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読書メモ #15 『最愛の子ども』 松浦理恵子

「敵味方じゃなくってさ、一生に一回情熱と快楽に悶えるような激しい恋をするのと、そこそこ楽しいけどそんなには酔えない、ほどほどの恋を何度かするのとではどっちを選ぶ?」
「それなら、激しい恋をして情熱と快楽に悶えてその絶頂の瞬間に死にたい」

 

わたしはいつも好きな人や物に対して冷たい気持ちといとおしい気持ちを両方抱く。だから何ものにもほんとうに耽溺することはない。


いったいどれだけ賢ければ波風立てずに生きて行けるだろう。どれだけ美しければ世間にだいじにされるのだろう。どれだけまっすぐに育てばすこやかな性欲が宿るのだろう。どれだけ性格がよければ今のわたしたちが全く愛せない人たちを愛せるのだろう。気が遠くなる。

松浦理英子『最愛の子ども』

日夏・真汐・空穂の3人を「わたしたちのファミリー」としてクラスの女子たちは寵愛している。この3人の間での出来事や心理描写がずっと続いていくのだが、びっくりすることに、それらのほとんどが「わたしたち」、つまりクラスの女子たちによる妄想でしかないということがあっけらかんと書かれている。悪びれもせず書かれている。物語の中にもう一つ物語があるような感覚に陥った。寓話的でありながらも、現実味が見え隠れする感じ。
しかもすごいのは、ずっと主語が「わたしたち」であるということ。3人の物語の中では決して「わたしたち」が「わたし」にはなれないことを意味している、と思う。引用だが、
「わたしたちの役割は見て解釈し脚色して物語り伝えることなのだから、現実を動かす役割を与えられてはいない」
「わたしたち」が「わたしたち」であり続けることが肯定されている。

この後どうなるんだろう、などといったページをめくる手が早まることはなかった。それでも、絶対に他の作品では味わえない空気感があって、読み終えるのが勿体無いと思った。結局5日もかかってしまった。


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