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明晰と混沌 -システムアウェアネスの経験-
Overview
コンサルタントをやっていると、社内の会議でも顧客とのミーティングでもとにかく明確な意見を論理的に話すことが求められます。世の中の書籍を見ると「ロジカルシンキング」はコンサルタントのお家芸のように扱われています。プロジェクトの中でも直感的に「これが答えだ」と感じている仮説を生煮えのままに出すと無視されたり、ボコボコに叩かれたりします。「論理的に正しくないこと/明晰でないことは言ってはいけない」そんなプレッシャーが組織には蔓延しているように思います。
わかりやすい文章を書きたいと願っている私は、やはりこの「ロジカルである」ということにこだわりたいと思っています。しかし、一方で何か新しい閃きを得るときはいつも、モヤモヤする不明瞭な思考の中からであるということも知っています。先の例でいえば、お互い答えがない中でクライアントに生煮えのアイデアを投げながら「あーでもないこーでもない」と話しているうちに急にその課題解決の方向性を見出したりすることは多く経験しています。
今週はその「明晰に書くこと」と「モヤモヤとする混沌を通して考えること」の2つを極端に感じられました。
Readings
『考える技術・書く技術』バーバラ・ミント著
うまく書くとはどういうことだろう、どうすればうまく書けるのか。というのが最近のテーマです。この本は、コンサルが入社時に読むことを推奨されることで有名ですが、明晰な文とはなにかということのヒントが満載だと思います。
この本を読むと、読者を迷わせずに明確に自分の伝えたいことを伝えるためには、構造的に整理された文を書くのがいかに重要かがわかります。まず文章の書き出しは、状況の描写と問題提起(状況が複雑化していること、解決しなければいけない課題)をしっかりと伝え、読者を今後展開する文章の世界に引き込むこと。そして、一つの大きなアーギュメントを詳細に説明していく論理のピラミッド構造を作り上げること。これが基本的な考え方です。
ただ、これは読み手がわかりやすい文章を書く時の視点であることを忘れてはなりません。一般的に物事を考えるときは演繹的な論理思考であることはほぼなく、雑多なアイデアをグループで整理し、そこからぼんやり見えてくる仮説をうまく言語化し、検証していくという地道で遠回りなプロセスが欠かせないからです。それを忘れ、いきなり明晰な文章を書こうとするのは無謀なことなのだろうと、改めて思いました。
『誰よりも、うまく書く』ウィリアム・ジンサー
ノンフィクションライター、ジャーナリストとして活動する著者による世界中でヒットしている文章読本。とにかくシンプルに書くことを思想の根本としています。また読者を読ませるための、驚きやユーモアというものを重要視しており、確かにアメリカ人らしいユーモアが満載で、くすりと笑わせてくれます。(たくさん出てくる大統領に関するジョークを除いて)
印象的なのは、「プロの作家ですら最初から書きたいことが決まっているわけではない」「だからこそ、書いては構成を考え直し、書いては簡潔にするために無駄をそぎ落とすのが重要」といった旨の説明です。とにかくプロの文章家は泥臭いことをしている、と。
上述のバーバラ・ミントでも感じたことですが、明晰な思考・明晰な文章の裏には泥くさい作業や遠回りがあり、それに対し粘り強い取り組みができる人のみが人に読んでもらえる文章を書けるのですね。そもそも書きたいものを見つけ出すには、ある種混沌とした右も左もわからない中で闇雲に模索することが重要なのではないでしょうか。
Events
ウェルビーイングをつくりあう対話の実践を考える(Soar社ワークショップ講座)
第四回「システムアウェアネス/ワールドワーク」 講師:横山十祉子氏
そして、このシステムアウェアネス/ワールドワークがまさに現実の混沌に向き合い、整理されていない事象に対して何か意味づけを試みることの代表の一つだと感じました。
現実は複雑で認知できていないシステムで動いています。それを構造的に理解することは大変難しいことです。自分の主観が常に入り、視野は狭くなるし、同時進行で起きる事象をすべて把握することは難しいからです。システムアウェアネスまたはグループシステムワークは、そういったシステムの構造を明らかにする手法の一つと理解しました。
そのシステムアウェアネスではウェルビーイングをどう捉えるか。これが講師の横山氏の説明です。
自分の存在の源とつながりながら、自分の多様性とその全体性を知ろうとし
他者や世界との違いと多様性を知ろうとし、
それらを大切にしながらも自分自身を生きようとすること
余談ですが、この「自分の存在の源」を知るというところは先週聴講した熊谷晋一郎氏の当事者研究とも近いと思いました。当事者研究は自己を正確に見ようとすること(「自分のコナトゥス」を知ること)だということをお話していました。
さて、ワークショップの実践は初心者にとってはかなり混乱するものでした。あるシチュエーションを設定し、その中のロール(≒ロール)を色々と経験するというものです。Aという意見を言った後に、すぐに同じ人がBというロールにうつり、反対の趣旨の発言をするということが、特に規律やルールもなく自由に続いていきます。参加者はとまどうばかりで、発言すらも難しいという状況でした。そもそも、相反する意見を同じ口から発するというのは違和感もありますし、とにかく自分がなにをしているのかわからなくなってくるのです。
しかし、根気強くその場を感じながら、自分の発した言葉やほかの人が発した言葉の意味を理解しようと努めていくと、モデルとして設定されていた空想のはずの登場人物の奥深い人間性が立ち現れたり、背景に見えなかったけど存在していた心理的背景や社会的背景が見えてきたりしました。これは、カオスに耐えながらも色々な立場を短時間に経験したからこそなのだと思いました。
もし、どちらかのポジションに立って意見を言うディベートであれば、その論を納得させることで目的を達成できますが、このワークではその場の全体性と多様性を理解することです。この混沌的なアプローチこそが理にかなっているのだなと感じました。
正直、この経験を簡明に説明することは難しいと思っており、この文章はまたどこかで書き直さなきゃなという感じなのですが、この整理されていない現実に取り組んでみる感覚は忘れずにいたいと思います。
Good Buys
ルージュベックのだいぼうけん
鎌倉の仕掛け絵本専門店で、ビビッと来て買いました。
素晴らしい絵本には大人の好奇心もくすぐられる。
Experiences
とある大手メーカーの人事執行役員が人的資本経営の取り組みについて話していたことが心に残りました。
その方の考えでは、外部の圧力があるからといって性急に施策を導入することは、今まで作り上げてきた組織の強みを破壊する恐れがあるので慎重にならなくてはいけないということ。個人のマインドや組織文化、そういった強みがあるからこそ、これまで企業を存続させてこれたのだからそれは特に大事にしなくてはならないということです。
これは今読んでいる『庭の話』で言及されているクレマンの作庭思想、「できるだけ合わせて、逆らわない」というものとも関連してきそうだと思っているので探究していきたいテーマです。
なにかと開示だのダイバーシティだの外部圧力が強くなり、コンサルタントはそれを利用してお金を稼ぐこともできますが、その企業にとっての最善を考え続けられる者でありたいです。