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詩人になりたいと思ったので投稿しました。

どうやったら詩人になれるのかなと調べてみたら、現代詩手帳に投稿し続け、賞をとり、その後詩集を刊行し中原中也賞、H氏賞を取るべきだと簡潔にまとめてありました。

それだけしか詩人になる方法ないの?誰もがそう思うと思います。詩の世界って狭いのでしょうか。イラストだったらどんな風にでも一人前に職業にできる時代なのに、詩人になることはそう簡単にはできないようです。詩人ってそんなに賢いの?偉いの?誰もがそう思うと思います。わたしは偉いとは思いません。しかし賢いとは思います。常人が持っていない視点を、言葉巧みに表現し、共感されたり、賞賛されたり。言葉をよく知っていて、的確、もしくは意表を突く使い方ができる。毎日を過ごしている人と同じ生活をしているのに、全く別のところを見ている。コーヒーを飲んでおいしいなと思うだけでなく、今日の気温、湿度、天気、テレビの内容、コーヒー豆の具合、カップの重さ、窓からの景色、カーテンの色...とにかくいろんなことを見て聞いて感じて思っている。きっと詩人はこれより多くの情報量を解像度を高くして拾い、取捨選択して言葉にしているはずです。常人の私よりもはるかに鋭敏な感性で。

それなのに、詩人になる方法がこれだけ?あまりにも少なすぎると思いませんか?私はそう思います。だから、詩人になるのはやめます。こんな狭い世界で生きてる日本の詩人にあこがれる気持ちがありません。詩人のことを知ってしまえばもっと嫌いになるかもしれない。じゃあどうしたら詩人になれるのでしょうか。わたしが敬愛する宮沢賢治、ヘッセ。どうやったら彼らになれるのか。

解決は、できません。

詩人になりたいと思ったので投稿しました。しかし詩人になって職業にしてお金をもらって、そのお金で暮らし、詩を書き続けよう、そんな人生を思い描いているわけではありません。こんな甘っちょろい考えで詩人になりたいと思っています。

詩人界隈を批判する目的でこの文章を書いているわけではありません。ただただ生きることに対する自分の甘さを、「詩人になりたい」という言葉から解き明かそうとしているだけです。

よく絵を描いているといわれます。「なにを伝えたいのか」と。

伝えたいことなどありません。これを見てくれる人がいるなんて想像もしません。「なぜ、作者にすべての責任を持たせるのか。少しは自分で考えたらどうなんだ」よくそう思います。自分は何か作品を作るとき、どんな媒体でもそう考えてしまいます。しかしながら、周囲はそれを許しません。周囲はそれを自慰だといいます。周囲はそれを自己満足だといいます。

じゃあ自己満足のこの作品を好きになってはくれないのか?

そんな甘い世界へと自分を誘ってくれる誰かに出会うまで、わたしは言い続けます。

「詩人になりたい」

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