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ある日、口からこぼれ出た

中国語の中でも「広東語は難しい」とよく言われます。

難しいと言われる理由は

①そもそもの音が日本語にない音が多く、発声の仕方、唇や舌の使い方も北京語以上に多くある事。
②単純に北京語より発音の音律(声調)の種類が多い事。
③単音の発音の種類も多い事。(母音の数も北京語より多く、韻母《いんぼ》という中国語の音節の構成要素があるのですが北京語と違って、音の種類のみならず長母音、短母音と音の長さまで分かれます。)

しかし「方言」という大きなくくりで考えた時、北京語を専攻していた事にはアドバンテージがありました。

広東語は以前の記事でも紹介致しました通り、「まるで別の国の言葉みた い」に音が全く違って聞こえるのですが

こちらのテレビは日本と違って、中国語で話している番組でも中国語の字幕がつきます


と、いう事はどういう事かと言いますと、

私には「広東語は聞き取れないけど、字幕に表示されている事はわかる」

という事です。北京語アドバンテージです。

なので会社員時代は、帰宅後テレビをつけてニュースを見ながら話されている音と字幕で表示されている文字を見比べながら勉強しました。

そうして北京語土台のある私が、中国広東省広州に赴任してから広東語が話せるようになるまで4年の月日を要しました。

でも、学校で基礎から学んだ北京語は「効率よく要領よく覚えさせられ習得した外国語」なのに対し、私にとって広東語は「赤ちゃんが言葉のシャワーを浴びて、ある日突然話し出す」的な方法で習得した初めての外国語です。(初めての、っちゅうか「最初で最後の」でしょうけどね)

当初、最初から広州へ行く事をお互いの条件としてその会社に転職した私は、あくまでも北京語のグレードアップを第一目標に、ついでの目標として「給料もらいながら広東語まで勉強できちゃう」的なプラスαな要素として捉えていました。

(この第一目標は広東語に触れた直後に第一目標じゃなくなっちゃう訳です・・・。)

が、実際広州に赴任してみると、うちの会社の広州工場は広東省にありながら当時実務を取り仕切っていた四川出身の中国人副総経理によって、四川人グループで既に固められていました。

約400人の工場のただの現場の人達さえも半分は四川人、何より管理者層で副総経理の右腕左腕に当たる工場現場のトップである工場長、副工場長も四川人でした。

ま、今回その話はテーマと逸れるので割愛しますが、つまりうちの工場は広東語の本場広州にありながら北京語が主流だったのです。

余談:但し、事務所の少数派広東語スピーカーのローカルスタッフは、北京語しかできない私と話すなど、絶対必要な時以外は頑として広東語でした。北京語スピーカーは、広州という土地柄なのか、広東語を使おうと試みるスタッフが多くいました(全然話せてませんでしたが)。北京語スピーカーの話す広東語も、広東語スピーカーの話す北京語も、不思議なくらいダメダメ発音でしたが、北京語と広東語で会話は通じていました。

私は生産管理でほとんど北京語主流の現場に潜り込んで仕事していたので、結局北京語ばかりで広州での二年の月日が流れました。

 香港に赴任してくると私を取り巻く広東語環境は今度こそ大きく転換しました。街なかで耳にするのもオフィスのスタッフが話すのも全部広東語。

帰宅後のニュースの聞き込み練習も続けていましたが、発音が難しくて音のコピーが上手く出来ませんでした。

ずっと喋れないまま更に二年が経った頃でした。

ある日、私はいつもと同じように「ミニバス」と呼ばれる公共交通機関に乗っていました。

これは乗り合いバスで、今でこそほとんどのミニバスに降車ボタンが設置されていますが、当時は自分の下りる場所で「唔該、〇〇有落!(〇〇で降ります)」と運転手に声をかける仕組みでした。

ものすごい簡単な一言ですが、私はこの一言を発するのが嫌で当時避けていました。

が、その時は避けられない用事で自分のテリトリー外の行先のバスで、乗車する前に「このバスは〇〇前を通りますか?」と言うのを聞かなくてはいけませんでした。

しかも電車駅のように大きく駅名が書かれているわけではなく、ただの住宅地みたいなところが停車ポイントだったりするので、土地勘のない場所だと風景を見て判断という事もできません。

それで運転手に聞くフレーズをいつものように考えようとして、ふと気づきました。

「?アレ?私わかるじゃん?」と。

その時は「言いたい事を日本語で考える→広東語のフレーズが浮かぶ」という感じで、ついでに「じゃあ〇〇に着いたら教えてください」と言おうと思ったら、頭の中には既に今から喋ろうとする広東語のフレーズが既にスタンバイして待っている、という感じでした。

「?????」

そして、その日以降自分が何か話そうとすると、まるで私の頭の中で先回りして待っているかのようにその広東語フレーズが頭に思い浮かんでいるのです。

まるで有能なアシスタントが常に私の言わんとする事、やらんとする事を一足先に準備して、尚且つ待たれている感覚。

終いには私が日本語の言いたい事を考える前に広東語のフレーズがそこで腕組みして足を踏み鳴らしながら「オイまだかよ?」って感じで、「あ!もういちいち日本語から考えなくていいんだ!」と気づいたのです。

これは感覚的には「ある日突然」そうなったという出来事でした。

ついその前日までは、自分でも「話せる」という感覚が全くありませんでした。「依然として話せない自分」のままだと思っていました。

それがホントに「?・・・アレ?わかるな?」と感じてからは、まるでこれまで心の中にため込んでいたものが堰を切ったように一気にこぼれ出てきたような感じでした。

但し、頭に思い浮かぶフレーズは言うまでもなく自分のボキャブラリー内での事ですから、零れ落ちたからと言って本当の意味でその言語を使いこなせるようになったという事ではありません。

なのでネイティブに「話せる」ようになる為には零れ落ちてからがスタートだと思います。ホントに赤ちゃんと同じなのだと思います。

言葉のシャワーをどんどん浴び続けていく事。

広東語がひとりでに零れ落ちてから早18年。

今なお旦那にヤレヤレと首を横に振られながら発音を直される毎日です。


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ハザカイユウ
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