【まいにち てつがく】:「アンパンマン」の巻(前編)
2023年1月6日 金曜日
【まいにちてつがく】:「アンパンマン」の巻(前編)
金曜日の朝といえば、「アンパンマン」ですね。
そして夜は、金曜ロードショー。今夜は「ハウルの動く城」でした。
ジブリ作品はいくつになっても、私の精神の原点です。
新年を迎え、今年最初のアンパンマンは
いつにも増して、スーパーヒーローでした。
ひとつのクルミを取り合っていたリスたちのもとに現れては
何も言わずにただお腹を満たしてあげることで
彼らを元の仲良しに戻して見せます。
崖に蹄(ひづめ)が引っかかってしまい動けない子や
崖から落ちた子羊や小鳥
砂漠で蟻地獄に落ちてしまった子
浜辺に打ち上げられてしまったクジラを海に戻し
様々な場所で困っている子たちを助けては
「大丈夫?」
「お腹が空いているんだね」
そう言って、笑顔で顔をちぎって渡すアンパンマン。
みんなはアンパンマンの顔を分けてもらって、笑顔になります。
そして去り際には、
「困ったときは、いつでも呼んでね」
そう言い残して、笑顔で飛び去っていきます。
アンパンマンの世界には、いつも
驚くほどの愛と、利他の精神が溢れています。
それはオープニングテーマ曲を聴いてすぐにわかることです。
(どこが欠けても損なわれてしまうので、前後しますが全て引用します)
そして
脳裏をよぎった、私なりの解釈を書き添えてみます。
♪主題歌「アンパンマンのマーチ」で哲学してみよう、の巻。
現在の主題歌は「アンパンマンのマーチ」です。
(作詞:やなせたかし 先生、作曲:三木たかし 先生)
(「アンパンマンのマーチ」歌詞 ©️Nippon Television Music Corp.)
テレビ放送のオープニングでは、この部分から始まります。
♪「そうだ おそれないで
みんなのために
愛と勇気だけが ともだちさ」
ここでは(そのような言葉で名指されていませんが)、
たとえ孤独であったとしても、
愛と勇気によっておそれを手放すことができる、という願いが込められているように思います。
♪「なにが君のしあわせ
なにをしてよろこぶ
わからないままおわる
そんなのはいやだ!」
これはまさに、哲学がはじまるきっかけと同じです。
自分はいったい、何が幸せで、何を成すことが喜びなのか。
哲学的な問いであり、自己への問いです。
そして、
それを知らずにいることはできないという決意表明でもあります。
♪「忘れないで夢を
こぼさないで涙
だから君はとぶんだ どこまでも」
これは、原作者でありこの歌詞をお作りになった
やなせたかし先生からの、励ましのメッセージだと感じます。
(やなせ先生、ありがとうございます…)
♪「そうだ おそれないで
みんなのために
愛と勇気だけが ともだちさ
あ あ アンパンマン やさしい君は
いけ!みんなの夢まもるため」
実はここまでの放映部分の歌詞は、いわゆる1番ではありません(!)。
冒頭の歌詞、それに終盤の歌詞は、もっとすごいのです。
今回の放送では、学校の場面、皆で冒頭を歌うシーンがありました。
改めてこの歌詞を聞かせる演出には
年始ということもあり
なんだか特別な意味が込められているように感じられました。
冒頭を見てみましょう。
♪「そうだ うれしいんだ
生きるよろこび
たとえ胸の傷がいたんでも」
…(号泣)なんていう歌詞でしょう。
冒頭から「たとえ胸の傷がいたんでも」です。
それでも、「うれしいんだ 生きるよろこび」なのです。
これは、胸の傷を知る大人(やなせ先生)による、
子供たちのみならず、すべての大人への、この上ない励ましだと思います。(ゆえに、主題歌としてはわかりやすく
♪「そうだおそれないで…」から始まるのでしょう)
生きることのよろこびは、胸の傷みにもまさるはずである。
かなしみよりも、うれしいという気持ちを見つめること。
闇よりも、光の方へ。
こうした啓示は、たとえば金子みすゞさんの詩にもありますね。
「明るいほうへ 明るいほうへ」
そして、ヴェートーベンの第九(交響曲第9番ニ短調作品125)における
シラーの詩(「歓喜に寄せて An die Freude」)にも。
さらに、ヴェートーベン自身のものと言われる一文が思い出されます。
「苦悩を突き抜け 歓喜に至れ(Durch Leiden Freude.)」
(1815年、ヴェートーベンの書簡より)
この言葉を知った時の衝撃は今も忘れられません。
苦悩を突き抜ける、そして歓喜に至るのだ、と。
すなわち歓喜とは、ただ歓喜として与えられうるものではなく
苦悩を突き抜けたその先で、至ることのかなうものであるのだ、と。
このような歓喜は、岡本太郎さんの言葉にもあります。
(岡本太郎さんとの思い出は、またいつか書きたいと思います)
そのどれもが、今なお私の心を支え続けてくれている言葉と音楽です。
さて、アンパンマンに戻りましょう。
さらに歌詞はこんなふうに続きます。
♪「なんのために生まれて
なにをして生きるのか
こたえられないなんて
そんなのはいやだ!」
なんのために生まれて、なにをして生きるのか。
これぞまさしく、哲学的な問いです。
私たちはなぜ、一体なんのために生まれたのか。
なにをして生きるのか。
その答えを知らずに生きることなどできない。
すなわち、その問いに対する自分なりの答えを確かめたい、
それができないのなら、なんの意味もない、と言えるかもしれません。
♪「今を生きることで
熱い心燃える
だから君はいくんだ
ほほえんで」
今を生きることで、熱い心が燃える。
「現在」こそが、今私たちに与えられているすべてである、というのは
まさに時間の真理でもあります。
私たちが生きることができるのは、
いつだって、「今」という時間だけなのです。
そしてそのことに自明になるとき、熱い心に
さらに酸素が吹き込まれるようにして、心はさらに熱を帯びます。
ここでも、ほほえみを湛えることの大切さが繰り返されます。
♪「時ははやくすぎる
光る星は消える
だから君はいくんだ ほほえんで
そうだ うれしいんだ
生きるよろこび
たとえどんな敵があいてでも
あ あ アンパンマン やさしい君は
いけ!みんなの夢まもるため」
時は思いのほか、はやくすぎてしまう。
時間を止めることはできません。
そして「光る星は消える」というのは、
暗に私たちの限りある命、この存在の有限性をも示しています。
生まれたからには、いずれ死ぬ運命の私たち。
「死すべき者ども」としての私たちの宿命です。
だからこそ、ほほえんで、いく。
それはまさに、行為することによって試みる、有限性の超克です。
歌詞を読むとき、原作者・やなせたかし先生がアンパンマンに込めた哲学や、祈りのようなものが垣間見える気持ちがします。
そして、エンディングテーマ曲も、すごいのです。
これはオープニングとエンディングの両方で本編を挟むことによって
完結していると思います。
(少し長くなりましたので、エンディングについては「後編」で…)
哲学は「アンパンマン」のようでありたい
私にとって、哲学とは…
「アンパンマン」のようでありたいと願っています。
「大丈夫?」と語りかける言葉は、
哲学もきっと同じです。
そしてすぐさま
「お腹が空いていたんだね」と察しては
自らの顔(哲学)をちぎり、分け与えて(共有)あげる。
まさしくアンパンマンのように、問いかけなくても
人が日常において哲学に手を伸ばす時には、
(もちろん、純粋な知的好奇心の場合も多いとは思いますが)
きっと何か、きっかけがあったのではないでしょうか。
「(何かつらいことがあったんだね)」
「(生きることに疲れて動けないんだね)」
「(心が空っぽで動けないんだね)」
日常において、誰かが哲学を必要とするとき
おそらくはそんな時なのではないか、と思われてなりません。
それは、かつて哲学を求めたとき、私自身がそうだったのかもしれません。
誰かが元気になった顔を見届けては
「困ったときは、いつでも呼んでね」と立ち去ること。
何かがあって立ち止まったとしても
呼びかければ、アンパンマンが助けてくれる。
そしてまた、笑顔になれる。
そんなふうに、常にどこかで助けを呼ぶことができる。
誰かと繋がっているのだ、という安心感。
それはまさに、
♪「そうだ うれしいんだ 生きるよろこび たとえ胸の傷がいたんでも」
という前向きな気持ちになれる瞬間ではないでしょうか。
「哲学が常に必要な世界などなくて良いのではないか」と思う日々
哲学という学問に日々触れていながら、
実のところ私が常々思っていることとは、
日々生きる上では
「哲学が常に必要な世界などなくて良いのではないか」ということです。
(学問として探求されるべき「哲学」とはまた別の位相ではありますが…)
これは私自身、授業中にはっきりと、学生さんにも伝えていることです。
(よりによって、今から哲学の授業を始めますよ、という時に言うので、皆さんは逆にびっくりしてもいますが… )
「哲学」が必要ではない時の方が、皆さんはきっと色々なことがうまくいっている証だと思うので、実のところ、私はその方がいいなと思っています。
けれど、何かにつまづいたり、立ち止まってしまったり、
そこからまた一歩踏み出すために、何か言葉や、思想や、答えや、励ましが必要なとき。そのときは、この授業のことを思い出してください。
そういう時のために、私は哲学の授業をしています。
ですから普段は思い出さないでくれた方が、私はむしろ安心かもしれません。
でもいつの日か、困ったとき、何かに思い悩んだときには、
「哲学」のことを思い出してみてください。
この授業の時間に、皆さんが一生懸命考えたことの中に
きっと、何か助けになることがあると思います。
私はいつでも皆さんの味方です。
おわりに: 【まいにち てつがく】 への想い
ここnoteでは哲学の授業ができるわけではありませんが、
私のページを開いてくださる方の中には、
何か哲学的な思考によって
日々をよりよいものにしたい、
何か新しいことを知りたい、
もしかしたら、哲学によって何か励まされたい、
と思われる方もいらっしゃるのではないかと思います。
そんなふうに思い立ち、【まいにち てつがく】と題してみました。
とはいえ、「まいにち」と書いておきながら、
毎日は書けないであろうとは思いますし、
ほとんどが思い浮かんだことを
その場で書きとめた
走り書きのようなものになるとは思いますが、
それもまた、ひとつの思考と言葉の形なのだろうと思い、
いっそ躊躇わずに手放そう、ということにしています。
これから先、もしも、ふと元気が出ないなという時には、
どうかこのページと「アンパンマン」のことを思い出してみてください。
心の中でそっと、
♪「アンパンマンのマーチ」の歌詞を反芻してみてください。
この同じ世界のどこかで、あなたが少しでも笑顔になれることを願っては、
「哲学」というあんが詰まった小さなパンを持って、
ここであなたを待っていることを思い出してください。
アンパンマンほど大きなパンではありませんが、
束の間でも、ほんの少しでも、お腹を満たすことはできるかもしれません。
このページで出逢うことのできたあなたが、
もしも少し疲れていて、元気が必要な時に、
少しでも笑顔になれたり、心強くなって下さったなら、嬉しいです。
そんな時こそ、私は哲学をやってきて良かった、
と心から思うことができると思います。
ニーチェは、「真の哲学者は精神の医師である」、と言いました。
私の目指す哲学は、まさにその一言に尽きます。
(このお話は、また機会をあらためて …. :) )
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
あなたにとって、「今」が、よりよきものでありますように。
Yayoi :)
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