好きで明るくなれるのなぜ?
鬱っぽかった今週もレッスンはしっかり行ってきた。鬱のせいか寝付くまで1時間かかり、中盤が非常に眠かった。しかし、興味あることなら寝るわけには行かず、なんとかして踏ん張れた。踏ん張れたどころか元気になって帰れた。
今週のビッグニュース
1限のダンスレッスンでは、点呼するついでに「今週のビッグニュース」という話題を振られた。
タイミーやって嬉しかったこと
コナンのリアル脱出ゲームの話題
など出たが、僕が挙げたのはこれ。
黄色い万博電車を見れたこと。阪神電車乗って神戸三宮駅に着いたら、発車寸前のところを目撃した。電車の扉が閉まっていたが、ホームロープが下がっておらず、ギリギリ発車をカメラに収めることができた。
ちなみにこの電車の愛称は「Dialogue Train」。奈良県出身の映画監督河瀬直美さんがプロデュースし、「対話=Dialogue」をモチーフ。
「最近、あなたは何色ですか?」
など、さまざまな問いかけが広告枠に掲示されている。
近鉄奈良線をメインに京都線、橿原線、阪神直通列車で出没する。
嬉しいことばかり
他のレッスンも嬉しいことばかり
自己PRスピーチを考えてたらたくさん出てきた。
輪になって印象を言い合ってたら、言いたいこと言えた。
先生から貪欲だと評された。
鉄道好き仲間から、インターン合間に撮った京急線、北総鉄道、京成線の写真を見せてもらった。
パーソナルカラー診断→オータム/イエベ
ずとまよ当選&嬉しい再会
全部のレッスン後、スマホのメールを開けると「ずっと真夜中でいいのに。(ずとまよ)」のライブ抽選結果発表。大阪城ホールの1日目(4月28日)が当選していた。
お、ライブ当たった。
というボソッとした一言から少し話も弾んだ。ずとまよのステッカーをスマホケースに見せつけていたメンバーもいて話したこともあった。
「(7月の)フェス来てた?」と聞かれた。
(フェスは行ってなかったが。)
ずとまよで言えば、インスタで嬉しいDMをもらった。
送り主は母校の大学に隣接する短大の1個上の女子の先輩。一度だけ、別の先輩の卒業メッセージを募るため、ツイッターで声をかけられたことがあったときに面識があった。面と向かって会わないまま卒業したものの、僕はインスタをフォローしていた。僕がずとまよを好きになってからその先輩もファンだとわかって、ずとまよのアリーナライブ「叢雲のつるぎ」も見に行ってた投稿もコメントして絡んでいた。
しかし、リアル、インスタともに絡みがなく、一旦はフォローを整理されて外されていた。何人かにフォロー解除されたり、ブロックをサイレントでされるなど慣れているし、僕もたまに断捨離で整理することがあり、よくある話。
しかし、謝罪して再フォローまでされるのは夢のような話だ。結婚前の旧姓由来の愛称も僕は覚えていた。こんな嬉しい話は久々だ。
仕事でのリミッター
1週間ぐらい、鬱で自己犠牲的な考えがループしていた。1人でいるし、やっぱり好きなものを話せるとなると僕のリミッターが一気に緩む。
逆に、バイトの場合は
「仕事の話or愚痴を話さないといけない」
「仕事に興味持たないと嫌われる」
というリミッターがかかって、何も話さなくなる。「今日の天気」などの雑談すらスベるかどうか気にする。「ねぇねぇ聞いてよぉ」みたいなタイプでもない。
仕事をしていて何がわからないかわからない。
無意識に気を遣う。
どこを目指してるかわからない。
コミュニケーション、人間トラブルが怖い。
他人が自分の懐に入ってくると自分は楽しくなる。怒鳴った上司の1人も「レッスン何してんの?」という質問からすごく楽しく話せたのが自分でも露骨にわかった。
仕事ではなぜできぬ。
この1週間は人生で1、2を争うぐらいに鬱だった。高校生や駅員のバイトなどいろんなところで鬱になってきたが、今回もまたしんどいもんだった。
ただ、今回ばかりはnoteがあるだけ冷静になれているとは思う。過去になったときはどうしても話す人がいないし、ツイッターに呟けば、いじられるか批判されるかのどっちかだったし、自己否定の感情が過ぎるぐらい出てた。
noteならば、文字数多いし、見てスキしてくれる、コメントしてくれる人が多い、否定されることもない。あとは年齢による経験値もあるかも。
興味あることなら戦えるが、そうでないと戦意喪失。怒られることを強く嫌って、感情が暴走しまくる。こういう自分を1人では知れたつもりだが、近い人ほど知られにくい。それ以前にココロの問題でカウンセラー以外で肯定される機会がなさ過ぎる。自己責任と思われやすいもんだと聞く。こういうことならもっと誰かを頼りたいけども、それで拒否されるのも辛いもの。
とりあえず、レッスンに関しては後からでも聞けるし、仕事の都合、体調不良で休む人も多い。「頼れるならシフト変わらんでもええかな」と思いが変化した。
ボーカル、ナレーションレッスンの先生が言ってた「なんとかなる」の精神そのものかもしれない。