#今日の短歌 セカイの中心は何処だ
今日の短歌
「サッカーの少年二人語りおりウクライナとか元カノだとか」 永麗
職場は小学校に隣接しており、駐車場から職場まで小学校のグラウンドを通って通勤している。
ある日二人の高校生ぐらいの少年がボールを蹴りながら国際情勢の話をしていた。
一人がもう一人に説明している。
どうやらウクライナが元カノでロシアがそれに対して怒っている元カレといったところのようだ。
片耳で聞きながら通り過ぎたので、残念ながらどうして元カノが元カレの逆鱗に触れ、軍事進行されてしまったのかまでは聞き取れなかった。
ただ、国際情勢に関心を持って熱く語っている少年に何となく好感を持った。
あの少年にしても、社会の先生とかテレビとか、親とかの、誰かの話の受け売りをしていたのだろうけれど、その話を聞いた生徒全員が次の日に友に語る訳ではない。
子どもの頃「夢見る夢子」なんて良く言われたし、今でもニュースも新聞もほぼ読まない浮世離れした人間なので、歳若い解説者の熱弁を目の当たりに「ほほーう」と感心しきりであった。
一昔前「世界の中心」というフレーズが一世を風靡した時、世界の中心って何処だよ?と思っていた。
そして今、セカチュウとはジコチュウと言う意味だと推論する。
そのベストセラーも読まなければ映画も見ていないのでよく分からないのだが、叫んでしまうほど自分の恋愛が世界の中心になってしまうという事なのだから。
何事も、「世界の中心」が自分の側にあると思うところから、あらゆる誤解と諍いが生じるものだ。
元カノの言動に激昂して凶刃を振る元カレも、
元カレの逆鱗に触れる言動をとる元カノも、
どっちにも世界の中心があったのだ。
世界に中心などない。
中庸の精神、中空の構造。これが日本の知恵である。