逆カルチャーショック
海外の楽しかった3年間
いつかはかけたらと思いますが、今回は人生の生き辛さのために
振り返っているため、帰国後について書きます。
さて、海外から帰った私は、人生で一番長く過ごしている地元の
いじめられていた校区の中学校に転入します。
初日、私は白のスニーカーを履くよう聞いていたため
履いていきましたが、挨拶するなり担任の先生に注意をされます。
靴紐が水色だという理由でした。
その他、髪は二つ結び、前髪は目に掛からないように
眉毛はそらないように・・・など無数の目的不明の校則に
苦しめられることになります。
制服すらもない学校から来た、自信の付いた、
日本だとちょっと生意気と見られる少女に成長していた
私はとにかくため息と怒りと目立ってはダメという緊張で
しばらくすると帰ってすぐ泣きじゃくるほど
メンタルをやられていました。
その学校の1学年の人数は200人超え
しかし、たった一人転入してきた私はとにかく注目の的
私の教室には、挨拶後の小休憩で多数の見物人がいました
ところが誰も話しかけてきません
一人の女の子が一緒に御飯を食べようと言ってくれました
その子は読書が好きとのことで好きな本を教えてくれました
2日め、学校に行った私は下駄箱に上履きがないことに
気づきます。
その翌日焼却炉前のゴミ箱から見つかるのですが、
その日は来客用のスリッパで過ごすことに。
そして、2日めも同じ女の子とご飯を食べた私は
複数の女の子から「あの子は嫌われてるので一緒に食べない方がいい」
と忠告されます。
いじめもない学校から来て、小学校時代はグループでご飯を食べたため
好きな子と食べるということを知らなかった私は、
かなり戸惑います。
たしかによく見るとその子は誰とも話さず窓枠に腰掛けて
本を読んでいました。
”いじめ”が怖かった私。
その後も数日一緒に食べましたが、その後初めての”部活”に入り
部活の子などと過ごすことが増えたためその子とは距離が
できてしまいました。
その子もこうなることはわかっていた、とばかりにその後私に
近づいてくることは一切ありませんでした。
さて、スリッパがなくなった件については
担任の先生が見つけてくれたのですが、
その後理由などの説明はありませんでした。
中学校では”いじめ”という形ではなかったものの
いろいろと嫉妬されたり、口出しされたり
女の子というのは本当に面倒だということを痛感します。
その後ある女の子から執拗に敵対視されることになるのです・・・
そして、聞いたことのない”部活”という文化に私は
メンタルをやられることになります・・・