広州から香港へ
こんばんは。 中国香港の日常生活を書いていきます。
完全時系列ではありませんが、前後左右に話が繋がっていきますので、よろしければ憧れの街香港もお時間ある時に是非ご覧いただけると幸いです。
《そして広州から香港へ》
ゴルフ場に閉じ込められた工場ライフにもすっかり馴染んだ頃、日本の景気がまた急激に悪化。
当時うちの会社は、日本の本社、広州工場、大連工場、香港オフィス、の4拠点があり、あっという間に、じゃあ今実質、貿易書類を通すだけの機能しかない香港オフィスを営業拠点にするしかないじゃん、という事になりました。
そして・・・
立ち上げスタッフとして白羽の矢が立ったのが私。
ま、そりゃそうです。合理的に考えれば、広州工場と香港はフェリー片道二時間。一日3便往復ありました。工場はフェリーポートのある港から車でわずか10分。 行ったり来たりで両方少しずつ調整を計りながら出来るメリットがあります。←会社には。
中国語も出来るから、とりあえず一人で行かせても手がかからないし、現地総経理の強い推薦もある。
ちょうどこの時、広州工場側に、このタイミングでミラクル人事があった背景も私の香港赴任の後押しとなりました。
そうして全てのピースが自然に定位置にハマるように、私は香港に異動。
《生産管理から営業へ》
つ、遂にあのバナナ畑から脱出!わ~い香港だ~♪と喜ぶ気持ち半分。
しかし!
「営業」
生産状況を細かくチェックして、納期を管理する仕事は、細かい実務好きの私の性格にピッタリの仕事でした(自分的には)。
大好きな中国語を駆使して、現場の全部門と話し合いしながら生産順序を組み替える。生産マエストロ的な仕事に楽しみも見出していた矢先。
いきなり営業って言われてもな~。
・・・・無理無理無理無理! 喋るの苦手だし、内向的だし、何より数字にめっぽう!弱いし・・・。
と頭の中ではグダグダ悩みつつ、話は着々進み、私の香港赴任と入れ替えに、私を強く推してくれた香港オフィスの総経理は引退で日本に帰国。
本来、総経理用のゴージャスマンションは引き払い、安い社宅を探すはずが、余りに急な展開だったので、契約期間満期まで私が引き続き住む事になりました。
香港は、大まかに中国大陸深圳から陸続きの新界(ニューテリトリー)、中間部の九龍(クーロン)、そして金融が中心で一番都会的でスタイリッシュな香港島の三つと、その他大小さまざまな離島で構成されていますが、うちの香港オフィスは九龍の中心地尖沙咀に。総経理用のゴージャスマンションは香港島にありました。
70歳過ぎの日本人男性が住みやすい、イオンやユニーが近くにある贅沢な場所でしたので、香港ライフに慣れる為のスタートとしては出来過ぎた環境でした。
《赴任直後、香港の洗礼》
①ドラえもん攻撃
仕事を終えて、素敵な社宅への帰り道。
時間はもう夜10時くらいだったと思います。
地下鉄出口を抜けて、地上に出ると、若い一男一女が私の所に駆け寄ってきました。二人とも展示会スタッフみたいに、ネックホルダーで名札みたいなものを首に掛けていました。
二人ともそのカードを、水戸黄門で助さん格さんが印籠をかざすように5本指でがっちりつかみ、更に私の注意を惹こうとそのカードを上下に振りながら迫ってきました。
!・・・何だ何だ?!
カードを振りかざしながら、しきりにカードと自分の事を交互に指さしています。ああ~、この人たちは言葉が話せない人たちか~と思いました。
カードを見ると日本で言えば障害者手帳みたいな、身障者を証明するカードのようでした。そして、おもむろにドラえもんのマスコットを取り出して私にくれたのです。
??ん?何?プレゼント?何かのボランティア活動???
と不審に思いつつもそれを受け取ると・・・
って言うか、受け取ったが最後!!
「はいっ、それ持っちゃったからもうお前のモノ~」
って感じで、彼らはホールドアップのように両手をあげて、もうそれを受取ろうとはしないのです。そして100$という値札を私に見せてきました。
・・・
は?何?この400円くらいのちっちゃいドラえもん人形を100$(多分当時で1600円くらい)で買えと?!
「・・いや、いらんし。」と(中国語で)言いながら返そうとするも、二人は「受け取らないよ!」とばかりに手をホールドアップ。
そして、その間も、しきりに身障者カードと自分を交互に指さしながら印籠かざしで激しく抗議。
実際は終始無言で静かなんですけど、何か・・・
・・・うるさ・・・。
何か余りにも強気で、余りにも激しいアクションで、しきりに怒りオーラをぶつけてくる彼ら。
ほらほらほら、私達障害者だよ?大変なんだよ?サポートすべきでしょ?
と言わんばかりの怒りの無言の抗議。
諦めて100$札を地面に叩きつけて立ち去ろうか、と言う気持ちと、いやいや、これってつまりこの人たちのシノギでしょ。
アコギなやり方だけど、こんなアコギな事でもしなければ、まともな収入を得られないって事だよね?
人助けと思ってドラえもん云々に関わらず寄付するべきか?思ったり。
日本の身体の不自由な人たちは、何と控えめで奥ゆかしい事よ・・。せめてこの半分でも強気でいられたらどんなに楽でしょう・・。
こんな厚かましいヤツら助けるくらいなら、ハンデを抱えながらも何故か遠慮しながら肩身狭く生活している日本の身体の不自由な皆さんを助けたいわ!という気持ち。
それこそ走馬灯のように怒りから反省から色んな気持ちが心の中を駆け巡りました。
死の直前ほどまでに苦しくても、なかなか弱音を吐けない日本人に対し、健常者以上にパワフルで高圧的な香港の身障者。
でも、その威圧的で有無を言わせない態度に、どうしても納得する気になれなくて、「受け取らないなら、このまま手を離しますよ。地面に落ちますよ。私は買いませんよ。」とドラえもんを持った手を伸ばして、ドラえもん、まるで板の上に乗せられた絞首刑直前の囚人状態。
手を離せば落下、という絶対絶命状態。
双方譲らない丁々発止のやりとりを5分くらい続けた結果、向こうが渋々ドラえもんを回収。
コレが結構トラウマになり、以降、香港の街角キャッチには一切耳を傾けない、完全スルーに徹する私なのでした。