病気になって唯一ラッキーだった事。○○時代だったから

こんばんは。

今回は、私が病気になって


唯一ラッキーだった事


について書きます。


それは、

発症時が「中学生」だったこと。


この1点です。

本当にこの1点だけなのです。

まずは「自律神経失調症」と診断された訳ですが、「自律神経失調症」は少しわかりずらい病気です。

私の場合は、色々な症状が出ました。






題名の通り、ラッキーだったのは発症時期です。


それでは、詳しい発症時期を発表します。


それは




中学3年生、2学期の始業式の日です!


この日にちは、ばっちり覚えています。
場所も、一緒に居た人も、何をしていたかも、全部です。

それ以降は、詳細は覚えていませんが…


そして、いわゆる

不登校になりました。


卒業までの、約半年です。


なので、ラッキーだったというわけです。


欠席日数も100日程に収められたと思います。


そして!

日本は、中学までは

義務教育なので、留年せず卒業できたのです。


発症が、半年遅れていれば

通っていた中学校と似たような高校に進学して、
病気になっていたら、

留年→退学

になっていたかもしれません。


もしかしたら、楽しく通えて、今とは違う人生を歩んでいたかも、しれませんが…。

病気にならないのが最良ですから!



私がラッキーだったのは、


不登校にならなかったら、受けなかった高校に通えた

という事です。


私は教師という人たちが嫌いでした。


高校では

大好きな先生にたくさん出逢えました。

恩師です!


恩師なんてものには、程遠い場所にいた私ですが、


あ〜こういう先生を恩師と呼ぶのだなぁ〜と思ったのです。

他にもたくさんの経験を、させていただけましたし、


今している事に、直接繋がっているのです。

(↑とは書いていますが、私はうつ病の無職です。)

はい。

詳しくは、追々。


中学の担任は

そこは落ちるから、受けない方が良い。

と言いました。


それを振り切って受けました。


不登校だったので、面接練習などもせず受験しました。



普通だったら、落ちたと思います。


私は恵まれていました。


母が学校を研究して、どうしたら受かるか考えてくれて、

普通に高校を選ばなかった


のです。

その高校は、不登校の人が多い学校ではなかったですが、懐が深かったです。

入学してから、

私の受験に対して、会議が開かれた


事を、後にききました。


OKを出してくれた、先生方に感謝です。


まとまりがつかなくなってきたので、今回はこのあたりで終わりにします。


最後にお伝えしたいのは

ラッキーだったのは、発症時期だけ!という事です。


病気には、なりたくないです。
今も、うつ病なので本当になりたくないんです。

不登校も、病気も本当に辛いです!

なので時期だけ!
不幸中の幸いというお話でした。


ご覧いただき、ありがとうございました。


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