文章を書く時に思い出すこと
子供の頃、文章を書くのが苦手だった。
日記。
感想文。
その他いろいろ。
でも今こうして文章を書いている。
なぜだろう。
小学生の時に先生が宿題で「週末日記」を出した。
文字通り、週末のことを書く日記だ。
日曜日の夜、母が宿題をチェックしていた。
「○○!ちょっと来なさい!」
母が怒ったような、でも心配したような顔で僕を呼んだ。
子供ながらに焦って行くと、
「この日記どういうこと?」と。
僕の日記の冒頭はこうだった。
大人になった今だからこそ分かるやばさ。
でも小学生の僕は大真面目に、ただの購入報告から始まる日記を書き上げて提出しようとしていた。
当時の母の気持ち、察します。
その時に母が言っていたこと。
一言一句覚えてるわけではないけど確かこうだった気がする。
「あなたが何を買ったかを聞きたいんじゃないの。あなたが何を思ったかを聞きたいの。」
母、ナイス。分かりやすい。
そして僕は購入報告日記から、とにかく週末が楽しかったという日記に書き直した。
最近では購入報告の記事やYouTubeも珍しくない。
たくさんの需要がある。
小学生の僕は先取りしていたのかもしれない。
ただ圧倒的に違うところがある。
それは突き詰めてるかどうか。
僕がよく見る購入報告には「どこが良くて、どこが悪かったか」が明確に提示されている理論型のものと、お洒落な写真や音楽で魅せる感性型がある。
どちらも突き詰めている。
だからまた読みたくなる。見たくなる。
小学生の僕の購入報告は同世代が見て、僕も欲しいとなるものではなかったはずだ。
この経験がきっかけなのか、全く関係ないのか分からないけど、言葉が好きになった。
学生時代には作詞もしたし、社会人になっても言葉を紡ぎたくて、こうしてnoteを始めた。
文章を書いているとたまに思い出す。
「**の赤ペンと**の青ペンを買いました」
僕のスタートはここだったなと。
そして同時に母の言葉も思い出す。
「あなたが何を思ったかを聞きたいの」
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