憧れの夢の街 香港
こんにちは。noteを初めて4日目になりました。この三日間、色々考えてみました。私は何を発信したいのかな、と。それで、いくつかお話したいテーマを決めてやっていこうかな~と思います。温かく見守っていただけると幸いです。
《夢のような街、香港》
時は遡り、私がまだ会社員だった頃、広州の都心部から車で二時間ほど走ったバナナ畑しかないようなド田舎の工業区にあった会社の工場。
当時、広州のそんなド田舎に出ている日本企業は他にはなく「宿舎」と言う名のゴルフ場の一軒家の別荘に、他の日本人総経理と生産部長、中国人の副総経理、私、そしてお手伝い一人の5人で共同生活。
何故ゴルフ場だったか、と言えば、治安が悪かったからで、私が赴任した最初の半年で工業区内とその近辺というめちゃめちゃ狭い範囲の中で3件も殺人事件が起こるような所でした。
ゴルフ場の外に出る事は禁止され、どこに行くにも会社のワゴン車。買い物も会社の運転手に、サザエさんの三河屋のサブちゃんみたいに欲しいものを注文して買ってきてもらう形。
そんな私の唯一の楽しみは、月一の香港出張。(何で月一で香港だったかと言えばブラックだったから、と言えばわかる人にはわかりますかね。)
当時香港オフィスの日本人総経理が、毎月熱烈歓迎してくださいました。 広州のド田舎では食べられない美味しい日本食や韓国料理、タイ料理、そしてゴージャス広東料理をご馳走になり、そこには私のような20代女子(当時ね)が言葉を交わす事もあり得ないほどの、業界の重鎮クラスの色々な会社の総経理達も同席されていて、そのハイソできらびやかな香港の夜。
さすが100万ドルかかっているだけあるわと思う、宝石箱のような美しい夜景。全てが眩く輝いて見えました。
そして何より、同じ中国とは思えない清潔なトイレ!
(と言っても、勿論日本とは比べ物になりませんがね。)
フェリーで二時間しか違わないのに、差が余りに激し過ぎて、それまで自分の人生の中で完全ノーマークだった香港という街の快適さに、私は酔いしれました。
そしてまた香港の人たちの親切な事。
ゆっくりとしか動けない老人のバスの乗り降りに、赤の他人なのに、両脇から手を入れてバスに乗せてあげたり、手を繋いで下ろしてあげたり、電車に乗っても、年配の姿を見かけた瞬間、席を立って声をかける若者達。
(←当時ね。今は変わってしまいましたが・・。)
ある時、私が地下鉄に乗ろうとして、まだオクトパス(日本のSuicaみたいなやつ)もなく、現金で切符を買おうと行先を押してから、その券売機は100$札が使えない事に気づきました。
私は両替したばっかりで小銭というものを持ってなく、でも隣の100$札が使える券売機は故障中でチェーンがかかっていて・・。
オロオロしていると、ひょろっと背の高い男の子が寄ってきて、無言で自分の財布からお金を取り出して、券売機に表示されていた金額を入れてくれると、切符代を差し引いた金額のお札を私に押し付けて、私が手に持っていた100$をピッと取り、そのまま無言で去っていきました。
30秒にも満たない出来事に私は呆気に取られ、「わざわざ自分のお金で両替してくれたんだ!」と気づいて「謝謝!」と叫んだ時には、もうだいぶ遠く離れた後ろ姿でした。
押しつけがましくもなく、馬鹿にした風でもなく、見返りを期待する素振りもなく、余りにもスマートに助けられて、感動が波のように後から後から押し寄せてきたのを今も鮮烈に覚えています。
香港。それは憧れの夢の街でした。