雨が降っていてよかった
「あの子より、私のほうが絶対あなたを幸せにするよ」
「うん。俺もそう思う。だけど、ごめんね」
最後の会話をしながら、令和の時代に浮気現場に遭遇することなんてあるんだな、と呑気に考えている私がいた。この時点で彼への気持ちはとっくに冷めきっていたけど、彼の心の中に少しでも爪痕を残したいと思ったのだ。
誠実に愚直に、仕事もプライベートもうまいこと両立しながら生きているのに、まるで正反対のあざとさにまみれた女の子に勝てないなんて。
「彼が会ってくれるなら、私はどんな関係でも会い続けたいです」
「私を選ばないという言葉を聞きたくないので、もう帰ります……」
って、バカか。いいから黙ってそこに座ってろ。彼がどんな結論を出そうとあなたにくれてやるし、そもそも同じ人間に"選ばれる立場であること"に違和感を持てよ。
狭い部屋に大人三人が均等な距離を保ちながら座り、一時間ほど話し続けるあの空間はまさに地獄だ。「俺が悪い。君は何も悪くないから」って当たり前だろ、こっちは何もしてないんだから、お前もバカなのか。
彼の部屋に置いた私物が紙袋にまとめられて部屋の隅に置かれているのも、行くたびになぜか歯ブラシが隠されているのも、棚の下に落ちていた知らない女性からの手紙も、洗面台のつけまつげも、不自然にこない連絡も、気づかないふりをすることだってできた。
それでも私は今日、少しの不安と圧倒的な確信を持って、彼の部屋へ行ったのだ。案の定、夜勤の仕事をしているはずの彼と、見知らぬ女の子が、そこにはいた。
私だって彼のそんな部分に気づきながら、何もしてこなかったわけではない。大容量のクレンジングシートを置いたり、パジャマを置いたり、お揃いの服を買ってプレゼントしたり、写ルンですを二つ買って部屋に置いたりしていた。
私だけじゃなくて、その女の子も気づかないふりをして過ごしていたのだ。かわいそうに。しんどかったよね。きっとあなたはこの先も、彼と付き合っていく以上、しんどさを抱えて生きていくことになるよ。お先に失礼するね。なんて、ちょっとだけ負けず嫌いを発揮しておく。
話しているときには出なかった涙が、彼の部屋の玄関を出て、一人になった瞬間に溢れ出る。でも今日は雨だし、傘をささなければ、誰にも私の涙はバレずに流れていくだけだ。家につくまでは思い切り泣いてやろう。何度も通ったこの道を、完璧なメイクをして、さりげなく香水をつけて、お気に入りの服を着て歩くことはもうない。さよなら、よく頑張ったけど負けちゃった私。
大丈夫。君と別れた私はもう、さっきまでの私より幸せだから。