『木のいのち木のこころ』
<天>西岡常一 <地>小川三夫 <人>塩野米松
本日の読書感想文2冊目です。
「個々の持つ力、経験、癖と、その付き合い方」を感性でどのように考えていらっしゃったかを、法隆寺の宮大工である西岡常一さん、<天>ではご本人、<地>では弟子、<人>はご家族にも近い同僚や部下など身近な方々の、それぞれの喋り口調で書かれており、職人の世界観が温かく感じられる一冊です。Japanese Rule'sといっても過言ではないのでは。
ただ、巻末の糸井重里さんもおっしゃる通り、読み方によっては理不尽のかたまりです。今回はぜひ、私のテーマとして「個々の持つ力、経験、癖と、その付き合い方」に着目していただき、これからにも必要な教育に活かしていただけるよう読んでいただきたいなと思います。
教育は人間をダメにする
ここでいう教育というのは、手取り足取り教えるというものです。西岡さんの教育方針は、自分でみて、自分で考え、ときに失敗もし、自分で学ぶという姿勢です。自然に任せるという教育。
宮大工は道具の準備からまずは修業が始まるようです。
ただしそれは、きれいに研いであげたものを差し上げることはしません。自分で上手に研げるようになるまで、繰り返し繰り返し、棟梁のやり方をみて、マネをして、失敗もして、できるようになる。できるようになる速さは、その人によって異なるので、それには決して手を出さず、ひたすら経験するのを見守るというもの。
道具が準備できるようになると、突然大きな仕事を任されたりもします。それはもう責任を持ってやるしかないので、棟梁を観ながら、自分で意思決定をしていく。
その繰り返し。
木の癖
西岡常一さんは、非常に「木」を大切に考える方です。
木にはそれぞれ、育った環境によって癖があり、使い方があり、組み合わせ方も違うというもの。その癖を理解するために、材料にする木が生えている山すらも大切に考えていらっしゃいます。
加えて、大工一人一人の癖についても、考えていらっしゃいます。その点西岡さんは、その人の良さや得意という癖を活かして働かせているように感じます。
私も多少ゆとり時代にかかっており個性を大切にと叫ばれる中育ち、現在も個で働くなんていう話がもてはやされたりしておりますが、
木の癖を理解して建物を組むのと同様、個を活かすからこそ、実は一人では何も仕事はできず、お互いの良いところを発揮するチームが必要なのだと深く考えさせられました。
無意識まで繰り返すことで養う勘
今回ご紹介する一冊目に、現在絶賛オートマ→マニュアルに意識をシフトさせているという話をしましたが、職人だったりプロになる過程においては、再度マニュアル→オートマの作業をするのだと思います。自らの表現や仕事に対して、自分がやるという市場価値をつけるということは、この段階だと思います。
西岡常一さん、小川三夫さんのお話には癖という言葉が使われるのですが、一度ニュートラルに戻す作業をし(癖を直すわけではなく癖を理解しながら仕事をするためのマニュアルで動くことを学ぶ)、そこから今度は癖を活かす働き方を促します。
のぼせも必要というようなフレーズが中にございますが、修業期間を終えて認められたら突然プロに認められる感じなのだと思いました。プロになると、そこからは自分で無意識的にできるようになっていることに加えて自分の癖を活かすという働き方になる。それがプロの勘なのでしょうね。
さいごに
コンサルもパートナーになるまではひたすら資料作りなんてよく言ったものですが、テクニックという点ではやはり繰り返すという修業がある程度必要で、尚且つ、それ以上に活躍するためには自分の癖を活かすことが必要で、それは修業が終わらないと発揮しづらい評価されづらいものだったりするのでしょうね。
古臭いと感じる方もいるかもしれませんが、「仕事が大好き!」「仕事に対して誇りを持つ」働き方というのは、敬意と感謝、そして根性(自分では意識されていないかもしれないが)なのかなと思います。
また3年後くらいに読み返したい本です。