母に縛られた思い出
まだ私が幼かった頃、それはまだ母が夜寝る前に、「ママお話聞かせて」というストーリーブックを読み聞かせてくれていた頃だから、保育園の頃だったのか小学生低学年の頃だったか・・小学生でストーリーブックの読み聞かせって低学年ならアリでしょうかね?私は子供がいないからわからないんですが・・。
ある日、母の読み聞かせが終わり、ベッドに入る時、私は二人姉妹の上なので、二段ベッドの上に寝ていたのですが、母が、ティッシュペーパーでこよりを作って私の両足の親指を合わせて縛りました。優しく読み聞かせが終わった直後なのに、母は結構厳しい口調で「このティッシュを切らずに、このままベッドに上ってみなさい」と言いました。
私は臆病で勉強のできない子供でした。今思えば頭の回転が鈍い子供でした。良く言えばおっとり、のほほんとした子供でした(←コレ、良く言ってる?)
ご飯も出されたものを食べる、物もある物を使う。目の前にある物に対して、多分余り「何故?」を抱かない子供だったのかもしれません。それが母の目には心配な状況に映ったくらい、ひどかったのかもしれません。
私は、母にいきなり足の指をキュッと縛られた事が余りに予想外過ぎてちょっと「怖い」という気持ちを抱きました。
でも、母に叱られるのが怖くて少し怯えながらも必死で考えました。ティッシュを切らないようにする為には足の指をくっつけたまま動かなくちゃいけない・・・。
それで、二段ベッドのはしごを後ろ向きにお尻で上りました。ティッシュは切れませんでした。上り切ると母は大きな声で、
「そうや! それが頭を使うという事や! 覚えておかれ!」
と言いました。
私は母に叱られずに済んでちょっとホッとした気持ちと、与えられたミッションを自力でちゃんとクリアできた、自分も実はやればできるんだという驚きと歓喜と、何でいきなりこんな仕打ちを受けたのか、という疑問で複雑な気持ちでした。
この事は強烈なインパクトとなって忘れる事ができず、私の心の中にずっとずっと残り続けました。
母は私が小学生になると、私にすぐに料理を教え始めました。1,2年生で朝ごはんの献立、3,4年生で昼ごはんの献立、5,6年生で晩ごはんの献立を教えてもらいました。
ある時、オクラのお浸しを作るのに、私がオクラを1センチくらいに切ると、「アンタ、普段何食べとるがいね?お母さん、こんな分厚いオクラ今まで出したことあったけ?」と叱られました。
事ある毎に、自分は思慮深さが足りない人間だという事を思い知らされました。自分は普通の人以上に、物事に関心を抱かな過ぎるんだと。
そうして私は、何か言う前する前に考えてみる癖がつきました。
仕事はいちいち考え込んでからだと間に合わないので、事前に何通りものシュミレーションを想定する癖がつきました。
「頭を使う」事は「頭がいい」とイコールではないけれど、母が叩き込んでくれた「常に頭を使え」という事は、これまでの私の人生を支え続けてくれました。今でも、ふとした時によく思い出すのです。
あのお尻梯子があったからこそ、今の私があるんだなと。