子どもたちの世界を広げる多言語社会inアメリカ
自分の出生や出身を意識するような興味深い出来事があったのでシェアしたくなりました。
モンテソッリー式のトイトレの記事を書く間の小休憩記事とさせてください。
先日、息子が保育園のアメリカ人のお友達と"playdate"※をしました。
※"Playdate"って何?と夫からも聞かれたのですが、アメリカでは子どもがお友達同士で遊ぶ日のことをこういいます。因みに夫もplaydateという言葉を知らず、何かのデートだと思ったようです(笑)使い方としては"I have a playdate today.”(今日はお友達と遊ぶ約束がある)という感じです。
一般的に中間層以上のアメリカ人のお家は広いので、どこかに行って遊ぶよりも家に招待をして一緒に遊ぶことがとても多く、特に私がいま住んでいる南東部のアメリカでは"Southern hospitality"という言葉があるくらい、人を家に招待することがおもてなし文化になっているようです。Playdateは週末のことが多いので、大抵は旦那さん含め、家族全員でお出迎えしてくれ、たくさん会話をしながら子ども同士を遊ばせます。
今のところテイクアウトのピザが多いですが(笑)季節的なイベント時には、お食事が出てくることもあります。今回は秋から冬にかけて飲む、アメリカの国民的ドリンク"Apple cider"(ろ過していないりんごジュース、温めて飲むことが多くシナモン等のスパイスを入れることもあります)を振舞ってくれました。
色々と話をする中で、ふと、私がハッとさせられるようなことをお母さんが話し始めました。
「保育園の先生の母語はスペイン語だから、スペイン語も時々教えてくれれば良いのに。数とか簡単な単語だけでも。スペイン語を教えてくれる保育園、多いよね。でも彼女にそれを言うのは失礼というか、何だかいけない気がして、言うのをためらっちゃって言えないんだよね。」
それを聞いて私は少しびっくりしたのですが、同時に嬉しく、そして何だか温かい気持ちになったんです。
なぜなら、彼女は私がイメージする典型的なアメリカ人で、自分の意見をハッキリと持ち、それを誰にでも主張できる芯のある女性です。それなのに、彼女でも相手に言えないことがある。
なぜなら、きちんと教育を受けているアメリカ在住民の中では当たり前なのですが、移民の多いアメリカでは、相手の出身地等バックグラウンドに配慮した発言が求められるため、このようなちょっとした発言にもすごく気を遣うということが感じられたからです。
ヒスパニックの先生(実際の出身地は私も知らないのでスペイン語を喋るヒスパニックと書いています)に対して、「スペイン語を喋ってほしい」ということ自体が差別的に聞こえるかもしれない、と思ったのかもしれません。
そして一方で、なぜ私が嬉しく温かい気持ちになったかというと、「私は日本人で日本語を忘れてほしくないから、息子に家では日本語で話すよ」という話をした後に話し始めたので、彼女の発言が相談のように聞こえました。私も英語は第二言語なので、「言われたらどう思う?」と信頼して聞いてくれているように感じました。
聞かれた直後に色々な気持ちが同時にこみあげてきた私は咄嗟に、「たしかに難しいよね。でも子どもが異国の言語に触れる機会は貴重だよね。」ということしか言えなかったのですが、本当は彼女の背中を押す一言を伝えたらよかったのかな、と後から思いました。
私が先生だったら、自分の国や言葉について興味を持ってくれることはすごく嬉しいと思うし、そういった提案が親からされることはより一層嬉しいです。そんなことをテキストか、直接保育園で会う時に彼女に伝えたいと思っています。英語にすると下記のような感じ:
"From a Japanese point of view, or should I say, from a English as a second language person's point of view, if I was her, I won't mind. I will actually feel really happy to share about my country of origin and the language we speak, and also happy to know that parents are interested in my language."
まぁ実際のところは学校の教育方針もあるでしょうし、スペイン語を教えるために先生をしているわけではないので、どう組み込むかはそれはそれで難しいのかもしれませんが、しっかりと教育に組み込むというより、カジュアルな感じで時々、「スペイン語ではね…○○(国名)ではね…」という感じで先生が異国についてお話をしてくれたら、子どもの頃から「世界は広くて、自分の知らない言語や国がたくさんある」ということが何となく理解できると同時に、「異なる文化について知りたい」と自然と思える子が育つのでは、と思いました。
私自身、幼少期にアメリカのモンテソッリー保育園に通っていたのですが、そこでスペイン語に触れる機会がありました。
もちろん小さかったので文法や細かい表現は一切覚えていないのですが、それでも、スペイン語で"Head, shoulder, knees, and toes, knees and toes." というアメリカで有名な手遊び歌を歌ったことを覚えています。
そして、小・中学校でアメリカの現地校に再び入れられた私は、アメリカ人の第二言語(日本人の私にとっては第三言語)として必須の、スペイン語の授業を受けました。それが日本に帰国後、大学で、スペイン語を選択することに繋がり、大学在学中はスペイン語の教授のアシスタントとしてアルバイトをする機会にも恵まれました。
言語の習得方法は人それぞれかと思いますが、私は音楽が大好きなので、その頃から、言語の発音は歌から覚えました。
子どもの頃はバイオリンと勉強で大忙しの毎日で、「それ以外のことに気を散らす余裕はない」という母親の教育方針から、クラシック以外のCDはほとんど買ってくれない、かつ家ではニュース以外のテレビを見ることはほとんど禁止でした。(なんて厳しい家庭だったことでしょう。笑)
それでも、小学校高学年頃にラジオを買ってもらうことができ(笑)、こっそりとアメリカのティーンにも大人気のZ-100ラジオステーションで、流行りの曲を覚え、大好きな曲が流れてくると録音をし、何度も聞いて歌詞を聞き取り歌う、というのを繰り返していました。
また、小・中学生でアメリカの現地校に通った際には、アメリカのあらゆるクリスマスソングや昔流行った曲を歌う機会に恵まれました。音楽の先生の教え方は本当にクリエイティブで、歌詞付きの楽譜は先生の手書きでした。どんな問題児でも操ってしまうほど、生徒への接し方も上手で人望があり、全校生徒が自然とengage(参加)する中、年に2,3回ほどの発表会に向けて、みんなで熱心に練習に励みました。
私は小学4年生まで日本にいましたが、日本の公立学校(横浜市立)では教科書に沿った歌ばかりだったので、歌うことが大好きだった私は、アメリカでは「こんな授業があるのか!」と、とても楽しかったのを覚えています。今思えば、流行りの曲の内容は大人向けですが、メロディーが素敵で言語は自然に覚えることができましたし、高学年になると歌詞の意味を考えるようになり、特にImagine(Beatles)を歌った前後では9.11のテロが起こったこともあり、異文化の中で世界平和について考えたりしました。
その頃、初めて知り、大好きだった曲の一部:
日本で勉強に興味がなくなり、落ちこぼれた理由がよくわかるくらい(笑)アメリカの教育や授業は本当に面白かったです。
少し脱線しましたが、私の通った現地校の音楽の先生方には本当に感謝しています。彼・彼女の教育方針と授業は、私の精神的な部分を含めた人生への影響がものすごく大きかったので、また別記事で、記憶をたどりながら紹介したいと思います。
「日本とアメリカを行き来しているようだけれど、タイムラインがよくわからないぞ?」という方は、私の簡単な自己紹介もよろしければ読んでみてください↓