妹よ、

  結婚、本当におめでとう。

 あなたの幸せを心から祝福します。」






Yumiko 



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