TAAC ダム・ウェイター ♢ver.
シンプルな照明、リアルな舞台セット、ナチュラルな衣装…と戯曲を読んで誰もが連想しそうなイメージをそのまま具現化したような演出。
2人の心境を表すかのように、吊るされた電球の光が揺らいでいるのがとても印象的だった。
幕が開くと時計の鳴り響く音と、排気管なのかパイプに風が通るような小気味の悪い耳に付く音が終始鳴っていて、空間の閉塞感とただただ時間だけが過ぎていく状況を無意識に脳裏に叩き込まれ続けているような感覚を覚えた。
大野瑞生くんのベン
大野くんのベンは賢いがプライドが高く神経質。感情表現は不器用だが、なんだかんだ言いつつ本当はガスのことが大好きで彼のことが気になって仕方ないように見えた。
賢いが故に組織の変化にも勘付いており、おそらくガスが次のターゲットにされる可能性にも最初の連絡を受けた際に薄々気づいていたのではないかと思う。
そしてそれを最も避けたかったのは他の誰でもなくベンだったのだろうな、とも。
何かにつけてガスを黙らせようとし、「余計なことを言うな」と牽制していたのはウィルソンに会話を聞かれている可能性を考えたから……。余計なことを言って、自分自身のこともガスのこともターゲットにされる可能性を上げたくなかったから……。例えばフットボールの試合のくだり、行ったことを覚えていないと白を切ろうとしたのもそういうことだったのかな、と。
さり気ない言動の一つ一つが、なんとかガスを守ろうとして取っている行動に思えて切なかった。
性格的にもリスク的にも直接的なことを言えない彼は、新聞の記事や些細な忠告を通してなんとかガスに伝えたかったのだと思う。でもガスにはその意図がなかなか伝わらなかった……。それがあの彼の苛立ちに繋がっていっていたのかな、と感じた。
横田龍儀くんのガス
横田くんのガスは頭の回転は早いがどこか抜けていて天然気質。気になることは考えるよりも先に口から出てしまうようなタイプで、特にベンに対しては何でも聞いてしまう。それはきっと潜在的に彼を慕っているから。そんな風に見えた。
"ただ普段通りにしている"という雰囲気がとてもリアルで、決して察しが悪い訳ではなかったように思う。
"ベンの忠告の意図"はなかなか伝わらなかったが、ベンのことが大好きな彼は"ベンの様子がいつもと少し違うこと"には早々に気付いていて、彼なりに言葉を選んでベンに質問を投げかけていたのではないかと感じた。しかしこちらもまた、ベンにはなかなか意図が伝わらなかったのだが……。
終盤ベンに詰め寄るシーン、「さっきも聞いたよな」の一言に色々なものが詰まっているように感じて切なかった。もちろん、ウィルソンら上層部の人間への苛立ちや自分がターゲットにされることへの疑問もあったのだろうけど、それよりも信頼していたベンがそれをわかったうえで黙っていたことへの悲しみや裏切られたようなやるせなさが強かったように私には見えた。
♢ver.の最後のシーンは、大野くんベンの「2人とも準備は出来ています」というセリフの言い回しと水が流れた音にガスの存在を確認できた安堵の表情をするところ、そして扉から入ってきたガスに拳銃を向けながらずっと震えているところ、横田くんガスの驚きとも悔しさともつかない表情が徐々に緩んで諦めとも悲しみともつかない笑ったような表情になっていくところ、が特に印象的で苦しくなった。
一方のベンからは"ガスを失って自分はどうするんだ"というような疑念を感じるし、もう一方のガスからは"これがベンのためになるのなら"というような想いを感じる。お互いがお互いのことをどれだけ大切に思っていたか、必要に感じていたか、このラストのシーンに全部詰まっているようで、"結局人間は失うとわかってから気付くことが多すぎる"ということをまざまざと感じさせられる。
これまで30代後半〜40代くらいの役者さんが演じられてきたイメージのあるこの戯曲を、20代後半の役者さんと演出家さんがつくることによって生まれる新たな生々しさが確実にあったなと思う。
"不条理演劇"とのことで人間の滑稽さを強調するには年を重ねた役者さんがやる意味もあるのだろうけど、このリアルで残酷な生々しさは若いからこそ引き出せるお互い(他人)への依存感があってこそなのかな、と。
1回目を観た時は、ダムウェイター(料理昇降機)とDumb(発言力のない)Waiter(給仕人)であるベン、Dumb(愚かな)Waiter(待ち人)であるガスが掛かっているのか、と思った。きっとそれも間違ってはいないし、側から見たらきっとそうなんだろうと思う。でも、ベンはそこまで何の疑念もなく従順な訳ではないし、ガスもそこまで愚かでも馬鹿でも考えなしでもないよ、と今の私なら言える気がする。