【とある本格派フェミニストの憂鬱13パス目】技術革新と認識革命④「中央と周辺の関係」はどう推移してきたのか?
今回の出発点はこの話。
東アジアも巻き込まれた「当時の欧州におけるアリストテレス論争」
この辺りの欧州におけるアリストテレス関連論争、一見東アジアとあまり関係なさそうに見えますがさにあらず。東アジアに布教に訪れたイタリア人イエズス会士マテオ・リッチ(Matteo Ricci/利瑪竇,1552年~1610年)が「天主実義(1603年)」の中で、一神教擁護の立場から当時における「当時のアリストテレス論法」の精髄そのもの、すなわち「この世界に超越的影響力を発揮し続ける、万物の原動力としての神の恩寵を想定しない限り何も説明出来ない」とする機械的宇宙論を展開して当時の東アジア中の儒学者の一斉反論を引き起こしているのですね。
その一方で、この考え方をこっそり剽窃したのが平田篤胤の国学という話もあります。その理論においては(古事記や日本書紀には最小限の言及しかない)高皇産霊(タカミムスヒ)神と神皇産霊(カムミムスヒ)神なる二柱の産霊(むすび)神を至上神にして民族神とした本居宣長の復古神道の立場を継承してマテオ・リッチ流の、すなわち当時のアリストテレス論法流の「その超越的影響力抜きに万物は語り得ない」なる立場からの装飾を施した可能性が指摘されているのです(詳細は忘れたので後で調べ直す予定)。
平田篤胤とキリスト教
とはいえ、ここに登場する「当時のアリストテレス論法」なるものが曲者で、上掲「磁力と重力の発見」にはそれが時代に合わせてダイナミックに変遷していく過程が描かれています(事実上前半の山場とも)。ましてや反宗教革命運動の為に結成されたイエズス会のそれが布教の武器として先鋭化されていない筈がなく、その一方で「方法序説(Discours de la méthode, 1637年)」を著した「近代哲学の父」にして「直交座標系の祖」ルネ・デカルト(René Descartes,1596年~1650年)」の思想には幼少時教育を受けたイエズス会の思想が強く現れていると言われています。「ああ、そういえば確かにあの機械的宇宙論の大源流は…」と察しのいい人なら気付くレベルの話かと。
話がますます錯綜してまいりましたが、それにとどめを指すのが、かかる「日本のムスビ思想」について新海誠監督の劇場用アニメーション映画「君の名は。(2016年)」にそれなりの言及があった事。もちろんここでの興味は「現代日本人はそういう考え方をどう受け止めたか」なる方面に集中してくる訳ですが…(明かに五十嵐大介の漫画「魔女(2003年~2005年)」「海獣の子供(2006年~2011年)」などの影響を受けた「神秘性を演出する為のギミックの一つ」としての援用であり、情報発信者側の意図を追求する事自体に意義はない)。
コンピューターで気軽に円や多角形が描ける様になるまでの長過ぎる道のり
私自身の関心は「AIによって駆動する分布意味論(Distributional Semantics)が21世紀においてはあらゆる考え方がそれを援用した形での再構成を迫られる」なる前提から、こういう話についてもあくまで「(宗教・国家・文化など様々な意味合いにおける)中央と周辺の関係」へと向けられる事になります。
重要なのは、ここで分布する記号体系に数理概念も含まれてくるあたり。対象範囲から微妙に外れてるので山本義隆「少数と対数の発見」でも特に触れられてないのですが…
①アイザック・ニュートン(Sir Isaac Newton, 1642年~1727年)が微分積分学の基礎を構想したのは1665年から1666年にかけてのペスト流行に伴う大学閉鎖を受けての疎開期、ライプニッツ(Gottfried Wilhelm Leibniz,1646年~1716年)が微分積分学を発表したのはパリ滞在中に雇用主のマインツ選帝侯が亡くなった1673年からカレンベルク侯ヨハン・フリードリヒ雇われハノーファーに移住する1676年にかけての求職期だった。そしてその概念をさらに発展させた「テイラー展開の発想者」ジェームズ・グレゴリー(James Gregory, 1638年~1675年)や、「マクローリン展開」の研究者コリン・マクローリン(Colin Maclaurin, 1698年~1746年)は、啓蒙主義運動最盛期のスコットランドの学者だった。
スコットランド啓蒙主義 (The Scottish Enlightenment)
②虚数概念の発見とその普及過程
片や宗教問題。片や数学問題。しかし「国体維持に十分な火力と機動力を有する常備軍を中央集権的官僚制の徴税によって賄う」主権国家が台頭してくる近世にあっては(学者や芸術家のパトロネージュ問題も絡んで)そういった全てが渾然一体となって存在していたとも。実際「ガリレオの宗教裁判によってデカルトもホッブスも天道説発表を諦めた」「複素平面概念の普及はフランス革命とナポレオン戦争による既存秩序の動揺を尻目に進行した」なんて話もあるくらいなのです。
もちろん当時と今では「中央と周辺の関係」もずいぶん違ってきています。それならそれで「変わってしまった要素」と「変わらない要素」をそれぞれ明ラカにしないといけません。それに取り組むシリーズだという事が再確認出来た時点で以下続報…