【想像していなかった未来】「その本質は単なる数式に過ぎない」人工知能概念は一体何処から現れ、何処に向かうのか?
現在の学習要項では連立一次方程式について習うのは中学2年生以降とされている様ですが、「連立一次方程式が解ける(解が一つに定まる)」とは(現在カリキュラムへの復活が検討されている)線形代数において「対角化が可能」という状態を意味しています。
そして、これが「解けない(対角化が出来ない)」とは「式(行)の数が少な過ぎて交点=解が幾らでも見つかる(不定)」場合か…
「式(行)の解が多過ぎて、交点=共通解が一つも見つからない(不能)」状態をいうのです。
ところで人類の数学は欧州への大航海時代(15世紀中旬~17世紀中旬)到来を契機としてイタリア・ルネサンス期(14世紀~16世紀)に錬金術や数秘術と科学が分離し、宗教戦争時代(16世紀~17世紀)の総力戦を勝ち抜いた「主権国家=国体維持に十分な火力と機動力を備えた常備軍を中央集権的官僚制が徴税によって賄う体制」の確立期(17世紀~18世紀)に大天文学者=大物理学者を兼ねる大数学者が活躍した訳ですが、この間ずっとかかる「不能」問題はそのまま放置されてきました。そこから最も誤差=損失の少ない近似値を導出しようとする試みが、今日の機械学習アルゴリズムに結実する流れは、まさにそれまでの人類の想像力では到底追いつかない「想像していなかった未来」だったという訳です。
発端はフランス革命と産業革命
かかる「近世=絶対王政樹立期(16世紀~18世紀)」を良い意味でも悪い意味でもフランス革命(1789年~1799年)が終わらせた時、暦法から宗教色を抜こうという試みの一環として度量衡単位の再設定が遂行されました。「地球の大きさに基づく」メートル法制定がそれで、ただしその時までに地球は球体でなく楕円回転体である事が明らかとなっていて、その計測結果は計測誤差も相まって「不能解の嵐」となったのです。
問題解決に先鞭をつけたのはラプラス(Pierre-Simon Laplace, 1749年~1827年)の「最小一乗法(1799年)」。しかし計算が煩雑で扱いかねているところに登場したのがルジャンドル(Adrien-Marie Legendre、1752年~1833年)の最小二乗法(1805年)でした。実はこうしたフランスの国家プロジェクトと並行してドイツでガウス(Carolus Fridericus Gauss、1777年~1855年)が最小二乗法の研究を進めており(1801年、小惑星Ceresの軌道予測と再発見後の最小二乗法を用いた軌道計算の精密化)、これをさらに発展させる形で誤差関数(erf=ERror Function)概念が登場したのです(1809年と1823年の論文)。
後続の研究者はこの「値域が0を中心に-1から+1にかけて分布する」式を確率論で扱う「0から1への分布」に変換する為に1を足して2で割りました。式の見た目はまるで同じ。ただし誤差関数は(上掲の操作の影響で?)分布の中心「平均0、分散1」ではなく「平均0、分散$${\frac{1}{2}}$$」の位置に写像されます。
かかる累積分布関数(Cumulative Distribution Function)を微分すると得られる確率密度関数(PDF=Probability Density Function)が、いわゆる「正規分布のベルカーブ」通称「ガウス分布」。
こうして発見された「(観察対象が巨大なたった一つに限られる)天体観測につきもの計測誤差の分布」。それが「(中央極限定理に従う)あらゆる微小事象の集積の多くに観測される根源的分布」と見做されるに至ったのが統計学におけるコペルニクス的展開=統計革命だった訳ですが、その重要な牽引役となったのがマルクス主義者にして優生主義者という複雑な思想的背景を有する統計学者カール・ピアソン(Karl Pearson, 1857年~1936年)となります。例えば「ナポリに棲息する蟹の個体群の甲羅サイズの分布調査(1894年)」…
しかしながら彼の頻度主義統計学は、ロナルド・フィッシャー(Sir Ronald Aylmer Fisher, 1890年~1962年)の「(事前分布を参照しない)点推定に立脚する最尤推定法」やベイズ主義統計学の「(事前分布を参照する)区間推定に立脚する最尤推定法」の導入によってその原理主義的意味合いを大いに薄めるのです。
なおこの様な形での数学の発展は、それまでの時代の様に大天文学者=大物理学者=大数学者の純粋な(時として神学的な)知的興味ではなく、産業革命時代の生産環境管理が必要とした「より厳密な数理最適化法」の供給を目指して発達してきた点が重要。そう、要するに「数学は神学の端女」の時代が終わり、「(実用)数学は産業の端女」の時代が始まったという訳です。
「その本質は単なる数式に過ぎない」機械学習アルゴリズムの登場
こうした背景があって1958年にはロジスティック回帰と人工ニューロン概念の発端となる単層パーセプトロン概念が発表されます。歴史のこの時点におけるバックエンド(計算式)こそ上掲の最小二乗法に毛が生えた程度でしたが、この歴史的時点で「データを学習用データと検証用データに分けて与える」機械学習アルゴリズム的インターフェイスが樹立した事にこそに歴史的意義があったのです。
実際にアルゴリズム上の技術革新となったのは2024年度ノーベル物理学賞の対象となったジョン・ホップフィールド(John Joseph Hopfield、1933年~)のホップフィールド・ネットワーク(物理学のスピングラス理論を援用したが局所最適化が早過ぎてアルファベット28文字の学習もままならなかった)。あるいはその問題点を「確率論的揺らぎ」の導入によって克服しつつ組み合わせ爆破を抑え込んだジェフリー・ヒントン(英: Geoffrey Everest Hinton、1947年12月6日 - )のバックプロパゲーション(誤差逆伝播法、1986年)。さらに未来の教科書には「いち早く並列処理に対応して高速化した決定木アルゴリズムへのへの対抗策として深層学習アルゴリズム側が再帰もバックトラックも畳み込みも捨てて放った刺客」transformerアルゴリズムの登場(2017年)こそが真の技術革新だったと書かれる事になるかもしれません。
なにしろこの自然言語処理(NLS)から派生したモデル、実際に運用してみると高度な数学問題を解く様な問題解決能力まで備えている事が明らかとなったのです。
いずれにせよ人類の大半にとってかかる「実用数学史におけるコペルニクス的転回」に突如として直面したのはOpenAI社のChatGPT発表(2022年)を契機としての事であり、要するに一般人はアルゴリズムの進化そのものではなく、インターフェイス、すなわちCUI(キャラクター・ユーザー・インターフェース)を介しての一問一答とか「データが学習用と検証用に分けて与えられる」過程などに反応する事しかしないものなのです。
「想像していなかった未来」は、いつだって向こうから勝手に問答無用でやってくる?
ここまで駆け足で眺めてきた通り機械学習アルゴリズムの正体は「数式そのもの」に他ならない訳ですが、現在の数学教育は学習者にその事を実感可能な形で組み上げられておらず、従って「人工知能を異次元から突如現れ、人類を滅ぼそうとしている怪物」としか認識出来ない人の説得に失敗し続けています。まぁ「想像していなかった未来」が向こうから勝手に押しかけてくる時、よく見掛ける景色。この問題をどう解決するかで「本当に訪れる未来」の実像が変わって来るという次第…
投稿用本文はここまで。「2017年に数学再勉強を始めたら自分だからこそ見える景色」にこだわってみました。そう、この投稿はその全体が「あの時の決断があったから、当時の自分には想像だに出来なかった今の自分がある」という過去の自分への結果報告でもある訳です。
「最初からこれくらいの数理なら常識の範疇な人達」は、ごく当たり前の様についてこれない人達を置き去りにして先へ先へと進もうとします。最近の流行でいう「加速主義」って奴ですね。しばしばそのうち右派は未来派芸術と関係が深かったムッソリーニのファシズム思想、左派は資本主義的発展は必ずその矛盾を自ら露呈すると考えたマルクス思想の発展型として捉えられます。
「未来派芸術と関係が深かったムッソリーニのファシズム思想」…ChatGPT自身の特徴抽出によれば、当時のイタリアにおける未来派芸術の方がファシズム思想自体より右派加速主義の本質を表してる様なんです? ただし一時期イタリアを席巻したファシズムや、その後ドイツを席巻したナチズムが闘争的だった背景に「不況の影響で就職先が見つからない第一次世界大戦帰還兵の不満」があった点には留意が必要です。右派加速主義が同じ形で「戦争こそ究極の解決」なる結論に至るとは限らないという事ですね。
しかしながら、これから先の展開を考えると「人工知能をインターフェースでしか捉えられず、それへの脊髄反射的反応しか見せない人達」とどう上手く付き合っていくかが新たな問題として台頭してくる訳です。有名な失敗例が英国自動車産業が餌食にされてフランスやドイツの追随を許した痛恨の赤旗法(1865年~1896年)あたり…
歴史とは繰り返してはいないものの、周回的に韻を踏むもの。そうした事象の特徴検知には人文学的教養が欠かないというのが現時点における私の到着地点という訳ですね。
そんな感じで以下続報…