【雑記】カレーと祖父と本音の「ね」
最強のカレー
占いが一位だった日に、カレーを作ることにした。
スパイスも入れるけど、市販のルーで作る普通のやつを。
12分の1くらいの確率で回ってくる「いいこと」と言えば、「作ったカレーが美味しかった」くらいが良いと思っている。せっかくなので、SNSで友人たちに「おいしいカレーの作り方」を聞いてみたところ、「赤ワインで肉を炒める」とか「ニンニクで玉ねぎを炒める」とか、まあいろいろとアイデアが集まってきた。
東京に住んでいた頃、美味しいハンバーガーショップを近場で探すときに「ハンバーガー 都内 最強」と調べていた友人のことを思い出したので、僕も「最強のカレー」を作るべく、集められたアイデアを(可能な範囲で)すべて採用することにした。
結論から言ってしまうと、味の違いはほとんどよくわからなかった。いや美味しいのはたしかだが、普段作っているカレーとの違いという点で、そこまで頑張る必要はなかったと思えた。大好きなカレーの、いつもどおりの美味しさを、どこか不満げに口へ運ぶ。
こだわりというものは、ひとつくらいが丁度いいのかもしれない。
シジュウカラ ~オカンと祖父と、時々、祖母~
広島で祖父とたくさん話した。
この歳になってようやく、家族や親戚とそれぞれの人生という視点に立って話をできるようになったということなのか、今まで何故か話していなかったことや話したつもりになっていたことを、ゆっくりと長い時間をかけて話した。船乗りとしてその人生の半分以上を海の上で過ごした祖父の20代や30代は、文字通り波瀾万丈だった。その生き方にふれて、僕の舟はこの先どこへ行くのか。だれもしらない。
夕食を終えて、風呂に入るまでのゴムみたいに伸びた時間の真ん中。祖父が毎日ぼけ防止のために付けているという日記帳を開く。中には何枚か書類や封筒が挟まれていた。祖父がそのひとつを「読んでみんさい」と手渡してくる。やけに薄いその封筒の、送り主には母の名前が書いてある。中身をテーブルの上に出して見てみると、たった数行の短い手紙と、新聞の切り抜きが入っていた。
「シジュウカラって話せるらしいよ、読んでみてね。」という書き出しで、唐突に始まる手紙と、「鳴き声は文章 『鳥語』発見」という文化面の切り抜き記事。
僕は黙ってゆっくりとそれを読んでから、隣で日記を書き始めている祖父の顔を見た。鳥に言葉があることを知った母は、それを遠く離れた場所に住む祖父に伝えようと思った。祖父はそれを大切に日記帳に挟んでいた。祖父と母の、あるいは父と娘の、なんでもないようなやりとりを目の当たりにして、どういう訳だか自分は、涙をこらえていた。
すでにだいぶ耳が遠くなった祖父は一昨年に目の手術をして、昨年は足の手術をした。船と、そして車もついに手放した祖父は最初こそ暇を持て余していたらしいが、今は元気に早朝と夕方の1日2回散歩しているし、町中に手製のベンチを作って置いているらしい。およそ半世紀以上続いている祖母の小言も、聞こえていないみたいな顔をして受け流している。健康的な夫婦生活はいまも続いている。
庭先の松の木の上、小さな巣箱を作って置いた祖父が、シジュウカラの言葉を聞ける日は果たして来るのだろうか。その日が来ても来なくても、その生活の美しさに僕は何度も心打たれて泣くのだろう。
最近思っていること
「言葉を諦めるな」って言われて、そうねって思う反面で、でも自分が文章を書くときも対話をするときも、むしろ言葉を諦めているよなと思う。
そんなことを考えていたら、マカロニえんぴつの「恋人ごっこ」がシャッフルで流れてきて、そうだよなぁと思う歌詞があった。
言葉を諦めない。でもそれを突き詰めると、言葉を真剣に諦めて手放していくことになる。その真剣さこそが一番大切なんだと、今は思う。
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