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「まずは100回やってみたら?」
今回は何かを習得するための方法について考えてみようと思います。
私は自分で何か新しいことをチャレンジする際に、とりえあえず100回同じことをします。これは大学時代に恩師に「まずは100回やってみたら?」とアドバイスを頂いたときからの私の習慣です。
もう少し詳しく説明すると,これは以下のような人向けのアドバイスです。
どうすればいいか?何か事前に練習や勉強が必要かな?と、うじうじ考えてスタートしない人。
やってみて失敗したらどうしようと考えて、実際に行動に移さない人。
やるからには100点、完璧を目指したいと考えすぎて、事前準備長くなる人。
ああでもない、こうでもないと理屈だけはすごいけど実行しない人。
そういう人に向けて,うだうだいってないで「まずは100回やってみてから?」というアドバイスです。
私はこのアドバイスをもとに学術論文をドンドン書きました。査読者にコテンパンに言われても、できる限りの工夫をしながら、どんどん論文を書きました。(あれから15年,現在はH index 20 まであがりました。)
特許出願をドンドンしました。はじめは自分で1つの特許を書くのに2か月かかりました。初心者すぎて弁理士の先生が書いてくれるということすら知らなかったからです。弁理士の先生に相談する際に、自分で書いた特許願を提出して驚かれました。
実際に体験しながら繰り返すことで、かなりの学習効果がありました。最近はプロダクトデザインコンペに100回応募してみるチャレンジをしていました。その過程で2024年にグッドデザイン賞を獲得しました。そして今、noteの記事を100個書いてみています。
なぜ100回やってみる?
1)目標があれば計画できる。
100回という目標があれば、その100回をどうこなすかという計画がたてられます。 例えばゴールが無いマラソンほど厳しいものはないです。フルマラソンで約42㎞と距離が決まっているからペース配分ができるわけです。ゴールが決められているから頑張って走れるわけです。いつゴールか不明な持久走は、体力も精神も双方にかなりの負担がかかるでしょう。
何か新しいことをはじめる際に、そもそも初心者なので具体的なゴールを想像して決めることも難しいものです。だからこそ多くの場合スタートを切る前に何を準備していいかイメージが付かず準備期間に時間がかかります。あるいはゴールの見えないレースの準備に疲れてしまい、スタートできないかもしれません。でも、42km走るレースが3か月後にあると分かったらどうでしょうか?いつから食事制限をする?いつからトレーニングをどれだけやろうか、それぞれ考えやすくなりませんか?それと同じです。まず100回やると決めると、その100回をやるための具体的な作戦がたてられます。まずは1回目は様子みでやってみるかとハードルがむしろ下がるわけです。
2)結局は継続は力だから
継続しないとみえないことがあるからです。生存者利益の話でも書きましたが、続けるというのは結構大変です。成長速度は人それぞれとしても、続けることで成長するのが普通です。続けている人が成長するということもありますが、多くの場合は他の人が途中で投げ出してしまうことで、続けた人が相対的に勝つということです。継続の力は強く、何度も繰り返す中で失敗して、工夫して、どんどんコツをつかむものです。
器用な人は数回でコツをつかむかもしれませんが、私はそうではないので100回くらい目指すのがちょうどいいようです。40~50回目くらいで、なんとなく自己効力感を感じてきて、より加速的に個数をこなせるようになる場合が多いです。
継続は力です。
3)100回行う中で成果が出てしまうから
先ほど2)で紹介した継続の力とは少し矛盾するかもしれませんが、もしその分野がその人にとって向いている場合や、あるいは特性が相性がいい、過去の経験や知識が生きる分野だった場合、100回の挑戦中の10回目か20回目かは分かりませんが、100回を継続する前に何か成果がでてきます(出てしまいます)。100回目しなくてもマスターできるのでは?と本人も気付くくらい明らかに手ごたえを感じるかもしれません。100回という具体的な数値目標と、成功するまで続けるや、達成するまで続けるとだと、前者のほうが具体的で心理的ハードルが低くいはずです。 つまり、はじめやすく続けやすいので、(本人としては)勝手に成果がついてくるということです。逆に成功するまでやるぞ!達成するまでやるぞ!というモチベーションは、過剰なストレスとなって、あるいは目先のことを考えすぎて成果を問うのかせてしまうのかもしれません。
4)100回やって成果がでなければ区切りをつけて諦めやすいから
100回やってみて、1回目と100回目を比較すると良いと思います。
あるいは20回で何か成果が出た人は1回目と20回目でもよいです。その100回に必要とした時間と、成長の度合いが明らかな形で目の前で比較可能です。
クオリティーの向上ももちろんのこと、1回行うために必要な時間が100回の試行でどれだけ短縮できたかもわかります。総合でどれだけ時間がかかったかは対象にも個々人の能力にもよります。しかし、100回継続した、あるいは成果が出たという事実は確実にのこります。それを達成するために掛けたエフォート(時間や労力)と得られた成果(能力の向上)を見渡して、自分にその分野の才能があるかを適正があるかを客観的に判断するに十分な情報です。
100回という多いようで有限な回数の繰り返しにより、サンクコスト効果の落とし穴にはまり、ズルズルと続けてしまうことの区切りをつけることができます。
100回やってみて、学びはあったけど、俺には向いてないや、そう考えて、次の100回別の何かにチャレンジする切り替えが行えます。この100という数は、結構絶妙な試行回数だとおもいます。生半可な覚悟では続けられないけど、やろうと思えば1,2年で達成できるような数です。限られた時間(人生)の中で、何かに挑むにはちょうどいい数かもしれません。
最後に
今回は「100回やってみたら?」についてその意味を説明しました。私が大学4年生のときに恩師にもらったアドバイスです。そのころから私は自分に研究者(職)としての適性があるかどうか判断するためにも、論文の執筆と特許出願を100回やろうと挑みはじめました。査読付き論文、国際会議や学会発表など、かたっぱしから数をこなすことに挑みました。結果として、論文や学会発表が合計100本という本数にいたる前に、ある程度の高レベルの論文誌に掲載されました。ある程度研究者として自分に適正があると思いました(誤解かもしれませんが、誤解でも自己効力感は重要)。このnoteを書く前は、プロダクトデザインコンペに100回応募をチャレンジして、今はnoteの記事を100本書くをチャレンジしています。数が決まった挑戦は、私は挑みやすくよいやり方だとオススメしています。少しでも何かの参考になれば幸いです。
を新しいことに挑戦する行動指針にしています。例えば研究者になるかどうか,自分に向いているかどうか分からなかった大学院生の際も,同じく論文を書きまくっていました。