こんにちは、起業準備中のコンタニです。
自分の考えていること、取り組んでいきたいことを整理、模索していくことを兼ねて、noteを書いています📒
(そういえば、昔から「紺谷さんって文章でのアウトプット量半端ないよね…」ってよく言われたなと気づく。しかも全くの自覚無しだったので「どこが?普通じゃない別に」という感じだった。)
お話、口頭ベースでの発信だと、私はどうしても進行役のほうが落ち着くので、聞き手になりたがってしまうんですよね。(笑)
あんまり自分の話を口頭で話し続けるのは落ち着かなくて。事業に関することでは問題ないのですが、特に個人的な話に関しては。noteだと何だか落ち着いて綴れそうです。
今日のnoteでは、私が音楽活動をずっとやってきて、「舞台」というものに立ち続けてきて学んだと感じることを振り返ってみたいと思います。
そうなんです、今はやっていないので時々忘れかけるのですが、私は幼いころから音楽が大好きで、特に歌うことが大好きで、ずっとやっていたんでした。
こう書いてみると、「ほう、小さい時から音楽や歌うこと、舞台観劇が大好きで、馴染み深い人だったんですね」となるわけだが、加えて、こういう風に活動をしてきて学んだことを書いてみる。
舞台に立たないと、見えない景色がある。
これを読んでくださっている皆さんは、何かしらの「舞台」に立ったことはあるだろうか?それはいわゆる発表会のステージでも、何でもいい。思い出してみてほしい。私にとってみれば、日々のクライアントさんやお客さんとの打ち合わせ、社内の会議も一つの「舞台」のように思う。
舞台に立つ前に、ステージの脇で緊張して…もっとそれ以前に、その舞台に向けて練習をしていて…。準備というものはやろうとすればいくらでも追求できるもので、色んな準備をしたうえで最後は覚悟を決めて壇上に上がらなければならない。実は演じ始めるとステージは思った以上に一瞬だ。いまだに、壇上から見えたお客さんの顔、涙を流していた時の顔は忘れられない。
どれだけうまくたって、伝わらない時は伝わらないんだよ。最後は届けたいという気持ちが無いと。
これは大学生の時、アカペラサークルで練習している時にすごく歌唱力・表現力のあるパワフルなボーカルの先輩に言ってもらった言葉だ。当時の自分は、歌う時に「うまく歌いたい」「もちろん最低限音は外さないように」「ここは~のような表現で」とかなり技術的・見せ方的なことにこだわっていた時期だった。勿論、日々練習してライヴに向けて準備している以上当然考えることなのだが、ある日その先輩に言われた。「どれだけうまくたって、伝わらない歌がある。逆に、下手でも伝わる歌もある。最後は届けたいという気持ちだよ」。
何のために歌ってきたのか、表現をしてきたのか、ハッとさせられた瞬間だった。舞台に立つ以上、みて下さっているお客さんが必ずいる。自分が好きだからやっているというだけではなくて、受け取る相手がいる以上、自己満足はゆうに超えていかなければならない。心に届くように。誰かに感動してもらえるような表現がしたい。そんな舞台をつくりたい。やるならば、そのようなものをつくらなければ。目指さなければ。これは今の仕事のスタンスや、事業づくりへの気持ちと何一つ変わっていない。ちなみにその先輩はプロのアーティストになりました。
観客としているより、舞台に立って演者になるほうが、ずっとずっと面白い。
そんな経験を、形を変えて繰り返し取り組んできたからか、ライヴや舞台というのは私にとって「観るもの」ではなく「創るもの」という感覚が近い。もしかすると観劇経験自体も一般的な人よりあるほうかもしれないが、プロのアーティストのライヴを観ていても、何か観劇していても、表現に込められていること、メッセージ、この舞台づくりの骨子や裏側にある苦労を想像せざるを得ない。
もしかして、自分が何かに盲目的に憧れることがなく、どちらかというと人の苦悩や模索のストーリーや何かの作り手の裏側や背景に興味を持つことが多いのは、この経験からなんじゃないか?とすら最近思う。
スポーツだとよく聞くけどね。野球だと「打席に立っているか?」サッカーであれば、「シュートをしているか?」その流れの中でこれを読んでくださっている方にも問いたい。「あなたは今、観客なのか、それとも演者なのか?舞台に立っているのか?」
やっぱり、舞台は立ったほうが、作るほうが、演者であるほうが、ずっとずっと面白い。人生も、そんな人生であり続けたいなあ。緊張して胃は痛いけど。