私とあなたの、トランジション。
皆さん、こんにちは。コンタニです。
最初に書いたnote『circle、それはサービスであり、思想であり、運動だ。』が気が付けばいいね50を超えていて私自身も予想もしていなかった反響でした…
読んでいただいた皆さん、本当にありがとうございます!
現在も引き続き起業の準備、会社や事業の構想に時間をとっていますが、少しずつ輪郭が見えてきた感。今までお世話になってきた方とゆっくり話す機会も増えました。そこでかなり自然と『トランジション』について話し合うことが増えてきたので、今日はそのnoteを書こうと思います。
「環境変化」と「自身の精神的な変化」は別物
私がcircleという事業を企画していた際にもコンセプトにしていたことなのですが、皆さんは、自身の大幅な環境の変化、役割の変化、人生の節目、自分自身の決断を迫られるような局面に立った時に、どこか内面がぽっかりとあいて、取り残されたような感覚に陥ったことはありませんか?
米国の組織コンサルタント、そして心理学者のウィリアム・ブリッジズが提唱した「トランジション理論」に、私はちょうどクラウドワークスで事業企画をしていた時に出会いました。
例えば、私が思った例でいうと(今は成人年齢は日本では18歳になりましたが)20歳になった時。
「成人」として周りからは扱われるんだ、そういうことなんだ…と考えるものの、自分としては何一つ変わっていない。
お酒も飲めるようになる、成人式がある。でも、20歳になる前の自分と何一つ変わってはいない。大人になるってどういうことなんだろう?そう考えたことを覚えています。
また、私は23歳の時に結婚したのですが、当時職場の皆さんや周囲の方に報告をした時に「おめでとう!」「幸せだね」と言われたことに違和感を感じました。
確かに法的にパートナーを持ち、新しく家族をつくっていくことにはなったが、私そのものは本質的に何一つ変わっていない。私自身は何か社会の役に立つことを成し遂げたわけでも、精神的に成長できたわけでもないのに、どうして人からお祝いされるのだろう。一つの出来事に対して。そんな風に思っていました。
この「トランジション理論」を知ってからは、その時々で感じたことにすごく合点がいくようになりました。
トランジションには3つのプロセスがある
ブリッジズは、人生の節目、変化に伴う自身の精神的な変化”トランジション”には、3つの段階があると言っています。
1つ目が、「終わり」。
一般的には、何かが変わる、ということは「何かの始まり」を想起することのほうが多いかと思います。でも実は、そうではないんです。実際に外的な環境変化で、新しい会社、仕事、新しい環境が”始まった”ように見えても、自分として”新しい自分”がそれと同じタイミングで始まるわけではありません。
トランジションの始まりには、今まで自分がやっていたこと、役割を終わらせる、今まで関わっていたコミュニティを離れる、などの「終わり」を必ず伴うとされています。
終わらせることによって、自分はどうしてここにいるんだっけ、なぜこれをやっているんだっけ、そもそも自分ってなんだっけ、自分は何を大切にしている人間なんだっけ・・・今まで自然と分かっていたように感じていたことが、急にわからなくなることがこの段階で起こりえます。
2つ目の段階が、「ニュートラルゾーン」、模索の期間です。
何かが終わってしまった、そして分からなくなってしまった、今まで自分を形成してきたものから離れたことを踏まえて、喪失感、虚しさを抱いていることを自分自身認識し、少しずつ理解し、受け入れていくフェーズだと思っています。
個人的な経験としては、このニュートラルゾーンにいるときに自分で自分に投げかけた問いは、すごく普遍的なもので重要な問いになるのではないか、と思っています。また、この得も言われぬ葛藤と模索の時間に、簡単な解に飛びつかずに自分自身と向き合うことができるかどうかが、その後の人生の重要なカギになるのではないか、とも考えています。
最後、3つ目の段階が「何かの始まり」です。
ここまで乗り越えてきて初めて、やっと「何かを始めることができる」のです。難しいのは、「この始まりは、必ずしも分かりやすい形で訪れない」ということだと思います。何かを自ら終わらせ、自問し、苦悩と葛藤の期間を乗り越えて訪れる「新しい始まり」は、単純に”新しい会社での仕事が始まる””新しい生活が始まる”といった形に形容しきれないような、偶発的な要素をはらみながら進みます。
だからこそ、「あなたの中で何かが始まっていることに、あなた自身は”気づけている”か?」ということも重要になってくるんだと思います。
始めるには、まず「終わらせなければ」ならない
簡単にトランジション理論を振り返ってみて。
取り扱われている記事や書籍でもよく書かれているのが、「このトランジションは、最初の”終わり”の工程が一番人々にとって難しい」ということです。
想像してみて下さい。
これまで自分が継続的に取り組んできたこと。「これがいい」「これが正しい」と思ってきたこと。今までお世話になってきた人たち。「ずっと続ける」んだと、約束してきたことや約束してきた人たち。これらのものから自ら距離をとって、どこにいくかわからない不安でしかない模索のタームに自ら足を踏み入れるのはめちゃくちゃ不安で困難だと思いませんか。
模索のタームに足を踏み入れても、その時間が自分にとってどれくらい続くかもわからない。色々考えてみたとして、何かにたどり着けるかもわからない。だからやっぱり考えないほうが楽だ。今までの延長線上で付き合い続ければいいんだ。そう思うかもしれません。
人生、人との関わり、自分の人生の時間を懸ける仕事…
私もここまでの人生の中で幾度かこの”終わらせる”プロセスと模索の時間を経験してきているつもりでいるのですが、先が見えない不安の中、まず「終わらせる」工程をとることが非常に困難だったなあ、と思いました。
この『トランジション理論』は一応心理学の考え方らしいのですが、極めて仏教的な思想でもあるんじゃないかなあ~とこのnoteで書いてみても思います。「決断」という言葉。この言葉自体が仏教由来というわけではないですが、まさに「断つことを決める」なんですよね。決して、「始めると決める」ではないのです。
私が高校生の時に、野球部の友人に教えてもらって今も大切にしている言葉があります。それが『前後裁断』という言葉です。この言葉は禅の言葉なんですが、すごく同じものを、通ずるものをトランジション理論に感じます。
変化の激しい現代、環境にただそのまま身を置いていても、自分も伴って勝手に進歩・変化していくかというとそういうわけじゃない。その時々で、終わらせ、模索し、自分にとっての始まりを迎え入れていかないと、精神的には自分は変化できない。むしろ、そのプロセス、経験を重ねていけないと、外的環境が変化して自分自身も変化していたと思っていたけれども、実はちっとも変化していなかった、ということがあり得る。
私は、意思決定、決断する力が自分の強みの一つだと思うようになりました。それは、自ら終わらせることができるのと、不安や模索の時間を受け入れるネガティブ・ケイパビリティが大きくなったから、だと自己考察しています。
他の方の人生相談、キャリア相談に乗ることも多いですが、概ねこういう話になることが多いです。
何かを始める前に、何かを終わらせる勇気はあるか?
すぐに解が出ない状況を受け入れ、安易なものに飛びつかずに、自問し続ける勇気はあるか?
これこそまさに禅問答?w
私自身も、現在、一つ物事を終わらせて、今までお世話になってきたものから自ら離れ、模索の最中です。不安ですが、この時間、このプロセスが無いと新たに何かをゼロから創造するなんてできるわけないということも経験上分かっているつもりでいます。
4月。
環境変化があった人も多いと思います。新しい仕事、新しい生活が始まったという人も多いと思います。でも、それそのものだけでは自分自身は変容しません。「自分にとって、何かを真に始めるために、終わらせなければいけないことは何なのか」。この問いを自問するだけでも人生好転するかもしれませんよ~!
この本たちも良かったです〇
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