動きを描くってどうやるの?
こんにちは、ムーヴメントやダンスの教育・研究に携わっている橋本有子@yhashimotoCMA です。前々回の「人の動き」とは、に続いて、今回は動きを「描く」ことを通して、動きを「捉える」ということについて、お話しします。
この世で決して変化しないもの
ある人が、人の動きについて、このように言いました。
‘If there is anything it never changes in our lives, it is about "changing."’
「もしこの世に決して変化しないものがあるとすれば、それは『変化』することである。」 ーIrmgard Bartenieff
これは、米国にラバン・バーテニエフの専門教育機関(Laban/Bartenieff Institute of Movement Studies: LIMS)を創立したアームガード・バーテニエフ(1900-1981)の言葉で、私の大好きな文言です。
人の「動き」は、瞬間瞬間で変化を続けています。そしてこれ、実は動きのことだけでなく 「人の人生そのもの」のことでもあるのですよね。まさに、生々流転と同義だと思います。私自身、つい物事に固執しそうになったとき、これを思い出しています。変化しないものは、逆に不自然である、と。
それではそんな刻々と変化する「動き」を、私たちはどのように「捉える」のでしょうか。
「動きを捉える」ことは、「現象学的立場」である
私たちが動きを観る時、「チューニング・イン」を意識します。観ている現象に波長を合わせる、その人の動きを共感ならず共体感(共に体感:橋本の造語)する、といった感覚です。
現象学の創始者である哲学者フッサール(1859-1938)は、このことを「事象そのものへ」と言いました。例えば、りんごを見て「丸い、赤い」と初見で外観を捉えますが、この認識は客観的なものだといいます。
彼は、人々が見ているものは見ている人の意識世界のものであり、本当にそこにあるのかはわからないといいます。したがって、物の内側まで入っていってリンゴの味や感触などを捉えたときに、主観であるけれども、本質的なものがそこに観えるのではないかと考えたのです。
外側から見ているだけでなく、中に入って物事を見ていく事によるバランスを問うたのが現象学です。私は、「動きを捉える」ということは、この現象学の立場に非常に近いと思っています。
動きを描く、現象を捉える
例えば、目の前で5歳の女の子が飛び跳ね、回ったとします。私は、以下のように動きを捉えます。左から右へ進んでみてください。
1.「五歳の女の子が、飛び跳ね、回ったとき」
いわゆる身体の物理的な動き(飛んだ、回った)だけでなく、動きの質感(動きの強弱や、流れなど)など、彼女の存在そのものが発する色々な情報から得られるものを、私たちは感覚的に受け取っています。この絵画ではそのときの雰囲気に合う色を選びました。
同じように「老人が杖をついて歩き、よっこいしょと腰をかけるまで」を描いてみます。
2.「老人が杖をついて歩き、よっこいしょと腰をかけるまで」
青いよろよろした線が老人のからだの動きを、水色の直線が杖の動きを表しています。老人の動きと杖の動きをイメージしながら、下から上へ、線を目で追ってみてください。
この老人は、からだ全体の足元がおぼつかない動きとは別に、もう少し行き先がはっきりした杖の動きがあります。座る直前につく杖の動きは、それまでのものとは違って、自分のからだが空間の中で移動するために、しっかりと地面へ重さをかけます。1の5歳の女の子に比べて複雑です。
次は、「通勤列車を降りて歩きスマホをしながらエスカレーターに乗るまで」です。下から上へ、前へ進むように想像してみてください。
3.「通勤列車を降りて歩きスマホをしながらエスカレーターに乗るまで」
こちらも、からだ全体の歩行とは別にスマホをいじる手先のジェスチャーがあります。予期しない人の波には顔を上げて対応します。そしてエスカレーターに乗ったら、からだ全体の動きはほぼ静止し、手先のジェスチャーが加速します。
ラバン/バーテニエフの学びのなかには、「動きを記述する」というものがあります。人の動きは、流れ消え去っていきますが、その動きを「捉える」一番はじめの記述方法が、「描くこと」なのです。
まとめ
・人の動きは「刻々と変化しているもの」であり、瞬時に消えてゆく。
・「動きを捉える」ためには、「チューニング・イン」、すなわち「共体感」が必要→これは現象学的立場にかなり近いのではないか。
・「動きを捉える」ことは、「現象を捉える」ことでもあり、変化を続けるその動きの瞬間瞬間にハイライトを当て、丁寧に分解していくようなイメージである。
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