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可決3:否決1で・・・否決・・(涙)!

「バンドを長く続けるのは難しい。」よくそういう話を耳にする。

音楽性の違い、方向性の違い、性格、実力の差・・・色んな要素が噛み合わなくて、事実、私の周りでもたくさんのバンドが色んな理由で解散している。

や、周りのバンドって言うか、よく考えてみたら、自分のバンドもこの記事↓↓で結成されたバンドは、

最後喧嘩別れになっていた!

 そう、やっぱり赤の他人の数人が、学校や会社の枠なしで一つのチームとして継続する事は並大抵の事ではない。

この初期のバンドは2年も経たずに終わってしまったのだ(一人脱退)

でも、その後私達は狭い香港の、更に狭い日本人社会のバンド関係の先輩らに頼って見つけた新しいメンバー。

彼女が入ってから私達のバンドは、あれよあれよと結成7年も過ぎた。
この香港で、日本人女性、しかも同世代。
みんなとてもマイルドな性格で、私達は結成してから一度も喧嘩した事がない。

もし、私達の中で喧嘩というものが勃発するとしたら、その火種をばらまいているのは私かもしれない。

決して悪意があるわけではないし、和を乱したいわけでもない。みんなの事が大好きで、私は本当に「奇跡の四人」と思っている。

でも、自分的にはいつも私な気がしている。

一つ目の火種は、過去記事でも書いた通り、数年前、私の母が病気になった時、私は母についていたい一心で、香港での生活の全てを捨てて日本に帰った事があった。尤もそうは言っても、私の配偶者は香港で生まれ育った中国人のKだから、帰ると言ってもいずれ香港に戻ってくる。
でも、どれだけの期間になるかもわからない。数か月、もしかしたら数年?

父の時もそうだったが、Kはすぐ「行ってこい。こっちの事は心配いらない。」そう言ってくれた。
私はバンドのメンバーに「そう決めた」事を報告した。

 日本人が海外の地にいるということは、それぞれ色々な事情があっての事だ。自分が、かつてそうだったように、どのくらい駐在するか期限が切られていない駐在員。もしくは残りたくても予め駐在期間が決まっている派遣駐在員。家族の出張についてきた駐在員マダム。新天地を求めて自力で出て来ている現地採用。国際結婚を機にこちらに嫁入り。色々な状況がある。

だから、海外で日本人四人が、いつまでも揃ってここに居続けられる保証はない。バンドをやろうと集まっているのに、ライブどころか練習さえも揃ってできない、そんな状況、みんなイヤに決まっている。

「せっかくバンドやってるんだから、もし誰かいたら、その人と一緒にやってね。」

待ってるよ、と言ってくれているメンバーに、私としても告げるべき言葉を伝える。もし皆が誰かいい人と出会ってしまった時に、板挟み的なストレスを感じなくてもいいように。

そして帰った11か月。

介護、と言うのは本当に過酷で、仕事があってよかった、そこだけにどっぷりつからない方がいい、という話をよく聞いたけど、私は母にどっぷり浸かる為に、一旦すべてを打ち捨てて帰っていたから、日本での生活は母オンリーで、本当に身も心も壊れかけたけど、過ぎてみれば母は何とあっけなく行ってしまった事か・・・!

わたしと両親との一番濃厚な時間、Kのサポート、そう言う事も、いつか記事にするのかどうか、今はわからないけれど、この記事では一切割愛して、バンドの皆について言えば、私が日本にいる間、皆は3人だけでスタジオに入っては電話をくれて、3人がやっているところに私が遠隔で参戦する、という事が何度かあった。

 スタジオにいる3人の音はバッチリ聞こえるので、私はいい練習になったけど、遠隔で日本の実家で音量を抑えて演奏する私の音は皆に聞こえる訳はなくて、新しい課題曲のギターソロ辺りになると、いつもメロディラインを見失って携帯電話画面の向こう側で演奏がグダグダになって大笑いし、最後はいつもただのお喋りになった。

そんな私達バンドの形にならない状況を見かねた先輩が、一度新しいギターを紹介してくれた事もあったらしいけど、これはうまくいかなかったらしい。音楽性の不一致というヤツだったと後から聞いた。
みんなが私に気遣ってくれたのか、本当に音楽性の不一致だったのかはわからない。

私は、皆が私を忘れてない事に救いと癒しを感じながら、これは今度香港に戻った時に、元々バンド内でダントツにヘタクソな私が「自分のわがままで帰ります、みんなを長い事待たせます、そしてその間ギターは全く触りませんでした。」では済まされないと思っていた。

母の病が頭にまで来た時、母は眠らなくなった。
ただただ、命を無理に絞りに絞って燃焼するかのように、すごいパワーで、どこからそんな大きな声が出るのか、と思うくらい大声で昼夜問わず、「お~いユウ!ハザカイユウ!朝だ~起きろ~!!」と騒ぐので、それに対抗するように、私はギターに没頭した。しようとした。

でもどんなにドアを閉めてギターをかき鳴らしてもイヤホンをつけても、母の声は直接腦に届くようだった。母が入院してからも私は、家と病院とスーパーの三角形をぐるぐるするだけで、たまに地元の友達が銭湯や食事に連れ出してくれる他は、家に籠もってギターを弾き続けた。

母一色の生活にホントに遠慮なくベタベタ違う色を入れてくれたのがギターだった。

実家に置きっぱなしのギターが可哀相で香港に持って行ってバンドライフが始まったけど、帰省中にも練習できるようにもう一本ギターを買ってる人。

母が遠くに行ってしまうと、49日の守をしている私に、野外ライブ出演の依頼が来たという連絡がみんなから届いた。それは私がちょうど香港に戻って一ヶ月後の日程だった。

私達は、あまり上手じゃないからライブが決まると練習を増やして仕上げるが、今回私は日本にいるから、私達はバラバラのまま、ギター抜きのまま、お互いを信じて課題曲を日本と香港で練習した。

ライブをした後、「あ~大成功だった!」というライブは滅多にないけど、この時のライブは自分の中では大成功だった。

 あれから三年余り。その後、他のメンバーも日本に半年以上一時帰国したりしたけれど、その頃はもう567でスタジオ練習もしなくなっていた頃だった。

メンバーが香港に戻って来て、再び私達4人勢ぞろいしてからも、私達のバンドにライブの打診が何度も来た。


基本的に、香港は一貫して「出歩かない事で接触を減らし、コロナを封じ込める」政策を取っている。措置は日本よりずっと厳しく、徹底している。

バーや、バンドパフォーマンスも、波が起こればすぐに閉鎖されるものの一つだが、その網目をかいくぐるようにライブの打診が来た。

こんな状況だから、まず受けて立つバンドが少数なのが一番の原因だ。

これが第二の火種。

ライブの打診が来る度、意見は決裂する。

可決3:否決1

ライブに出たい3人と、こんな状況下で及び腰の私。

確認の為、もう一度言っておくが、私は
決して悪意があるわけではないし、和を乱したいわけでもない。
バンドを組んでいる以上、その最たる表現の場は勿論ライブだ。

ライブに出たくないバンドなんていない。・・・多分。

そんな中、私はレアな少数派だ。正直567がなくても、ライブの話がある度に「このレベルで世に出せるか」と難色を示し続けてきた。それでもライブは遂行される。
(そりゃそうだ。所詮ドヘタクソな素人バンド。うまくなるのを待っていたら死ぬまでライブなんてできない。)

皆の中では「私の反対は一種ライブに出る為の儀式」くらいの認識らしい。

 そういう私の意味不明なスタンスに加え、うちは旦那Kが私の夜遊びという事に関して、結構うるさい。
アラフィフオバハンの私の門限は基本0:00。

ライブ当日は特赦が働くようで怒られないけど、他はめちゃめちゃ怒られる。例えばスタジオ練習の日は、その後皆で近所の食堂にご飯に行くが、
女四人。つまり、どんだけでも喋れるのだ。
3時間でも4時間でもお喋りし倒している。21時に練習を終えても帰宅すると0:00越えになる事もよくあって、こっぴどく叱られる。

だから、私だけは22:30を過ぎるとそわそわし始め、23:00を回ると、「宴たけなわではございますが・・」と席を立つ。そうして時には戦々恐々とタクシーをぶっ飛ばして帰宅する。

そう、私は箱入りオバハンなのだ。


そして、お姑、義兄、姪はワクチン打たない派だから、三人の為にも余計な外出はして欲しくないようで、現状、スタジオ設備のある先輩の場所をお借りしての約2週間に一度の練習だけは「行くな」とまでは言われない。

今のところ、買い物以外のプライベートな外出はそれしかないからだ。そんな自分のお家事情を、私はまた皆にぶつける。

みんなのライブしたい気持ちもわかるけども、この真面目なお遊びで、自分が家族に万一567を持ち込んだ時、家族は皆どう思うのか。

そう思うと、どうしても尻込みしてしまうのだ。

これまでスルーされ続けてきた「私の反対」が、事567に至り、マイルドな皆は、「まあ、そうだねぇ」と言って、ライブはお流れになるのだ。

これまで、皆に「茶番」と言われ続けてきたライブ前の「可決3:否決1」という構図は変わらないけれど、今、毎回ライブの打診が回ってくる度に話が来た事は伝達されるけれども否決される。

そして「もう謝らなくてもいいよ。わかってるから」と声をかけてくれる皆。そして皆に申し訳なくて、ライブの話が来るたびに私は「また断らなければいけない」ストレスに悶える私。

実際、少し前までは、この香港、市内感染ゼロを3か月も持続していたのだ。
「えっ、じゃあライブ出ても大丈夫じゃね?実質感染者は全部隔離されてるし。」
という状況の中でも、ライブは「不特定多数のお酒の入った人」が集まるという理由で烈火のごとく怒られ反対された。
でも、Kだけが悪者ではなくて、私も万一の事を考えると、そこまでしてライブしなくても、という気もするのだ。

他の3人は逆に「そこまで怖がらなくても」という気持ちなのか、それとも、いつも真っ先に難色を示す私に、その役割を任せているのかは、わからないけど、口惜しく腹立だしい気持ちでなければいいな、と切に願う。

最近は香港も第5波で今日とうとう1日の感染者が1000人の壁を突破した。

567以降、香港も厳しく厳しくやってきた中で、初めての事だ。これまで、厳しい措置とは言え、それは全て公共の場の規制だったのが、遂にプライベートな場に対しても規制がかかる。

今、私達はとうとう練習さえも出来ない状況になってしまった。
練習どころか、香港のスーパーから野菜が消えたのだ。市場には売ってるけども6割増しに激あがりしている。日本のポテトと同じ理由だ。

可決3:否決1で否決し続けてくれた優しいみんなと、また安心して練習、そしてライブができる日が来たら、その時は曲の完成度なんかで反対なんかしない。もう「ライブ前の茶番的儀式」は消えてなくなるのだ。






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ハザカイユウ
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