息子にとっての「大人」という不思議で万能な言葉について
「大人」といえば大人しく、いうことを聞く息子。
歯磨きの時に歯にチキンが挟まっていることを指摘すると、
「大人」の(よく使っているフロス)でとって、
とちょっと憧れるように言った。
思わず笑ってしまったのだが、
いつまで「大人の」と言ってくれるんだろう…。
食いしん坊の息子は、そこに食べ物があれば全部試したがる。
アメリカでは必然的にお砂糖のお菓子を出される頻度が高く、
難しいことも多くなってきているけれど、
日本では食べさせたくないものがあれば、
「大人の」お菓子、「大人の」飲み物、「大人の」食べ物、
というと大人しく、おとなしく、いうことを聞いてくれていた。
今では、「これは大人のかな?」と思う時には自分から
「これはオ・ト・ナ・の?」と聞いてくるようになった(笑)
この「大人の」を私が使い始めた背景は、
私がかつての「なんでなんで星人」だった頃まで遡る。
おそらく3~5歳くらい、小学生時代まで続いたかもしれない、
「なんでなんで星人」。
父親が本当に優しい人だったので、疑問が湧くたびに
父親の書斎に入り浸り、しつこくしつこく聞いていた。
あるとき、ついに父親もお手上げだったのか、
はたまた、返答に困ったのか、
「大人になったらわかるよ」と言われたことがあったのだ。
急に「大人の」と言われて、妙に納得した、というか
それ以上聞けなくなった気持ちを鮮明に覚えている。
そこから私の「大人」への憧れは加速するのだが、
そんな私も「大人」になり、
「なんでなんで星人」ネクストジェネレーション、が産まれた。
加えて、「これがほしい」「あれがほしい」という時に、
あの、
「大人になったらわかるよ」が、
妙に使い勝手がよさそう、と閃いた!
そこから私は「ダメ」とか「これは○○ちゃんのじゃないの」とか
言う代わりに、「大人の」と補足することで、
そういった難を逃れている。
これもいつまで有効かはわからないけれど、
子どもはどんどん賢くなり、大人も賢くならないと大変そうだ。
それでも、大人になってわかったのは、
大人になってもわからないことはたくさんある。
おじいさんになってもおばあさんになっても、わからないことはわからない
「ママもね、わからないのよ」と正直に答えることもある。
でも、それだと、「なんで?」に逆戻りする(笑)ので、
なるべく𠮟りたくない、イライラしたくない私は、
そんな「大人」だった父親に本当に感謝している。
最後に、叱りたくないことについて…
3歳に近づくにつれ、また難しくなっている、叱らない育児。
最近の課題です。
この頃に強く子どもを叱ると自己肯定感を低下させてしまう、
というのを知ったこともあり、
何とか感情的にならずに対処したいと思う日々です。
子育てしながら、新たな発見があればまた書きたいと思っています。
2歳頃までの叱らない/怒らない育児については、こちら↓