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心のふるさと、松本に行ったよ。

こんにちは、やよいです。
すこしずつ寒くなってきましたね。
この時期の肌寒さは不思議と心地よく感じます。
朝のごみ捨てがちょっと楽しみになっている今日この頃です。

さて、2回目と3回目の投稿で頭の中のモヤモヤを全部吐き出したら
書くことがなくなってしまいました。
わたし自身、自分の気分の浮き沈みがどう機能しているのか把握できておりませんが、しばらくモヤモヤを溜める時期に入ったのでしょうか。

であれば、このnoteを”日記”であると銘打っている以上、
ネタがなくなったら日記を書くほかありません。

しかし、毎日日記を書けるほど日々が充実しているわけではありません。
ということで、この間の連休に行った旅行のことに触れつつ、
学生時代の思い出話をしたいと思います。

🌸🌸🌸
10月の三連休に旅行に行ってきました。

場所は長野県松本市と岐阜県高山市。
この季節にぴったりのちょっと懐かしい雰囲気の町に行ってきました。

わたしはずっと今回の旅行を心待ちにしていました。
それは、ただ友達と行くからではありません。

わたしにとって松本市は特別なまちだからです。
いうなれば、松本市はわたしの「心のふるさと」なのです。

ということで、学生時代に初めて松本市を訪れたときの素敵な思い出を今更ながら綴ってみたいと思います。

🍁🍁🍁
2016年の秋、当時大学1年生だったわたしは、
退屈しのぎに初めての一人旅に出かけることにしました。
目的地は長野県。
絶景で有名な高原、上高地に行ってみたかったからです。

11月3日、文化の日。
当時住んでいた大阪から夜行バスに乗って、
一人名古屋を目指しました。
翌朝、名古屋で一度バスを乗り換えて、
長野県は松本市を目指しました。

神坂PAあたりから雪山がポツポツ目立つようになったのを覚えています。

お昼ごろに松本バスターミナルに到着。
時間も時間だったので、
すぐさまバスを乗り換えて上高地を目指しました。

上高地は想像通りに素敵な場所でした。
一番の名所である河童橋と、その後ろに聳える穂高連峰は、
もとからセットで存在していたのではないかと思うほど
見事な景観を作り出していました。

心ゆくまで写真を撮ったあと、
本来であれば河童橋の先の明神池を目指したかったのですが、
一人だったうえ軽装備でしたので、
後ろ髪をひかれながらも上高地をあとにしました。

あとから知ったのですが、
上高地は例年11月15日に閉山するということでしたので、
その事実を知らずに行けたのは、本当にラッキーだったと思います。

バス停のあった大正池付近で買った熊鈴は今でも宝物です。

さて、松本市内に戻ってきて、
松本城や四柱神社、なわ手通りを軽く散策してから、
予約していたゲストハウスにチェックインしました。

松本城の北に位置していた、今では閉業してしまったゲストハウス。
こじんまりとしていながらも、上品で温かい調度に囲まれて、
とても素敵なゲストハウスでした。

何よりも、そこで出会った人たちと過ごしたことは、
今でも特別な思い出として胸に残っています。

明るくて楽し気なオーナーさん、
格闘ゲームと漫画が好きで、近くの美ヶ原温泉まで車で連れて行ってくれた他のゲストの方、
陽気で朗らかなフランスからやってきた駆け出しの女優さん…。

わたしにとって、ゲストハウスに泊まるのは初めての経験でした。
それなのに、ひとたび談話ルームに集まると、初めて出会う人たちとも、
まるでなつかしい友人のように気軽に話をすることができました。

年齢も住まいも生い立ちも異なる人たちでも、
お互いがお互いに興味を持ち、
つながりを持とうとしさえすれば、
世の中簡単に人とつながれるのだと知りました。

自分の殻に閉じこもっていたわたしにとって、
それは衝撃的な出来事でした。

今ではなくなってしまったゲストハウスですが、
わたしにとってはかけがえのない体験をさせてもらった、
忘れがたいお宿なのでした。

さて、フランスから来た女優さんと仲良くなったわたしは、
近くのお蕎麦屋さんで夕食を一緒にすることを約束しました。

初めての土地、初めてできたフランス人のお友達(しかも年上)、
初めて尽くしでかなり緊張してしまったわたしは、
約束より30分はやくお蕎麦屋さんについてしまいました。
お店の前で、女優さんが来ることを心待ちにしていました。

ところが、待てども待てども女優さんは来ませんでした。
30分、40分、50分、1時間と店先で待ち続けましたが、
とうとう彼女は来ませんでした。

さすがにわたしもあきらめて、えいっ、ひとりでも食べてやる!と、
勢い勇んでお蕎麦屋さんの扉をひくと、
なんと、目の前のカウンター席の一番手前に、
すでにほろよいになっていたのであろうフランスのお姉さんが、
店主のご夫婦と楽しそうに会話しているではありませんか。

(なんだ、先に入っていたのか。)

わたしはうれしいやらガッカリやらで、半泣きになりそうでした。
お店の中を最初に確認しておくことが大事だと、その時肝に銘じました。
(外も寒かったし。。。)

そんなわたしに気づき、お姉さんは楽し気に
「こないのかと思ったよ!」と言ってきました。

(いやいや、わたしはずっとお店の前で待ってたんだよ!!)

そう思いましたが、たどたどしい英語で言い訳を言うのもなさけないと思い、「遅れてごめんなさい」とだけ言っておきました。

それからわたしもカウンター席に座り、
フランスのお姉さんと、お蕎麦屋さんのご夫婦と楽しく談笑しました。
さきほどまで感じていた寒さが嘘のように、店内は暖かく楽しい空間でした。

わたしたちはいろいろなことを話しました。

わたしは大阪の学生で、初めての一人旅をしているということ、
フランス人のお姉さんは30代で、女優業の傍ら世界中を旅していること、
店主のご夫婦はお蕎麦屋さんをやっているが、市民合唱団にも所属し、
音楽が趣味であること。。。
実際、店内にはおしゃれな音楽が流れ、たくさんのレコードや楽器が店の奥に飾られていました。

フランスのお姉さんはこれまで陸路でユーラシア大陸を旅してきたと言い、
道中におこったいろいろな出来事や、素敵な場所や、素敵な人々との思い出をたくさん語ってくれました。

店主のご夫婦は松本市ではたくさんの人が音楽とつながりをもっていること、おすすめの音楽やレコード、お二人が出演する演奏会の情報などを教えてくれました。

外は凍えるくらい寒くても、おしゃれなジャズを聴きながら暖かい店内でおいしいお蕎麦をいただき、初めて出会った人たちとまるで旧知のように会話に花を咲かせる。。。
ああ、なんて幸せな時間なのだろうと思いました。

この一人旅を企画し、実行していなければ、
決して出会うことのない人たちと今まさに会話をしているんだ。

そんな小さな感動をかみしめていたら、
なぜだか気がついた時には涙が出ていました。

楽しくて、幸せで泣いたのはあとにも先にもその一度きりです。
夢のような時間とはまさにあの時のことを指すのでしょう。
夜も深まり、客もわたしたちだけとなり、実はすべて幻だったと言われても信じてしまうようなひとときでした。

(今思えば、未成年だったためにお酒を飲めなかったことだけがちょっぴり心残りでした。でも覚えていないだけで実はほろ酔いだったのではないかと思えるほど、その時の記憶はフワフワしていて、心の中に風船のように浮かんでいます)

うれし涙を流すわたしを見て、お姉さんもご夫婦も笑っていました。
それからもっといろんな話をして、写真もたくさん撮りました。
夜はどんどん更けてゆき、気が付いたら閉店時間を大幅に過ぎていました。

退店間際、
ご夫婦はお姉さんとわたしにあるプレゼントをくれました。
それは、オペラ歌手がカバーした「いのちの歌」が収められているCDでした。

歌に疎かった私は恥ずかしながら「いのちの歌」を聞いたことがありませんでしたが、旅を終え、帰宅してさっそくCDコンポに入れて聞いてみました。

途中まで聞いて、またこみ上げてくる涙を抑えられませんでした。
歌詞があまりに暖かくて、優しかったからです。



この星の片隅で めぐり会えた奇跡は
どんな宝石よりも たいせつな宝物

いつかは誰でも この星にさよならを
する時がくるけれど 命は継がれてゆく
生まれてきたこと 育ててもらえたこと
出会ったこと 笑ったこと
そのすべてにありがとう
この命にありがとう♪

お蕎麦屋さんのご夫婦がこの歌を送ってくれたことがまたうれしくて、アパートで一人泣きながら繰り返し繰り返し聞きました。

あの時、勇気を出して一人旅に出かけて本当によかったと心から思います。
あの旅で出会った人々みんなに感謝の気持ちを伝えたいと思いました。

🍁🍁🍁

その後、残念ながらスマホで撮った写真は失われてしまいました。(愚かなわたしはバックアップを取るということを知りませんでした。。。)

お蕎麦屋さんには数年後にこっそり伺いましたが、
恥ずかしくて店主さんご夫妻に名乗り出ることができませんでした。

わたしはゲストハウスの人たちとも、フランスのお姉さんとも、だれとも連絡先を交換しませんでしたので、その夜以降、誰かと再び会うことはありませんでした。

いただいたCDだけが思い出の品として大切に保管されています。

しかしたった一夜の出会いでも私の性格を根本からガラッと変えるには充分でした。
どのくらい変えたかというと、それまで人見知りで引っ込み思案だったわたしが、積極的に人とかかわりをもつため、さらに多くの旅に出るようになったくらいには、劇的な変化でした。

それをきっかけに、私は国内国外問わず、
ズカズカとたくさんの土地に足を踏み入れるようになりました。
ワイナリーで何気なく話していた農場のお母さんが、実はワイナリーの社長夫人だったこと、
台湾の安宿で何年も交流が続く友人と出会ったこと、
ヒッチハイクで車に乗せていただいた方が実はちょっとアブナイ人だったこと(とっても優しい人でした)、
カンボジアの湖のど真ん中で船頭さんたちに誕生日を祝ってもらったことなど、不思議な出会いがたくさんありました。

これらほとんどの思い出の原点が、松本での出会いに帰着します。
そういう意味で、松本はわたしの出発点であり、
今後の人生において何度も何度も繰り返し訪れたい「心のふるさと」です。

🌸🌸🌸

さて先々週、その松本を再度訪れました。
思い出の場所をすべてめぐることは叶いませんでしたが、
お蕎麦屋さんは変わらず商店街の片隅にあり、
松本城のお堀には相変わらず一羽の白鳥が悠々と泳いでいました。
縄手通りも変わらずジャズの生演奏が漏れ聞こえる素敵な空間でしたし、
四柱神社は変わらず厳かで神秘的でした。

そしてなんとうれしいことに、
廃業したと思っていたゲストハウスは、
新しい名前で営業されていました!

今回そちらに宿泊することはできませんでしたが、
次回松本を訪れたときは必ず泊まりたいと思います。

かつては縁もゆかりもない松本市でしたが、
今では日本で一番好きなまちになりました。

3回目の訪問ではあまり長くは滞在できませんでしたが、
思い出の街並み、思い出の店、思い出の通りがそこに存在していることを
再確認できただけで、この旅はわたしにとって充分すぎるくらい意味のあるものとなりました。

これから何度でも松本を訪れたいですし、
そのたびにどんな人とどんな風に出会えるのか、
楽しみでなりません。

今後もこんな風に気が向くままに旅の思い出を書き出してみたいと思います。
読んでくださりありがとうございました。

#この街がすき

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