【中国の偉人を知る】溺死寸前の友達を救った少年は、どう成長したのか~中国語絵本翻訳シリーズ「司馬光砸缸」
こんにちは。
「中国語絵本を翻訳してみよう」シリーズの第三回目をお届けします。
今回のお話の主役。
それは古代中国・北宋の政治家である司馬光。
彼がまだ幼い子供時代のお話です。
■司馬光なんて知らん
「知らん人の話なんて興味ないね」って方が大半だと思います。
なので「ふーん」で終わる話より。
本題のまえに、個性的なお話を一つ紹介しましょう。
当時、科挙という官僚採用試験がありました。
この試験がとても難しく。
中でも最難関試験の「進士」は、よわい五十代の受験者がワンサカいるほどでした。
この試験に合格するためには、やはり子供の時から人一倍。
いや十倍も勉強しなければいけないのです。
そこで幼い司馬光は「表面がツルツルした筒状の枕」を使おうと思いつきます。
これで眠るとどうなるか。
ぐぅー…と眠り込むと、枕がコロンと転がる。
そしてゴチン!と頭をブツけますので。
深く眠ることなく、すぐ起きれてしまうワケです。
「熟睡できないなんて身体に悪そう」と思うのですが。
寝る間も惜しむほどの努力家が司馬光という人なのです。
この故事を「円木警枕」といいます。
ちなみに、周りに五十代の受験者が大勢いる中。
司馬光は普通に二十歳で進士に合格しました。
そんな彼の幼少時代、一体何があったのでしょうか。
ぜひご覧ください。
■「司馬光砸缸(意:司馬光、缸を叩き壊す)」の本編
それは中国の昔々。
「北宋」と呼ばれている時代。
司馬光という、それはそれは立派な人物がいました。
彼が子供の頃。
現代まで伝わる、ちょっと危ない出来事があったのです。
ある日、司馬家の庭園。そこに(司馬)光を含め、遊び仲間の男の子たち五人。
皆そろって捉迷藏(目隠し鬼ごっこ)をしていました。
ある子はしゃがみ込み、鬼の手を避けながら、声を掛けて呼び寄せたり。
また別の子は鬼の近くにいながら、背後にそろりそろりと回り込んで、ゾクゾク感を楽しんだり。
司馬光は一番の年長でしたが、手を叩き「こっちこっち」と屈託なく笑っています。
みんなとても愉快に遊んでいました。
仲間の中でも臆病な子。
彼が捕まらないようにこっそりこっそり、築山に登っています。
「さあ、ここならもう安心だ!ここまでおいで!」
登りきり、2本足で立ち上がったその子は自身満々です。
築山は、子どもたちの身丈より高く、大きな岩で出来ていました。
たしかにここなら捕まらなそうです。
人工的な園林といえど、あたりには竹林や芭蕉が生い茂り。
かたわらには、水の満ちた大きな水缸が、さながら湖のようでした。
すべてが大きく見える子どもの目には。
泰山や黄山の絶景とは程遠いものの、これはこれで中々満足感のある景色です。
しかし、足元は少しフラつきます。
中国庭園の築山「假山」に使われる岩は平たくありません。
奇岩という、仙郷を思わせるゴツゴツ尖った、変わった岩も多かったのです。
「あ、そっちから声がしたぞ!捕まえてやる!」
鬼役の子は、まるで見えているように、築山の上を指さして近づいてきます。
「ありゃ!?なんでわかっちゃうんだよ!」
上にいる子は焦り、ついつい後ずさり。
しかし、焦るあまり、そこが築山の上だということを忘れていたのです。
「「「ドボンッ!」」」
築山の上から真っ逆さま。
満水の水缸の中へ、男の子は落っこちてしまいました。
これには司馬光たちもびっくり。
「なんだ!?なんだ!?」
鬼役の子も大きな水音にびっくりして、目隠しをもぎ取ります。
子供たちは、たちまち大慌て。
落ち着きのない子は、あちこち無闇に走って大人を探します。
他の子は大声で叫びました。
「助けて!助けて!友だちが水缸に落ちちゃったよ!」
水缸からは水しぶきが絶えず溢れています。
水缸は子供の足がつかないほど深く。
落ちた子は全身を水中に埋めて、バシャバシャ溺れ続けているのです。
このままでは死んでしまいます。
この危急の中。
司馬光だけは冷静でした。
水缸に手を当て、どうやって助けようか考えているのです。
しかし、それはほんの一瞬でした。
司馬光は即座に、水缸近くの築山へ、パッと回り込むと、グイグイよじ登ります。
水缸のフチまで来ると、力いっぱい手を伸ばしました。
それでも、短く小さい子供の手では、とても届きません。
いっぱいいっぱいに広げた自分の手指の間から。
唯一見えるのは、水面の上を飛び出しもがく両手のみ。
バシャバシャ。
心を焦らす水しぶきも、司馬光の指先をひんやり濡らすだけでした。
仲間の子どもたちは、さらに慌ててふためき、脅えています。
彼らも優秀な家の子供たちです。
日頃から学問を教わり、こんな緊急事態に遭った時の心構えを学んでいます。
しかし彼らは幼く、全てを忘れてしまったようです。
どうしたらよいのか……。
頭がいっぱいいっぱいで、何も分からなくなってしまいました。
大人を探していた子はさらに遠くに駆け出すも。
司馬家の庭園は広く、あたりはしんと静まりかえって、為す術がありません。
ついに、大声で叫んでいた一人は、ぺたんとお尻をつき。
わんわん泣き出してしまいました。
ところで、助けるのに失敗した司馬光。
まだ冷静さを失っていません。
きょろきょろ周りを見渡し、もっと良い方法はないか考えます。
彼の目にチラッと、大きな石が、何気なく映りました。
すると突然、ぱぁ!
薄曇りの眼の前に、光明がキラキラと輝き出します。
そうです。
友だちを救う方法を見つけたのでした。
駿馬のように駆ける司馬光。
地面に転がる大きな石に飛びつくと。
力を振り絞り、持ちあげました。
重たい。
重たいですが頑丈そうな石です。
足をガクガクさせながら、石を抱きかかえつつ、水缸まで運びます。
「おいおい、何やってるのさ……」
周りの子供たちは、彼の目的の検討がつきません。
キョトンとしながら、不安そうに見守っています。
司馬光は冷や汗をたらたら流しながらも、水缸にたどり着きました。
「ここで焦ってはいけない……」
そう考えた司馬光は、口元を引き締め、体勢を整えます。
水缸に狙いを定めると、振り子の要領で思いきり石を引いて、えい!。
「「「ガツン!!!!!ガシャン!!!!」」」
全身全霊の力を込めて、何度も何度も水缸へ石を打ちつけ、壊し始めたのです。
「今の音はなんだい!?」
大人を呼びに行き、離れた場所にいた子。
水缸が壊れる凄まじい音に驚いて、駆けつけて来ます。
その子も、無駄足になった絶望感を忘れ、予想外の状況に呆然とするばかりでした。
「「「ブシャーーーーーッ!!!!」」」」
子供が出られるほど、大きく割れた穴から、中の水が噴き出します。
水は怒涛の勢いで避ける暇なく、穴の目の前にいた司馬光はびしゃびしゃです。
当然周りの子たちもズブ濡れになってしまいました。
しかし、こうなることは分かっていた司馬光。
まったく冷静沈着な面持ちです。
焦りひとつ見せず、穴越しに中の子どもがどこにいるか、見つめています。
ただひとり。
鬼役の子だけは水缸の背後にいたので、あまり濡れませんでした。
取り乱した気恥ずかしさもあってか、自分の頭をなで、心のなかで呟きます。
「あーなるほど、石は水缸を壊すためか。やっぱり司馬光は賢いなあ」
しばらく経つと。
水の流れに乗って、溺れた子が横になって出てきました。
司馬光は上半身だけ抱き起こし、立て膝にもたれさせます。
「大丈夫か!助かったぞ!しっかりしろ!」
子どもたちはみんな心配して声かけたり。
飲んだ水を吐き出させようとしています。
「ゲホッゲホッ……うぅ……」
溺れていた子は目が虚ろになりつつも、意識はあるようで。
大事には至らない様子でした。
座り込み泣いていた子も、すでに冷静さを取り戻しています。
彼は遠くから走ってくる、たくさんの人影を見つけました。
「おーーい!こっちだよー!でも助かったんだ!おーい!」
あの壊れた水缸が放った大音量を聞きつけ、大人たちが駆けつけてきたのでした。
ことのあらましを聞いた大人たちは、みんな親指を立て司馬光を称賛しました。
「たしかに水缸や水も貴重なものだが。人の命はもっと大切なものだ。
『義を見てせざるは勇無きなり』というが、小光(司馬光)の決断はただしい。
危難にも慌てず、責めを恐れず、何が一番大事なのか。
それを忘れず、冷静沈着に友を助けた気骨は、本当に立派だ!」
大人たちは自分の子どもだけでなく。
多くの子どもたちが、司馬光のように育って欲しい、と。
冷静さを失わず、思いやりと勇気を兼ね備える。
そんな人間になって欲しいと願いました。
その願いの強さが、このお話を各地に広め。
現代にまで伝える事になったのです。
■成長した司馬光はどうなったか
以上が司馬光の子供時代の逸話です。
すごくいい子ですよね。
司馬光はこのまま性格が捻じ曲がることもなく、努力を怠ることもありませんでした。
最も有名な功績として、全294巻からなる歴史書の大著『資治通鑑』があります。
幼少期から歴史好きだったらしく、やり甲斐があったのかもしれませんね。
トラブルがあり政界から一度退いたものの、最終的に宋の宰相になりましたし。
やはり「立派な人」であるのは間違いないでしょう。
司馬光の死から四十五年後。
日本にも多大な影響を与えた朱子学の創始者・朱熹も、司馬光をこう評しています。
しかし、司馬光について語る時にはずせない要素があります。
実はその要素こそ。
これまで丹念に丹念に「素晴らしい人」として紹介してきた司馬光。
彼の賛否が別れる点なのです。
それが「旧法派と新法派の政治的な争い」です。
当時の北宋では。
平和維持のための軍事費や外交費により、財政が圧迫されていました。
また平均すれば庶民の経済状況は向上していたものの。
実体は年々格差が広がるばかりだったのです。
早急に改革が必要だった中、新法派の主格となったのが王安石でした。
王安石は変わり者でありつつも、深い教養を備えた人物であり。
司馬光との仲は悪くなかったのです。
しかし、改革の必要性は感じつつ、穏健に勧めたい司馬光と。
急進的な法案を打ち出す王安石は、激しく対立しました。
私見ですが、どちらが悪いという事はなく。
司馬光の考えにも一理あり、王安石の施策にも失敗がありました。
司馬光も王安石も、志の高い立派な政治家であることは間違いないのです。
ただ、彼らの死後。
旧法派と新法派の政争は、徐々にその本質を失い。
ただの権力闘争へと様変わりしてしまいました。
末期には悪官が台頭。民衆反乱も頻発。
国家の弱体化から外敵の脅威にも対抗出来なくなります。
そして滅亡へ……。
二派の争いが、これら凶事の原因になってしまったのです。
もちろん国家の滅亡には多面的な問題がありますし。
「これが無ければ何とかなった」とは言えません。
私個人的な評価であれば。
司馬光はその資質として善良に生き、善良なまま天寿を終えた人物と言えます。
しかし、一方の面から見れば「国家滅亡の原因を作った悪人」だと見なされることもあるのです。
実際、現代的な目線だけでなく、当時を生きた前述の朱熹からしても。
司馬光と王安石の評価は難しいものがありました。
改革が必要になった時点で、国家の衰亡は始まっているのだ……。
私はそう思います。
その犯人を求めて「司馬光は尊敬に値しない」と評されるのは、大変惜しいことではないでしょうか。
■あとがき
今回は有名な話で、知っている方も多かったかもしれませんね。
日本のお寺系WEBサイトでも多数掲載されています。
絵本ということで、実際の文章はもっと短いものでした。
これまで翻訳した絵本2作に比べ、だいぶ短かったです。
短いのは中国語勉強には大変ありがたいんですけど。
文章だけの読み物にしようとすると、異様に淡々としてつまらない…。
そんな物になってしまいました。
なので、今回本編の六割は、絵本の「絵」から読み取り、膨らませた想像を大幅に付け加えています。
これは翻訳というよりも。
絵本を下敷きに、脚本を書いたのと変わらない気がしますが……。
本質はこの故事の素晴らしさを伝えることにあり。
つまらなくても、翻訳した文章を見せることではありません。
なにより読んでくださった方に楽しんでいただき。
司馬光の故事を通した人々の思いが、少しでも心に残っていただければ幸いです。
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