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名脇役な声

この記事はこの記事の続きです。

コンプレックスだった低くてしゃがれた声。
それを変えてくれたのは 


カラオケボックス

高校に入ると、カラオケボックスは結構普通に高校生のお小遣いでも気軽に遊べるエンターテインメントとして普及しました。

すると、一緒にカラオケに行った友達から

「歌う声と喋る声、全然違うねー」

と言われるようになりました。当時デーモン閣下っぽく歌う事にこだわるうちに自己流の声の出し方が身についたようでした。

そして更に、私は軽音楽部だったので年に二回(4月の新入生歓迎ライブと9月の学校祭)ライブの機会がありました。私達のグループでボーカルをしていたTが放送部と兼部していた為、自分達のグループだけは放送部メンバーが撮影に来てくれるのです。

それまでもカセットデッキが登場して録音機能が珍しく妹とカセットデッキに向かって話をした事がありましたが、自分の話し声は自分で聞こえている声とは全然違い、しゃがれてガサガサの声をしていて子供心にショックを受けました。

それが自分の歌声をそのライブビデオで見た時

・・・ん?

違和感ない。

私の声は頑張って声を張らないとしゃがれて遠くまで通らない声ですが、「マイク」という音響機器を通す事で、機械の力で私の声は通っていて、しかも細かい雑音のようなシャラシャラのカスレを、マイクがイチイチ拾ってなくて、それなりに真っすぐな「聞ける声」になっていました。

当たり前の事ですが、カラオケボックスが普及するまで、一般人は生声だけの勝負でした。学校の音楽では、どちらかと言えば合唱風の声の出し方を教えてくれていると思います。腹式呼吸は喉を傷めない為には必要だと思いますが、口を大きく開けるあの歌い方で、色んな歌謡曲の持つ情緒を歌い上げるのには限界があるように思います。

そんな訳で、私のしゃがれ声を聞きやすい声に変換してくれる魔法の機械「マイク」様様は、私の心を捉えて離しませんでした。

デーモン閣下を目標に練習する中、私のカラオケレパートリーは聖飢魔Ⅱ一色でしたが、勿論それは誰の前でもそれでいいワケではありません。

気心知れた友達の前では、聖飢魔Ⅱだけ歌っていればよくても、会社の先輩、上司がいる席などでは通用しないので、その時々でわざわざCDなど買わなくてもしょっちゅう耳にする程、ちまたで流行っている歌は、他の人とカラオケに行くと耳にする機会が多いので、聖飢魔Ⅱ以外はそうやってカラオケで流行の歌を覚えました。

なので私は敬愛する聖飢魔Ⅱや、好きなアーティスト(ラウドネスやSHO-YA)以外のレパートリーは、ラップから演歌まで男女問わず結構バラバラです。

その時流行っていた歌が例えばAと言う歌ならAだけ知ってて、同じ歌手が歌うBと言う歌は知らないと言った具合です。

こうしてストックした「流行歌レパートリー」は香港に来てからも役に立ちました。私は営業として毎日のようにお客さんを連れて韓国人クラブに通っていたからです。

しかし

私の声はある日突然出なくなりました。2005年の事です。私はその頃サクラーの記事で書いた通り、毎晩地下鉄がなくなるほどに残業続きでした。今思えば免疫力駄々落ちだったのか、常に風邪をひきっぱなしのような状態で、いつも咳をしていました。

その時の風邪は毎日激しく咳き込み、ひどく痰が絡みました。咳き込んでも痰も切れません。

何かウイルスとか肺炎とか、今更SARS?!と思って、西洋医も漢方医も何軒も医者をハシゴして診てもらいましたが治りません。

終いには日本の医者に「パニック障害だから治りませんよ。咳を治療しても咳以外の症状で出てくるだけです、会社を辞めない限り」(注:サクラー記事に記載)と言われる始末。

咳のし過ぎで喉を傷めたのか、香港の空気の汚さでとうとう喉がダメになったのかわかりませんが、それ以来①喉が急に「ギュー」っと収縮するような感覚になって声が全く出せなくなる、②自分でも「あ、咳が出る!」という前触れを感じない突発的な咳が出てその後声が全く出せなくなる、という発作が度々起こるようになりました。

①でも②でも5分程放置すると、ぎゅっと縮こまった喉がゆるゆると解けてくる感じがして再び声が戻るのですが、一旦それで声が出なくなると、5分くらいは完全に声が出せなくなってしまうので、仕事の時にそうなるとプレゼンの途中でも「ちょっと声が出ません」というエクスキューズを入れる事さえ出来なくて本当に困り果てました。

すると、こんな風になるまで気持ちよく思い切り出していた声が懐かしくなりました。思う存分、狙った音を狙った大きさで狙った長さで出せていた爽快さ

別に誰が評価してくれるわけでもない、ただ「自分で気持ち良く歌を歌える事」が、こんなにかけがえのない事だったなんて。

失ってから気づく大切さ (←ありがちなヤツ)

その後、父の病気の世話で長期帰国していた時、私が突然喋れなくなる事を心配した母が、ある時人の評判を聞いて「すごいお医者さんがいる」と見つけてきたお医者さんは患部を直接刺激するのではなく、患部に繋がる経絡を刺激する「皇法指圧」という施術をするお医者さんでした。


初診の時、その指圧のお医者さんは私を見るなり

「ありゃあ~、こりゃ身体のあちこちが詰まってしもとるわい。エライこっちゃ。もう少し遅かったら死んでしもうとったかもしれん。」

あ~・・・そう言えば前にもそんな事言われた事あるな~。

(注:この時はこのカッサの秋先生はもう亡くなられていました)

そして施術を受けると、私は「再び呼吸ができるようになった」気がしました。酸素がどわ~っと身体に取り込まれて「どんだけ息できてなかったんや?」と思いました。

日本にいる間に、と母と一緒にそのお医者さんに通い続けました。
私も母も施術を受けるようになりました。私の喉はこの指圧の施術でみるみる良くなり、母の身体もだるさが取れて身体が爽快になったと言っていました。

今も喉は弱く、声量は昔の半分以下に落ち、伸ばす音の息も続かなくなりましたが、カラオケ一人当たり一時間くらいなら普通に楽しめるほどになりました。が、時々喉が絞られて2分ほど声が出せなくなることもあります。

バンド活動を再開してから私はコーラスも担当するわけですが、元々キーの狭い地声はそれなりに歌を歌っていないとすぐにまた出にくくなってしまいます。でも使い過ぎると喉が痛くなってしまいます。

ライブ前などで練習頻度が上がり、練習で力を入れ過ぎるとライブ当日には声が潰れてしまって出せない・・という失敗も何度もありました。

そして私の声は誰もが認める「母親と同じ声」なのですが、母は晩年になるまで、地声のキーの狭さからカラオケという事をほとんどしてきませんでした。すると元々が通らないぼやけた声は、年と共にどんどんボヤケて行きました

母は歌う事を趣味としてこなかったので、喉を開こう、音域を広げようとはしてきませんでした。

その結果、「声を張る」という事をほとんどしないで来たので、地声で喋るとしゃがれた通らない声が相手に届かないのです。何かを喋っても一回で分かってもらえる事がほぼ無いくらいの状況です。

同じ声で長年親子な私でさえ聞き取れない事もよくありました。

私は歌が好きで「声を張る」事を早い段階で覚えてやって来ましたが、近年私も年のせいか、素でしゃべると聞き返される事が多くなりました。「声を張らないと聞き取ってもらえない」のです。

これまでは歌う時だけ声を張れば良かったのが、最近は普通に喋る時まで声を張らないとダメなのです。

バンドの練習では必ず録音するのですが、その録音でも私の声がほとんど聞こえないのです。そして少し無理して声を張ると、すぐに声が潰れて出なくなってしまうのです。

こんな状態で私がコーラスしても無意味だろうと、コーラスを代わって欲しいと行った事がありました。

そして元々弦楽器隊(ギターの私とベース)でコーラスをしていたのが、ドラムがコーラスを代わってくれたのですが、やってみたドラムが私に言いました。

「私の声は強すぎてボーカルを打ち消してしまうから、そのボーカルの声を邪魔しないユウちゃんの声質ってすごくイイね!」

と。私の古い友人で、もっと早くから私のハモリがすごくいいと言ってくれた友達にMというのがいます。私のハモリがあると、それに煽られて自分がすごく気持ちよく歌えると言ってくれ、課題曲を決めて、ほぼカラオケだけで活動している二人ユニットがあるのですが、私は今までその「私のハモリが心地いい」というのを、単にハモリがつられてブレることがないからだと思ってきました。

原曲にハモリがなくても、何回か聞きこめば頭の中に勝手にハモリのラインが浮かぶのです。それで色んなバージョンでハモリがつけられる、・・なんつー地味な能力・・と思っていました。

が、ドラムの明確な一言で、確かに通りの悪い私の声はボーカルとメインの座を争うことなく、ボーカルもハモリに引っ張られる事もない、バンドのハモリとして何と都合のいい声、都合のいい能力なんだろうと思い直しました。

通らない声にも通らない良さがありました。

正直、普通に喋る時も声を張らなくてはいけないのは結構疲れるのですが、このままぼやけて誰にも聞き取ってもらえなくなる前に、何とか喉を鍛えようと、私は今日も家事をしながら鼻歌を歌うのです。


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ハザカイユウ
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