『我的朋友』 中国映画 鑑賞記録
本作品は25分程の短編で、中国の『16th FIRST青年映画展』の企画で制作されました。この映画祭はCHANELが協力しているので、同ブランドのアンバサダーである王一博や周迅、辛芷蕾がPRを務めていました。本作はその3人のうち王一博と周迅が出演しています。
公開に先立ち上海で公開されたような情報もチラっと見ましたが、多くの人が鑑賞したのは10月31日から約1週間、BiliBiliの特設会場での配信だったと思います。
残念ながら現在のところ本編は視聴できなくなっていますが、人気、実力のある出演者なのでいつかまたどこかで配信・上映されるのを期待しています。
観られない作品のレビューを書くのもどんなもん?と思いましたが、とてもいい短編だったのでまた鑑賞可能になる願いを込めて記録しておくことにしました!
短編なので後半はネタバレ含みます、すみません!
小周、そして李默
そう! この長髪(というか伸びきった髪w)に大きすぎる眼鏡を掛けて、ぼや~~っと力の抜けたように半ば上を向く形で目を閉じているこの人は、王一博であった!!
撮影は2022年8月上旬、内モンゴルの呼和浩特(フフホト)。王一博の撮影期間は2、3日だったと記憶している。このビジュアルの画像が漏れてきた時には「誰これ?!」と思ったものだ(笑)
舞台となるのは、北京で開催された1990年アジア大会が閉幕した直後の、とある田舎町。工場のメッセンジャーブースで働く小周は、いつも鼻歌を歌っている。仕事柄たくさんの人と接していて、顔が広く面倒見がよさそうだ。
工場内で上映される映画チケットの販売もする。映画は社内の福利厚生なので関係者のみ有効らしい。「譲渡は不可」と貼り紙もしてある。
そこに「晨哥いませんか?」と現れたのが王一博演じる 李默だ。なんだか話し方も動きもぬぅ~っとしている。今ランチタイムだからいないわよ、と言われても返事もせずにただそこに佇んでいる。存在感のなさ半端ない。
入れば?と言ってもらっても「あ、うん、大丈夫…」とあいまいに返事をして、結局この上の写真の通り、そこで晨哥をぬぅ~っと待つらしい。
その間にアジア大会のマスコットだったパンパンの大きな看板が外されて、運ばれていく。パンパン何となく寂し気だ。小周も16日間の大会があっという間に終わってしまったと残念そう。
彼女が歌っているのはアジア大会の歌だ。「何の歌?」と尋ねた李默は汽車に乗っていたので知らない。知らないの?と小周はアジア大会にまつわる自分の話を独り言のように語り出す。ぼぉ~っと座っているだけの李默は、聞いているのかいないのか。
そこにおもむろに「嘉峪関にいったことある?」と切り出す李默。突然すぎる!(笑)
嘉峪関といえば、ほとんど敦煌とかシルクロード世界の砂漠地帯。普通は行ったことないよねぇ(笑)そんな場所に行ったことあるなんてすごいな李默!
もちろん「ない」と答える小周。
ここでの二人の会話らしい会話はこれだけ。
それなのに気だるいような、温かいような、ゆっくり静かに流れる時の空気感が、かなり心地いい。
晨哥と李默
そこへ晨哥が戻ってくる。
「晨哥!」「晨哥!」と彼にしてはかなり大きな声で呼び掛ける。
「詩人が帰ってきた」と晨哥。
李默は旅する詩人だったのだ。職業として成立しているかどうかは不明だが…
いつもの王一博からは想像もできない、ゆっくり、もっさりした歩き方で晨哥のいる自転車置き場に近づいていく李默。
両親に会ったのか?と聞かれて、さんざん経ったあと「帰ってきた」と
ポツリと答える。うんそれはもう知ってる(笑)
黄河。小麦畑。青海湖。
行ったところを李默の代わりに晨哥が呟いてくれる。寡黙なことこの上ない(笑)
ポケットからためらい勝ちにノートを取り出す李默。自作の詩が書いてあるらしい。
『藍火車』ブルートレインという詩。これも晨哥が朗読してくれる。
ロマンチックで素敵な詩だ。
朗読の間もやはり、ぬぅ~~っと側に立っているだけの彼。
そんな様子を小周が遠くから眺めている。
映画館、小周と李默
場面は変わって、映画館(館というより「上映室」かな)の入り口でチケットをもぎっている小周。映画はもう始まっていて、うたた寝をしている。
そこに券を持ってやってきたのは李默。
「あら、あなたなのね。映画始まってるから入って」と。
そういえば小周のしゃべり方もどこか気だるい。歯切れはまぁまぁしっかりしているのだが、言葉の芯に力がはいっていないというか…
どこかに叶えられていない望みのようなものを感じさせるのだ。
その後、小周は何かを思いついたように立ち上がり自分も上映室内に入っていく。
入口では手元しか映っていなかった李默だが、なんとあの伸びきった髪をこざっぱりとカットしていた。
李默の斜め後ろに座った小周に気づく李默。普通なら視野に入らない位置だ。李默の意識は映画よりも入口にいた小周に向けられていたのではないかな、と思う。
おもむろに振り向いて「チケットは晨哥からもらったんだ」と小周に話しかける李默。だが一回目は聞き取ってもらえない。もう一度、少しだけはっきりと同じことを繰り返すと、「あぁ、いいから観て」と返事が返ってくる。
なぜ話しかけたのか。誰も聞いてないし、とがめられたわけでもないのに。小周だって社外の彼が券を持っていて疑問に思ったら入口で問い質していただろう。
李默は、それをスルーしてくれた小周に感謝もしているが、既に彼女のことを「自分を理解してくれる人」として認識し、ここでは単に話しかけたかっただけなのではないだろうか。案の定、彼女はチケットのことを不問にしてくれた。
一方彼女の方も同じ感覚を持ち、敢えて上映中に中に入って彼の後ろに座ったではないかなと思う。お互いだけが感じ取れるシンパシーが二人の間に交わされたのでなないか、と。
李默は自分のことを話すのが得意ではない。ここまでの短い時間でこの性格は表現されている。
その彼が、彼女に最初に会った時から自分のことを話せる相手として、同じ匂いをかぎ取ったのではないだろうか。
小周は音楽が好きだ。いつも歌っている。
どこかに孤独を抱え、理解し合える人をいつも探している二人。そんな空気が漂う。
李默がヘアカットしたのも、心境の変化の現れだと思う。
実はこの作品の上映前の紹介ビデオがあり、そこでは父親と会話している。
「髪を切らないのか?」と聞かれた彼は、またいつものようにのっそり、むっつりとして鏡を見るばかりで答えない。ビデオはそれだけだった。
その後、チケットを譲ってもらい映画を観にいくことになった。当然そこで小周に会うだろう。そのことが髪を切るモチベーションになったのは想像に難くない。
そして、その二人の会話を耳に挟んだお隣さんが「彼女、知り合い?」と聞いてくる。小周を知っている人は多いし、みんなの憧れ的な存在なのかもしれない。
一瞬の間。そして答える。
「我的朋友」僕の友達
その台詞は今までより少し明瞭に、自信を含んだ声音で発せられる。
理解者を得たという自信。そしてみんなが知ってる彼女と友達だという、ほんの少し自慢気な色が混じる。
短い一言と表情にこれだけたくさんのディテールを表現できる王一博の力量は素晴らしいと思う。
そして少し小周のシーンがあり、映画は終わる。
映画館のシーン、李默の「我的朋友」の一言は、映画のタイトルにもなっている通り、この作品のキモであろう。
わたしもこの一言の言い方や表情の演技がとても好きだ。
役柄はいつもの彼自身とは真逆の、素朴というか…純朴というか…いわゆるダサい青年だ。話し方も朴訥としている。だが、そのダサさを愛おしさに代える魔法を持った演技だったと思う。
この愛おしいという感覚は、決して大好きな王一博が演じているからではなく、李默という繊細で傷つきやすく、自由への憧れを詩で表現するしかない人物がとても魅力的に造形されているからだ。
そんな美しく輝く一瞬の、秀逸な演技だったと思う。
もちろん、言わずもがなではあるが周迅の演技もいつもながら味わい深く、かつ魅力的なおおらかさを感じさせて素敵だった。
周迅と王一博は、過去に雑誌cosmopolitanの企画でもショートフィルムを撮影したことがある。そして現在公開待機中の『無名』无名でもトニー・レオンと共に共演している。二人の実年齢差はかなりあるが、持ち前の若々しさや落ち着きがいい感じに混ざり合う。新作も楽しみだ!
そんなわけで、この映画も、この李默という役柄も、大大大好きなのであります。ああ、愛おしい!!
本作は撮影時期的に今のところ彼の最新作。昨年2021年3月の『風起洛陽』以降ドラマをすべて断り、映画に専念して演技力を磨いてきた成果がしっかり実っている模様で、嬉しい限り!
それからこの映画祭は、名前に「青年」とつくように若い才能の発掘を目的とし、またCHANELがスポンサーとして参画しているので女性にスポットライトを当てた作品を推奨しているようです。
劇中の映画館内では、親子や友達同士で観に来ていたり、子供たちが走り回っていたりと和やかでハートウォーミングな雰囲気が漂っていました。
映画への賛美も感じられて、遠赤外線のようにじんわりと心温まる佳作でした。
またどこかで『我的朋友』を鑑賞できる日を心待ちにしつつ…
短編なので短く書くつもりが、愛と共に筆が突っ走ってしまいました(笑)
拙文お読みいただきありがとうございました!