貧民街育ちのストリートファイターK現る!
以前、私がまだ広東語が全然わからない時期に合気道を習っていた時、チンプンカンプンで見稽古さえままならないような、見ても、一体どういう力用でその技をかけるべきなのかが全然わからなかったそんな頃、合気道に一人の男が現れました。
貧民街育ちのストリートファイターK
合気道をやっていた香港の仲間達はたくさんいましたが、その中でKは「木屋(木の小屋)育ち」で異彩を放っていました。
50年代、60年代に長引く中国の内戦、文化大革命によって、命の危険にさらされた中国内陸の人たちが香港に大量に押し寄せて来ました。
そうして溢れるように押し寄せてきた中国人がそれぞれ木の小屋を建てて住み始め、あちこちに木造住宅の集合体ができました。これらは木屋區と呼ばれました。
ちなみに中國内戦というのは、
毛沢東、周恩来ら率いる共産党VS蒋介石、張学良ら率いる国民党の内戦です。これらについてもう少し詳しく知りたい方はこちらをどうぞ↓↓
Kは木屋區育ちでした。
木屋區は上述の流れで、押し寄せてきた難民たちですからまさにカオスでした。皆貧困を極めていました。治安が良いとは言えませんでしたが、ご近所同士で肩を寄せ合って生活していました。
Kもそこでトムソーヤの冒険に出てくるハックルベリーフィンのようなワイルドな生活を過ごしていました。
Kの住んでいる木屋區は、木の上の小屋ではありませんでしたが、海沿い際の断崖絶壁の斜面に密集して建っていました。
性格的に血気盛んだったKは、カオスな貧民街でストリートファイトに明け暮れます。(性格的なものです、Kには一つ上の兄がいますが、こちらは勉強に明け暮れていたらしいですから)
若気の至りで加減という事も知らず、ビール瓶で人を殴りつけたり、鉄パイプで襲われたり、命の危険にさらされながら喧嘩を繰り広げていたK。
そんなKが合気道に入ってきました。
私はその頃、怪我をしてずっと合気道は休んでいました。詳しくはこちら。
それでも合気道が大好きだった私は、オフィスが近かったのでよく見学に行っては皆とご飯を食べていました。
ある時、合気道の演武会があるから、受付の手伝いに来てくれないかと言われ、行くと「今日一緒に受付を手伝ってくれる人」と言って、合気道に新しく入った新人をコーチから紹介されました。
「Hi,Hello,Hello.」とこなれた感じで手を差し出してきた新人。それがKでした。新人と言っても鬚を生やしたおっさんでした。
私はその時合気道二年目で彼は入ってまだ1,2か月という事でしたが、私が見かけない顔だったせいでしょう。演武会の間、Kは私に北京語で合気道の事を色々説明してくれました。
入って間もなく、一人のコーチにその高い戦闘能力と吸収力をいたく買われ、内弟子にしてもらったそうです。それで毎日やっている合気道協会の練習とは別に、中國深圳で個人レッスンを受けているのだと。
私はそれから間もなく怪我の調子もまあまあになったので合気道に復帰するわけですが、組手練習の時にKと練習すると、Kの解説がすごくわかりやすい事に気づきます。
や、先輩達もやりながら技の説明はしてくれるんですが、普通は「相手の手がここに来たら両手でつかんで前に押してから下方向に抑える」的な動作の説明だけ。
Kの説明は全然違います。
技のポイントが、掛け方の力用が、身体の重心移動が、とるべき姿勢のポイントが、つ一つの動作をどういう力の掛け方で、どの方向に持ってったら自分は小さな力で相手を大きく動かせるのか、合気道の妙、みたいなところをコマ送りでクリアに解説してくれます。
ぶっちゃけ、どのコーチの説明より的を得ていて + めちゃめちゃわかりやすい。そういうポイントを押さえた技なのでフォームも私の中では二番目に美しい。(ちなみに一番も7人いるコーチ陣ではありませんでしたが・・)
何十年と合気道をやってきているコーチたちよりフォームが美しい、技のポイントもわかっている。
本人曰く「動きが実際の喧嘩に通用するかどうかで考えたらわかる。」
そんなKは他のメンバーからも大人気でした。ビギナーはもちろん、コーチ陣もデモンストレーションでKに受けをやってもらいたがりました。
合気道のコーチの中に、一人ものすごい厳しいW先生がいて、言葉も手も厳しくかなりのスパルタで、生徒の中でも何人も怪我人が出ていました。
ある時、昇級昇段試験があり、私は見学に行っただけなのですが、技のデモンストレーションでW先生が技の受けをKにやらせました。
一つ一つの技をW先生が攻撃、Kが受けるというデモンストレーションでした。W先生は本気で怪我をさせようとしているとしか思えないほど、畳に叩きつけるように激しくKを引き落としました。まるでボールか何かを渾身の力で畳に投げつけるかのようにズダーン!ズダーン!!と右に左に叩きつけます。
受け身がうまく取れなければ大けがをするだろう事が見て取れるほどの酷い技の掛け方です。
渾身の力で何度も何度もKを畳に叩きつけるW先生の姿に会場全体がシンと静まり返りました。
しかし誰も止めに入れませんでした。
KはW先生の畳に投げつけるような荒々しい技を美しい受け身で受け切っては起き上がりこぼしのように速攻立ち上がり摑みに行く、また激しく叩きつけられては受け身で流してそのまま立ち上がりつかみに行く。
本来一方的な叩きつけならさすがに制止が入ったと思いますが、Kが息をつかせぬ速さで技を受けに行くので誰も声がかけられませんでした。
そういう受け身を20回以上も繰り返した頃(合気道は一つの技に、基本「右、左、表、裏」があり、一つの技でも受ける方は四回受け身をとる事になります。)当時60過ぎのW先生が息切れで技を続けられなくなりデモは終了しました。
息も絶え絶えでゼイゼイと肩で息をしています。どんだけ渾身の力を込めて叩きつけていたのかと思います。
私はそれまでW先生は厳しくても礼儀を重んじるいい先生だと思ってきました。生徒の誰々が腕を折られたとか筋を傷めたという噂は、まさかそんな無茶苦茶な事はしないだろう、厳しいからきっと色々言われるんだろうと思っていましたが、噂は本当だろうと思うくらい、容赦のないデモでした。
W先生はもしかしたら愛の鞭のつもりで、このくらいの技を軽く受け身で流せるくらいになれよという気持ちなのかもしれませんが、合気道を習いに来ているのは10代の若者達ではありません。それどころか会則では15歳以下の子供には教えない、となっています。
みんなオッサン、オバハン世代がほとんどです。ここまでやられたら趣味で来ている人は、まずついて行けないでしょう。
昇段試験の後は皆でご飯。話題はW先生のデモの事で持ち切りでした。皆怒っていました。
当人のKはケロリとして、
「あんな力で引き落とされて、こっちは受け身だけで反撃できないから、あの老人に休ませる隙を全く与えないでいったろ~と思って、最速で起き上がって摑むときにぐっと圧をかけて体力を奪ってやった。こっちだって40過ぎのオッサンだしなあ。」と皆で盛り上がっていました。
そしてご飯の後、Kが私に言いました。
「ユウさん、俺バイクだから家まで送ってあげるよ」
チンプンカンプンの時から合気道が大好きだった私は、このKの出現で、更に力を入れて合気道に通い詰める事になります。
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