言葉が出てこない、意見が出てこない.. なぜ...?
こんにちは。ちゅうようと申します。
最後まで読んでいただけると嬉しいです、ということは.... 言えないです。。 むしろ恥ずかしい.. などと思っておりますw。。。
そんなぼくが今回書かせていただいた記事は以下ですm(_ _)m
言葉が出てこない。考えを言語化できない。。 という時ないでしょうか?
ぼくは、ふと思考が止まる時があります。言葉が出てこない。自分の意見が出てこない。人の求めているものの本質が理解できない。
例えば、何か今やっていることを良くするための意見がほしいと言われた時、他の人はその本質を理解して、自分の中から自分独自の意見を外に出すのに自分は出てこない。。 なんでだろう... と、悩んでいました。 人と関わる、会話するということや考えて言葉にしていく作業、 こういうことができていなかったからなのだろうか... と。
コミュニケーションにおいては以前主治医の先生から、「できるようになるには、できなかった期間の倍かかるものなんです」というようなことを言われました。
一人が好きだしそれでもいいかな.. とも思っていましたが、このままでいいのかな... と自分を疑うと言うか、違和感を覚えてもいましたが、 誰かからの誘いがあっても断り、やっぱり一人を選んでました。
ですが、ある日
「このままだと何の成長もできないまま終わってしまう。自分が変わらないまま終わってしまう。そんなのはいやだ。」
変わらなければと強く思い、そこから様々な場に行くようになりました。
最初はものすごく緊張ました。でも訓練だと思い、色んな場所へのきっぷをポチポチっとし、身を削られに行ってました。(この苦手なものに触れていって段階的に慣らしていく訓練法を「エクスポージャー」と言います)
自分はここにいていいのか、場違いかな、などアタマに浮かんでいましたが、それでも行き続けることで少しずつ慣れていき、以前のような緊張はしなくなってました。
でも、参加させていただいた場で、いろんな方のお話を聞いているうちに 「あれ... 自分、何の意見も出てこない....」 ということに気づきました。これはかなり凹みました(- -;)
これはまずいと思って、参考になりそうな本を読んだりしてみましたが、良くなっている実感はなく。。 「おー...どうすれば..」とモヤモヤしてました。
人の集まる場に行って、積極的にコミュニケーションをとる、というだけで解決できるわけでもなさそうで... もちろんそういう場に参加し続けて会話をし続けてるうちに考えを少しずつ言語化できるようになってきたと思うのですが、皆さんを見ていると「自分なにか違うな..」という違和感..
言葉が出てきているけど、何か、こう... しっくりこない感じで。。
そうして、先日とあるものを見て、やっとわかりました。
やっぱり自分は考えてなかったのだと。 そして、インプットするばかりでアウトプットしてこなかったんだと。 こんな当たり前のこと今の今までわからなかったんです。
確かに人と話すことも大事だし、雑談は脳の訓練にもなる。 だけどそれだけじゃ自分の思考を言葉にできない。 物事、自身のこと、他人のこと、考えて想像をめぐらせて、その考えを言葉にして、
それをしていなかったから、言葉や意見なんて出てくるわけありません。
そして、インプットばかりで、仕入れたものを誰かに話したり、こうやって何かに綴ったり、あるいはSNSで発信したり、インプットしたものを吐き出すというアウトプットをしてこなかった。
ようやく気づきました。
お会いする人たち、なんであんなに物事の本質とか人の指示の意図を理解して動いたり、提案したりできるのだろう。 なぜ、その人が求めているものをすんなり理解できるのだろう、 なんであんなに言葉が、考えが出てくるのだろう、と思っていましたが、
当たり前にアウトプットをし、なおかつ自分の内側についても外側についても深ぼって考えて、それを言語化してきたからじゃないかと。。
お会いしてるうちに関わっているうちに自分は何も持っていないとただ凹むばかりで自分は何の能力もないのかと打ちひしがれたりして。
でも、このことについてはようやく原因がはっきりしたので、ようやく抜け出すスタートラインに立てたかもしれません。
まず何をするか
教わったこと、それは、2つで
①「物事について、なぜ?と問いかけ深ぼっていくこと」 ②「学んだことを自分の言葉で誰かに説明する」
①のように日々起きる出来事や物事において「これはなぜこうなったのだろう?」と一つでも2つでも深ぼって考えるということをし続け、そうすることで本質を見抜く力が身につく。
あのお店は景気が良い→なぜだろう? レモネードが流行り始めている→なぜだろう? 上司に怒られた→なぜだろう?
と、何故と問かけ、深ぼっていって抽象化する。これを続けていれば、1の出来事から10学べるようになると。(この場合の抽象は、「本質を見抜く」とか「散らばってるものを一つにまとめて誰にでもわかるように単純化する、大事な部分(要点)を抜き出す、という風に捉えてます。私見なので間違ってたら都度修正しようかと。)
②はいわゆるアウトプット。 インプット1アウトプット3の割合が良いということを以前聞きましたが、全くできていませんでした。。 そして学んだことを自分の言葉で人に話すことによって抽象的なこと(具体的にどういったものかわからないもの)を具体化する訓練になるからです。
ただ本を読んだり、講義を受けたりしてるだけでは言葉を覚えてるだけで、、それで頭が良くなったと感違いしてるだけでただの自己陶酔になってしまいます。(自分そうです..(-_-;))
自分の言葉に変換して誰かに伝わるように話すことは自分が理解できていなければできないことですし、 そうやって理解して「自分の中」に落とし込めたということは自分の言葉にできていて、それは思考を言語化できたということですし、 結果、これはすごく良い訓練になっているのだろうなと思います。
物事の抽象(ぼんやりしたもの)を具体化して言葉(文章や誰かに説明すること)にする訓練を続けていれば、
本質を見抜いて、その時何を求められているか理解することも
目の前で問題が起きたときスッと物事を抽象化(要点を捉えて本質を見抜く)して問題解決につなげることも、それについての意見ができるようになることも
考えても考えてもできなかった自分の思考を言語化することもできるようになると思います。
しかしまだ知っただけ。
まずは、この訓練をして自分がどう変わっていくか、成長していくか、自分で自分を試してみようと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?