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わざとじゃないから
タイトルは最近自分に投げかけている言葉です。
例えば子供が何かをやってしまった時。
まず、すぐに自分の中で「これはわざとなのかな?」と問いかけます。
5歳と3歳なのでわざとやってることもあるけれど、わざとじゃないハプニングのときもあります。
わざとじゃないな、と気づけた時は、
またすぐに自分の中で「じゃあ、仕方ないよね」と結論を出します。
その「仕方ないよね」という言葉を子供達にもかけてあげるようにしています。
わざとじゃない時は子供達自身も「あ、やっちゃったな」という顔をしているので、私に怒られる前に「わざとじゃないんでしょ?仕方ないよね、じゃあどうしよっか」と言われるとどこかホッとした顔をする。私もその顔を見て、「よし、優しくできたぞ」と思える。
これを読んだ方は、何を当たり前のこと、と思うでしょう。
これが、私が鬱の回復期からずっと探ってきた怒りとの向き合い方、今のところの良い方法です。
鬱から少しずつ回復するなかで、1番私が困った、戸惑ったのが「怒り」でした。
今まで、鬱になる前はもっと、怒りなんか感じたことが殆どなかったのに、
忘れていたのか、知らなかったのか、この初めての感情をどう扱えばいいのかわからず、
泣いて怒ってみたり、そのままぶつけてみたり。
でもそれは私にとっても、家族にとっても、とりわけ子供たちにとっては、健全でないなと思っていたのです。
出来る限り、客観的に課題の整理(この場合はわざとか?わざとじゃないか?)をして、
まずは自分に優しい言葉をかけてあげることがポイント。
人は、与えてもらった言葉しか、人に与えることが出来ないから。
子供たちにかけてあげる言葉は、私が誰かからか貰った言葉のはず。
私の場合は、それがまずは自分。
自分自身が私に優しい言葉をかけてあげる。「わざとじゃないから、仕方ないよね」って。
この方法で、私も自分に優しくできるし、子供たちにも優しくできる。
きっと色んなことに応用できていると思う。
対子供じゃなくて、対大人でも、
「この人はわざとこう言うことを言ってるのかな?」と思うと大体が無意識だし、悪意はない。
私の考えすぎだったり、捉え方だったり、あとは相手の想像が足りてなかったり。
それはきっと大したことではなくて、ちょっとしたことだから、仕方ないんだ。
逆に、わざと怒らせようなんて思っているのであればさっさと離れたほうがいい。
無意識にそういうことを繰り返しているような大人もそっと離れたほうがいい。
大人は私の子供ではないから、育ててあげる義理はないのだ。
ただ、それだけ。
さーて、掃除と洗濯をしてまた明日からの1週間を気持ちよく迎えよう。