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過去の記憶は、即自的なイマージュのような形で、現在の運動と知覚行為に関わるだけではない。むしろ、メルロ=ポンティが主張するには、後者の進展により、前者は捉え直され、別の形に姿を変える(「変形」)。つまり、過去のイマージュの蓄積が現在の運動に関わるだけでなく、現在という時制のなかで物を見たり触れたりする人間の知覚行為が、過去のさまざまな記憶――そして、そのあり方や存在理由――をそのつど編成し直すのである。ベルクソンの時間論とその分析方法を評価しつつも、メルロ=ポンティは、「記憶
人が、現在という時制のなかで、ある一定の運動を達成する時に、彼は、記憶・イマージュの無限の蓄積のなかから、無意識的に、特定の記憶を選び出している。そして、行為上で、そのイマージュを表現(「表象」)する。この時に、記憶・イマージュの無限の連鎖に、ある一定の枠組みと制限が設けられる。他方で、現在の運動と知覚が遂行され記憶のなかに保存されることで、今度は、記憶・イマージュの蓄積が増幅し、新たな運動と知覚を算出する。 澤田哲生『メルロ=ポンティと病理の現象学』(人文書院、2012)
ベルクソンが説明するには、すでに経験された様々な出来事は、過ぎ去った出来事として消失するのではない。人が現在という時制のなかで物を見たり触れたりする時に、これらの出来事は、その人の行動を、ある一定の習慣という形で、支えることになる。現在という時制における人間の行動に関わり続ける過去の記憶の集積を、ベルクソンは「記憶・イマージュ」と呼ぶ。他方で、人間の運動メカニズムは、記憶の集積に従属しているだけではない。 澤田哲生『メルロ=ポンティと病理の現象学』(人文書院、2012)